ONE PIECE/左
□悪名
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『おいお前。ちょっとこっち来て、この縄ほどいてくれねェか?』
───まったく、なんで俺はあんな事言っちまったかねぇ……?
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毛程の航海術も持ち合わせてない船長とその一人目の仲間を乗せた小船は、夜の帳が惜しみなく覆い尽くす海を案の定───漂流していた。
取り立ててする事もない昼間のうちに惰眠を貪り尽くしたゾロは、幾分高い波の音にふと目を覚ます。
瞳に映るのは、村を出た頃より変わらぬ海上の星空だ。
悪名高き『海賊狩りのゾロ』として、名を馳せた。
その自身が本物の悪党───『海賊』に成り下がった事を認識するには余りに過去と変わりなく、余りに静か過ぎる夜だった。
ぼんやりと重く感じる上体を起こし、足下に転がる酒瓶を引き寄せて、ぐいとあおぐ。
が、眠りに落ちる寸前まであおっていた酒瓶にはすでに微量の酒もなく、ゾロは軽く舌打ちした。
――酒がねェのは、さすがにツレェな……。
ガシガシと頭を掻きながら、忌々しげに酒瓶を放り投げる。
と、それは『ばぃんっ』というやけに間の抜けた音を響かせて、再びゾロの足下へと舞い戻った。
跳ね返ったのである。
――あああ…そういや、コイツがいたっけか。
傍らで大の字になり、大口を開けて豪快に眠る麦わら帽子の男を見て、ゾロは思わず苦笑した。
いや。
実際、『男』と呼ぶには未だ憚られる風貌と体躯の持ち主だ。
己の年と二つしか違わないと知った時には、心底愕いた。その上、『海賊王になる男』ときている。
しかし――。
しかし、強いのだ。この『男』は。
悪魔の実を喰らった能力者――『ゴム人間』。
その能力をもってして戦いに挑むのだから、常人よりは確かに強い。だが、それ以外の強さを、ゾロはこの一見子供にしか見えない男に見出した。
例えば、交える以前に自身を『強い』と称し、称した通りの姿を見せ付けたのはこの男だ。
例えば、自害を遂げようとした海軍兵士達の様子をすぐさま察し、己よりも早く動いたのはこの男だ。
例えば、コビーを人質に獲ったバカ息子の脅しなど露ともせず、あっさりと己に背中を預けたのもこの男だ。
とはいえゾロは、未だこの男の持つ『強さ』をはっきりと推し量るには至ってはいない。
だがしかし、この種の『強さ』が、ゾロ自身好む『強さ』である事は確かだった。
だから、悪党の代名詞である『海賊』に成り下がろうとも、この『海賊王になる』という途方もない野望を抱く男に、付き合ってみたいと思ったのだ。
そう。
その『強さ』を見せ付けられた後にゾロ自身がそう決意したのだから、己のこの決意は、理に適っていると思う。
ただ解せないのが、この男を見る度頭をよぎる、己が発したあの言葉だった。
何故あの時あの場で、あんな事を言ったのか?
一ヶ月間『そのまま』で生きられたら逃がしてやる、とバカ息子は約束し、その言葉に頷いたのはゾロだ。
ならばあの時、あの場で、あのような言葉を自身は発するべきではなかった。
とはいえバカ息子には約束を守る気など毛頭なかったらしいが、少なくともゾロは、約束を守るつもりだった。
否。
例えどのような卑劣な人間と交わしたものであっても、どのような理不尽な申し出であっても、己が交わした『約束』ならば、それは守られなければならない。そういうものだ。
そしてゾロは、そういう『約束』の意味を、誰よりもわかっているはずだった。
にもかかわらず、あの時己から発せられた言葉は、自身でも予想外のものだった。
『おいお前。ちょっとこっち来て、この縄ほどいてくれねェか?』
あれは、自身の交わしたその『約束』を、違う言葉ではなかったのか?
しかも、先に声を掛けたのは己の方だ。
『悪名高き海賊狩りのゾロ』という己をふり返れば尚の事、ゾロはどうにもそれが解せないでいた。