短編

□春の匂い
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年も明けて、季節は春。

桜の花が舞い散り、モンシロチョウが飛び交う春だ。


「さむっ……」


しかし、それはあくまで暦の上での話。

吹き抜ける風の冷たさに、俺はくいっとマフラーを鼻まで上げた。

こんな時だけ地球温暖化を応援してみたりする。

春なんてまだまだ先。
年賀状に『迎春』と書いたことを後悔した。


「もう、春だなぁ」


心の中で「は?」と呟く。
誰だ。そんな場違いなコメントをするのは。

振り向いた先にいたのは、雪のように真っ白なコートを着た女の子。

マフラーに手袋、耳当て。きっちりと防寒しているくせに「もう春だね」発言。


「どこが春なんだよ」


つい言ってしまった。

彼女が驚いた表情をしたのは一瞬だけで、すぐに白い息を吐き出しながら「匂いです」と言う。


「匂い?」

「そう。春の匂い」


にっこりと笑った彼女は、すんすんと鼻を澄ませる。

その顔がぱっと輝いたと思うと、こちらへ一目散に駆けてきた。

そして、しゃがみ込んで言うのだ。


「ほら、タンポポ」


俺の足元には小さな黄色い花がひとつ、灰色の地面に咲いていた。


「本当だ」

「ね?」


くすくすと彼女は笑うと、「またね」と言ってどこかへ去ってしまった。

俺はマフラーを下げて、空気を思い切り吸い込む。


「春の匂い」


ひんやりと冷たい空気が、今は心地好かった。


春の匂い

(春のように温かい彼女と再会するのは、まだ少し先の話)

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