06/25の日記

19:27
死の秘宝part2 雑感
---------------

拍手ありがとうございました!

御礼文にしては暗すぎるかな、と心配していたのですが、これも天才女優・ヘレナさんの威光でしょうか。

よく言われていますが、彼女の「ベラトリクスのふりをしたハーマイオニーの演技」が巧すぎるのは、表現力だけでなく感性の豊かさを示すものなのかもしれませんね。

10代の少女の不安から、闇の帝王への畏怖と盲信まで、見事に演じ分けていらっしゃる。

以下は、ネタバレを含む感想と、若干の考察です。
























冒頭の、ホグワーツの高み(柵無し)から生徒達の無言の行列を見下ろすスネイプ校長の、あの後ろ姿と表情がたまりません。

(あの門のアーチを潜って、リリーと一緒に入学したなぁ)
(1年生の頃から天使のようだったリリーは、7年生の頃には女神のように美しかった)
(彼女のためなら、どんな手を使っても権力と地位を手に入れると学生の時に誓ったが、彼女のいない今、このホグワーツの校長という肩書ですら、恩師を殺してまで得る価値などないものだな)

とか思ってそうで、あの疲労なのか絶望なのか悪役メイクなのか、やたらと濃いダークアイシャドウを見てるこっちがぐっと唇を噛みたくなる。

マクゴナガル先生に立ち塞がられた時に、杖を向けるのを躊躇ったのも、実はこの陰気で口下手な元薬学教師、寮長としてはライバルの厳格で優しい副校長のことを、影でひそかに慕ったり尊敬したりしていたのではないか、という邪推が芽生えるほど最高でした。

スネイプ先生、隠れフェミニスト論。
微妙に漂う程度のマザーコンプレックス要素の残滓があれば尚良し。
ナルシッサと『血の契約』まで結んだり、「母は強し」みたいな展開に弱い人なんだなーと。

ところで、ラストで(もうこんなバカ騒ぎをするような人達にはつきあっていられない。早く帰ってドラコをお風呂に入れて、何か食べさせないと)って感じの全く躊躇のない去り方、潔すぎてもうかっこいい。
ルシウス父ちゃん、これからは闇の帝王(笑)ではなく、自分の嫁について行け。

フレッドが「大丈夫だよ」って笑って、それを「俺も」って、二人の特殊な同位性を信じて欠片も疑わないジョージが切なかった。

あと、触れそうで届かないトンクスとルーピン先生の手も。

特筆したいのは、いつの間にか参戦していた校長の弟・アバーフォースが、全シリーズ通しても最大規模のパトローナス・チャームを発動させたこと。

たったひとりの妹を幼くして『事故』で失い、”偉大な”兄を恨み続けていた彼が、あんなに巨大で強力な守護霊を創り出せた、というところが涙腺にきます。

グリンデルバルドさんに出会う前の兄・ダンブルドアや、心を病む前の妹・アリアナとの、父母ともに健在時の楽しかった記憶とかを、まだ思い出せるのだとしたら泣けます。

結局、誰もジェームズの株を上げてくれなかったので(アズカバン以降、ずっと下がりっぱなし)、リリーの唯一の欠点が男を見る目のなさみたいになってしまいましたね。

いざって時に、あんなハンパな立ち位置に甘んじるようなキャラじゃあないのに。
父親なのに名付け親や教師よりも存在感と発言力が弱いとか。
仕方ない、ローリング女史も監督も、この巻はスネイプ先生ageで忙しい。

ふと思いついたのですが、ダンブルドアがハリーを「愛しちゃう」ほど気にかける理由って、ジェームズなんじゃねーかな、と。

元々、才能のある魅力的なチャレンジャータイプの少年に弱いアルバスさん。
ジェームズのことを、”力に執着しない”グリンデルバルドの再来のように感じていたのではないでしょうか。

(ブラック家の長男をあんな風に笑わせて)
(人狼の少年とも偏見なく友人になり)
(能力の低い子も仲間に入れる)

誰も傷つけない、若き日の理想を体現するかのような、まさに奇跡のような幻を、ジェームズに見ていたのだとしたら。

セブルスさんとは逆の、しかし似たパターンですね。

彼らは自分たちのような過ちを犯さない、そのまま輝かしい未来へ進んでほしいという期待と、きっとそうなるはずだという油断があって、普段の判断力が鈍り、ピーターの裏切りも秘密の守り人のすり替えにも気づかなかったとすると、ハリーに対して負い目があるのも頷けます。

また、一方でもうひとり、ダンブルドアが放っておくことができなかった少年、トム・リドル。

彼は生まれつき賢く、魔力の才能にも恵まれたために、かえって誰も信頼できず、愛される自信も持てない『孤児』だった。

自分が父に求められないことを許せず、母のように無価値だと捨てられることが恐ろしく、ただひたすらに優秀かつ強力であろうと研鑽を重ね、ついにはまだ誰も実現していない『永遠の命』を手に入れるために、自分の魂をその手で引き裂くことも厭わないと決意する。

その根底にあるのは、常識はずれなほど低く満たされない自己肯定感なのかもしれません。

人の命や意思を尊重しないヴォルデモートは、本当は自分のことも尊重できていない。

人を威圧するほどでなければ存在を許されず、常に関心の的であるためには恐ろしい存在でなければならず、尊重されたければ知識と戦力を研ぎ澄まして利を追求し、己の価値を証明するためには永遠に生きなければならない、たとえ不自然な存在に自らを貶めても。

心の底からそう思い込んでいるのが、彼の人生の歪み方から伝わってくるようです。

ダーズリー家で虐待を受けていた頃のハリーにも、そうなる可能性があった。

『生き残った男の子』も、ホグワーツからフクロウ便で手紙が届くまで、自分は誰からも求められない無価値な『孤児』だと思い込んでいたんですね。

そう言えばすごく初期のハリーって、ファンタジー文学の主人公にしてはけっこう発想が陰険というか、心の声とか意地悪でちょっと怖かった。笑

ここでハリポタの大事なテーマ、『人はどうなるか自分で選ぶことができる』が活きてくるわけです。

組分け帽子に懇願してグリフィンドールに入り、ロンの無神経さもハーマイオニーの高慢チキもイライラしながら受け入れて親友になり、同級生からの奇異な眼差しにも挫けず、大人たちの無理解と必死で闘い、自分の命を賭しても誰かを助けようとする青年に成長した。

ここに、ヴォルデモートがハリーを恐れ続けた理由があると思います。

予言とか血筋とかいろいろ理屈は捏ねてましたが、もうちょっと感覚的というか、深層心理が働いてああいう関係になったのでしょう。

2人で崖へ落ちた後、ホグワーツの城を飛び回りながら、お互いの顔を掴もうとする場面で、ヴォルデモートの顔が2つに分離する、という演出がありました。

戦っていると、自分を殺そうとしているような錯覚をするほどに、闇の帝王はハリーを特別視しています。

そこには、自分とは違って両親ともに命懸けで守ろうとするくらい愛されていた赤子に対する嫉妬や、その運命を徹底的に曲げようと手を尽くしても変わらない善性への憧憬、そこまで自分と深くつながった初めての人間に対する興味とか、そういう特別な唯一の存在を自力で見出した純粋な高揚感があるような気がします。

以上、「ハリー・ポッター?あいつ、すげェやつだったよ」論でした。

長々と失礼します。

 
 

前へ

コメントを書く
日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ