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□向日葵の花を貴方に
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関ヶ原の戦いから、丁度ひと月が経とうとしていた。
夏の残暑も終わり、だいぶ過ごしやすい日が続く大阪の空は、優しい青色に鱗の様な雲が幾重にも重なっている。
稲穂の海を渡る無数の蜻蛉達は、少し強い風が吹くだけで流れを変える荒波を悠々と越えて行った。
ぽつりと立つ案山子だけが、唯一その場を微動だにしない。




「三成様、今日も天気が良いですよ。障子は開けておきますね」

閉め切られた部屋の戸を開け放ち、左近は部屋の端で壁に凭れ掛かるように座る三成の横に腰を下ろした。
少し冷たい風が、部屋の中を巡って文机に飾られた秋桜を揺らす。

「三成様、寒くないですか?」

左近の問いかけに、三成は何も答えなかった。ただ虚ろな目が視線を微かに左右に動かす。関ヶ原で家康を討ち取ってからと言うもの、三成はまるで抜け殻だった。生気の無い目は何も映さず、元から細く白い体は更に細く青白なり、今は一人で出歩く事はおろか、満足に食事も摂れない状態だった。

「三成様、少し外を歩きましょう」

立ち上がり左近は、三成の手を取った。三成の手が逃れるように左近の手から離れる。左近は苦笑した。

「駄目ですよ。毎日少しでも歩かないと足腰弱くなりますよ?」

再び三成の手を取って、左近は三成に立つよう促すと、三成は時間を掛けてゆっくりと立ち上がった。
ふらりと、覚束ない足元を左近は腰に手を回して支える。
三成がしっかりと地に足を付けたのを確認して、左近は腰に回した手を離した。
三成と共に中庭に降り立った左近は、三成の手を引きながら歩き出した。
一歩一歩を三成の歩調に合わせながら、中庭の景色を見る。
特に何時もとは変わらない景色だったが、そんなことは関係なかった。
緑から黄色へと色を変えた木々の葉を指さしながら、左近は三成へ話しかける。

「もう少しすれば紅葉が始まりますかね?そうしたら刑部様と茶の湯を開きましょうか。昔、三成様に茶が不味いって叱られてから、俺も勉強したんッスよ?」

視線を木々から三成に移せば、三成は、ぼんやりと地面を眺めていた。
左近の表情が一瞬ばかり寂しげなものに変わるが、直ぐにまた笑みを浮かべて三成に話しかける。

「そうだ。今日は三成様に贈り物があるんです」

左近は胸元から小さな巾着を取り出して中身を三成の手に出してやった。
ぱらぱらと、三成の手のひらに落ちるそれは向日葵の種だった。

「本当に贈れるのは、まだ大分先だけど、三成様、よく庭に咲いた向日葵を眺めてましたよね?今年は結構長く咲いていましたけど流石にもう枯れちまいましたから」

三成の手のひらから種を一粒づつ拾い上げて、左近は巾着の中へ戻す。
巾着の口を縛って三成の手に握らせた。

「咲いていた場所を見たら、種が拾いきれないくらい沢山落ちてたんですよ。来年もきっとまた咲きますから、そうしたら沢山摘んで、全部三成様に差し上げます。だから…」

精一杯、笑みを浮かべようとする左近の顔が、泣くのを堪えようと歪む。巾着を握る三成の手を握りしめた。

「だから・・・帰って来て下さい。ずっと待ってますからっ」

あの戦から帰って来たのは、家康ではなく三成だった。
しかし、左近は思った。三成の心は、あの場所で家康と共に死んでしまったのだろうと。
家康が連れて行ってしまったのか、はたまた三成自身が死ぬ事を選んだのかは左近には分からない。
少し強めの風が、木々の枝を揺らす音に左近は我に返った。

「・・・風が強いですね。目に砂埃が入りやがった」

目元を拭いながら左近は三成に微笑む。
目から溢れそうな水が零れない様に上を向けば、風に乗って無数の雲が流れて行った。
その下を更に、これまた無数の蜻蛉が流れに逆らって一生懸命飛んで行く。動かないのは三成の時間だけだった。


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