駄文置き場

□帝国的恋愛論
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ディアナ

恋を知らぬものが恋を知った時、その感情は堰を切ったように溢れ出す。初めて菓子を与えられた赤ん坊が、その甘さに取り付かれるように。初めて酒を覚えた者が、その心地よい酩酊を求め、飲み続けるように。

彼女の場合もそれと同じだと思っていた。
高貴な存在であるだけに、恋愛を経験しないうちに想像ばかりが膨らんで、恋に恋しているのと同じだとばかり思っていた。
退屈な日常に飽き、非日常を求めたのだと。
それならば目をつぶろうと思っていた。じきにその不毛であることに気づき、彼女の日常は取り戻されるであろうと思っていた。


「なんだ、今日は遅いな」
いつもの城内、いつもの勤務、いつもの会話、なのに何かが違って聞こえる。
「今し方まで引き継ぎが長引きまして…これから休むところです。陛下はどちらへ?」
肩から背中にかかる銀色の髪を弄び、彼女は微笑んだ。
「寝つけないから、少し風にでも当たろうと思ってな」
その仕草の一つ一つが、笑顔が、妙に女らしく感じる。兵士達と泥まみれになって育ってきた、多少がさつな彼女に小さな変化が起こっている事を、恐らく彼女自身が気づいていていない。
おそらくは、男女の色恋を多少なりとも経験したのだろう。それに何かを言うつもりはない。無責任に、実害が伴う恋愛をしていないならば、それは彼女の自由であり、何人もその恋心に異を唱える権利はないからだ。
「そうですか。夜風はまだ寒うございます。くれぐれもお風邪など召されませぬよう」
気づかぬふりで彼女を見送る。彼女は気づいたようで、悪戯っぽく肩をたたかれた。
「ベリィが待ちくたびれていたよ。仕事熱心なのはありがたいけれど、ご亭主を大事にしてあげないと」
仕事上がりに大学前で待ち合わせていたのを忘れていたわけではない。
「まだ亭主ではありません」
「まだ?」
「陛下」
年下の君主はこんなに饒舌だったろうか。
この時、彼女の妙に浮き足立った態度に気がついたら、何かを変えられただろうか。
彼女は笑って、悪かったと再度肩を叩いた。
「いくよ。おやすみ」
妙な違和感は残ったが、待ちあわせた恋人の顔がよぎり、後ろ姿に頭を下げた。
「おやすみなさいませ」この時はまだ、知らなかった。
彼女が、まるで互いの半身を見つけたかのように引かれあっていたことを。その先にある絶望に、気づいていなかったことを。
半年後、私は激しく自分を責めることになる。
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