駄文

□笑顔。
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 かごめの顔から、笑顔が消えた。




 それはとてもよく晴れた、春とは名ばかりのまだまだ肌寒い朝。



 かごめは、心を閉ざした。




…********…




 かごめは、外へ出る事を嫌う様になった。日がな一日土間の隅で膝を抱え、ぶつぶつと何かを呟いてはくすくすと奇妙に歪んだ笑みをその口の端に浮かべる。

 




こんな事になってしまってから、もう既に五日。その間かごめは殆ど食べると言う行為を成してはいなかった。自分から物を口にする事などは決して無く、時折珊瑚や七宝が心配して口許へ運ぶ僅かばかりの飯や水を、それまた僅かに口にするだけ。

 その本当に僅かな食事とも言えない食事が、かごめの命をなんとか支えている状態だった。



 そして、俺はと言えば。



 かごめは、決して俺を自分の側に寄せ付けようとはしなかった。
 

 同じ室内と言う空間に俺が居るだけで、俄かにかたかたとその細い全身を震わせ始める。近づこう物なら、空を切り裂く様な悲鳴を上げて泣き喚き、珊瑚に救いを求める。

 俺はかごめに声をかけることすら許されず、珊瑚や弥勒、七宝がいくら諭しても訳の解らない叫び声を上げ、その小さな身をぎっちりと己が腕で抱き締めて俺に今にも噛み付きそうな、それでいて脅えきった眼で睨みつける。




 何故こうなってしまったのかは、解っている。




 …俺と、桔梗の事だ。




 でもまさか、その事がかごめをこんなにも傷付けていただなんて。




 …思いもしなかった。いや、本当は心の何処かで俺は気付いていたのかもしれない。
 
 桔梗が逝ってから、次第にかごめの様子は変わっていった。始めは俺と眼を合わせる行為を避ける様になり始め、その内にいつも離れて歩く様になり。そして夜毎、もう寝ているはずなのに…夢を見ているのだろうか。涙を流す様になった。そして、現在。


 この、ザマだ。



 珊瑚も弥勒も七宝も…もちろん俺も情けない事に如何する事も出来ず、ただ日増しに衰弱していくかごめを見ている事しか出来なかった。






そんな、ある日。







「確かかごめ様の国には良い医者が居られたと存じます…。一度、かごめ様を国に帰したほうが得策かと思います。」


 弥勒が、重たく口を開いた。


 誰も、反論はおろか何も言わなかった。否も応も無かった。


 早速かごめを連れて行こうと、抵抗され叫び泣かれる覚悟で母屋の簾を捲った。



 そして、俺のその覚悟は一瞬にして打ち砕かれる。


「…かご、め?」

 恐る恐るその名を呼ぶ。

 返事は、返っては来ない。




 かごめは既に、俺を拒絶する気力さえも失っていた。俺を心の何処かで確認はしているのだろうが、叫ぼうにも叫ぶ声が出てこない。逃げようにも、その場から動けない。病的なまでに蒼白な肌。細くなりすぎた腕や脚。


 こんな風になるまでかごめを追い詰めたのは、俺だ。


 何より辛かったのは、かごめの虚ろな瞳。

 濁っている様に見えたのは、気の所為だろうか?

 俺の方を向いてはいる。が、きっと俺の姿はかごめの心には映っていない。




「かごめ、お前の国に帰るぞ。」

 かごめの横にしゃがみ、肩と膝を支点に抱きかかえる。

「……!」

 一瞬、かごめの身体が強張り、その顔が固まるのを横目に感じた。

 しかし抵抗する気力が有る筈も無く、そのままぐったりと俺の身体に身を預ける。




 軽い。




 余りにも、軽い。




 重さを…生きている重さを、感じない。

 そう、今のかごめは死人も同然だった。




「じゃぁ…行って来る。」



 それだけ言い残し、ゆっくりと楓の村を後にする。



 暫く歩いて、ようやく骨喰いの井戸まで辿り着く。かごめをそっと井戸の横へ下ろして、井戸に凭れ掛らせる。そうしないとかごめは身体を支えていられない。

 やつれ切ったその姿を見るのが辛くて、思わずしばし眼を伏せる。

 かごめは言葉を一言も発する事は無く、ただ自分の足許を虚ろに眺めている。


「…かごめ。」


 呼んでも無駄という事位、嫌と言う程解っている。けれど、呼ばずにはいられなかった。


「飯…、食うか?」


 懐から竹の皮に包まれた握り飯を取り出し、かごめに差し出す。が、かごめは弱々しく首を横に振る。


 …これでも大変な進歩だ。つい昨日まではこれだけ近付いている、それだけでもう泣き喚かれていただろう。

 でも、今はそんな事を言っているんじゃない。



「食わねぇと…元気にならねぇぞ」



 言っても、かごめは何も答えない。頭にカッと血が上るのを感じた。


「食わねぇとお前っ…、死んじまうぞ!!」






 泣きそうだった。言葉の後ろ尻が震えて掠れるのが解った。




「食ってくれよ…。」





 言葉を吐き出す。すると不意に、かごめが数日ぶりに俺の方を自分から向いた。

「かご、め…?」

 いぶかしんでその名を口にする。と、

「死にたいの…」








 なんと言ったのか。



 …死にたい?



 死にたいって、かごめが?

 かごめの口は、確かにそう言葉を紡ぎ出した。


「なんだ…と…?」


 何故何故何故何故何故。


「なんで…そんな、ば、馬鹿な事っ…!!」


 言いかけて、止まる。

 かごめは静かに涙を零していた。





「あたしなんて、いなくていいのよ。」


 かごめの


「あたしは、いぬやしゃにとっていったいなぁに?」


 呟きが


「いぬやしゃは、ききょうといたいんでしょう?」


 唇から


「はやくいっちゃいなさいよ。」


 溢れて


「あたしのことなんて、わすれて。」


 溢れて


「あたしはもういなくなるから。」


 止まらなくて


「このまましなせて。」


 俺は


「おねがい。」


 何を


「しなせてよ…。」


 言えば良いのか


「あたしを、これいじょう…。」


 答えは


「みじめにさせないで。」




 たった一つだった。




 手に持っていた握り飯をその辺りに放り出し、細く軽くなってしまったかごめの身体をかき抱く。


「馬っ…馬鹿野郎!!」

 かごめの身体が折れぬ様、手加減を忘れぬ様に。…それでもきつく強く抱き締める。

「やっ、はなしてぇ!!」

「うるせぇ!!」


 言葉だけの拒絶など、もう誰が聞くものか。


「い、いぬやしゃはっ…、犬夜叉は桔梗と行けば良いじゃない!」


「桔梗は…、」




「桔梗は、死んだ!!」




「…!!」




 自らの口から出た言葉に驚きはした物の、何よりも驚いた表情をしたのがかごめだった。




「いぬや、しゃ…。」

「死んだんだ…。」


 噛み締める様に


「死んだんだよ。」


 幾度も呟いた。



「もう、帰っては来ないんだ。」

「い、いぬや…」

「だからもう…いいだろう…?」



 もうお前は



「もう、いないんだ。」



 あいつから



「だから、頼むからよ…。」



 解き放たれて良いんだ。



「頼むから、またあの笑顔…見せてくれよ…!!」





 眦から溢れ出しそうだったのは、熱い液体。ぎゅ、と力を込めてかごめの身体を抱き直す。





 すると。





「ごめ…ん…なさ…い…。」





 そう言ってかごめは、さっき俺が放り出した握り飯の包みをそろそろと開ける。



「か、かごめっ…!?」

「ごめんっ…なさ、い…っ!」

「なんで謝るんだよ!寧ろ謝るのは俺の方だろうがっ…。」

「ちがうの…。」



 かごめは、包みの中から少しひしゃげた握り飯をひとつ取り出す。俺は抱き締めていた腕を緩め、もう一度かごめに向き直った。



「一番わがままだったのは、あたしなのっ…!!」

「な、かごめ!?」

「あたし、解ってた!」





 かごめの大きな瞳に大粒の涙が溢れる。





「桔梗が最期、犬夜叉と逝く事を望んではいなかった事も!」

「犬夜叉がどれだけ桔梗の事を想って悲しんで泣いていたかって事も!」

「弥勒様や珊瑚ちゃん、七宝ちゃん…みんなあたしの事を心配してくれていた事も!」

「犬夜叉が…あたしの事を心配してくれていた事も。」





「あたしは…全部解っていたのに。」

「かごめ…、もう…。」

「くやしかったの。」

「…え?」

「犬夜叉の心が桔梗に全部持っていかれちゃったみたいで…」

「………!!」

「くやしかったの…。」





 かごめが再び俯く。




「だから、あたしも死ねば少しは犬夜叉の心に残れるかなって…そればかり考えてた。」

「なっ…、ば、馬鹿野郎!!」

「そう、ばか。…馬鹿よね。」





 途端にふわりと風が吹き、かごめの黒髪を攫って行く。

 かごめが一瞬

 消えてしまう

 そんな気がして




「…かごめ!!」

「きゃっ!」

「良かった…。」

「え、な…なにが?」



 随分感情が戻ったのか、きょとんとした表情でかごめは俺に聞く。



「かごめが…、一瞬消えちまう様な気がしたから。」

「犬夜叉…あたしが消えちゃったら、…悲しい?」





 何を、当然の事を。





「あ、当たり前だろうが!!」

 思わず声を荒げて言ってしまったが、かごめはもう俺から逃げる事は無かった。





「ありがとう、犬夜叉。…あたし、やっぱり死にたくないよ。」

「!!」

「まだ、ずっとずっと…犬夜叉と一緒に居たいよ…。」

「かごめ…。」

「ねぇ犬夜叉、あたしのわがまま…きいてくれる?」

「…なんだ?」

「側にいさせて。」

「な…。」



 そんな事か、と言いかけた時、



「それだけじゃないわよ?…偶には嘘でも良いから、好きって言って欲しいの。」



 少し悲しそうな顔をして、かごめは俺の顔を見上げる。



「最期のわがままは気にくわねぇな…。」

「そっか…。残念。」

「それじゃまるで、俺がお前の事嫌ってるみてぇじゃねぇか!!」



「…嫌いじゃ、ないの?」

「な訳ねぇだろうが!!」

「あ、あんなにあたし、犬夜叉の事傷付ける事ばっかりしたのに…?」



 本当にこいつはまじめにそう想って居たのだろうか?

 だとしたら。



「好きじゃなけりゃ此処までして心配も何もしねぇよ!馬鹿!!」



 本気で、怒ろうか。



 その気も、かごめの次の一言で一瞬のうちにして消え去るのだが。



「ありがとう、犬夜叉っ。」





 その顔には、満面の笑み。





 俺が待ち焦がれていた、あの。










 透明な、屈託の無い笑顔。










「あたし、早く元気になるね。」

「あぁ、そうしてくれ。」



 そこまで言うと、かごめは俺に握り飯を差し出す。



「ん?」

「あーん。」

「はぁあぁあ?」

「たべさせてよぅ。」

「な、なっ…!?」

「はーやーくーっ!お腹すいちゃった!!」



 あーん、と可愛らしく口を開けて待つかごめ。



「おい、かごめ…ひとつだけ聞いていいか?」

「んもぅ、なぁに?」








「食わせろって…、口移しか?」








「…犬夜叉。」









「馬鹿ぁ!!そんな事誰も言ってないわよー!!おすわりいいぃいぃぃいいぃぃぃいいいぃぃ!!」





「ふぎゃああああぁああぁ!!」





 それでも。



 こんな風に「おすわり」と言われても。



 かごめが笑顔で居てくれるなら、別にいいか。





 …と思えてしまう自分は結構、被虐趣味があるんじゃないかと怖くなる。


 …事もある。






END.



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