□キスを君に
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「今回はいきなりで悪かったな、次からは早めに連絡入れる様にする」
「出来んなら最初からせぇや、ボケが」

駅のホームに向かい進める足。
発車時刻まではまだ時間がある。
そのせいか、人影は全くと言って良い程無い。
俺の左隣りに並ぶ諸星の荷物は少ない…むしろ、ほぼ手ぶら。
上着のポケットに入った携帯とズボンのポケットに入った財布くらい。
まさに着の身着のまま来ましたと言わんばかりの格好。
近所や慣れた場所…例えば俺が岸本ん家に行くのとは全く違う。
愛知、大阪と県を跨いでやって来るにはあまりにも軽装。
それも約束なんてモンさえない。
おかげで何をしたってわけでもなく、ただファーストフード入って食ってダベっとっただけ。
今日と言う休日をダラダラと過ごす予定で寝ていた俺を起こしたのは購入当日から変っていない初期設定のままの呼び出し音。
メールなら兎も角、電話と言う事もあって観念し出たそれには『会いたいから会いに来た』なんてふざけた事をぬかす声。
名前も確認せんと出た俺にも落ち度はある。
ただ、寝起きに聞くにはあまりにも無茶な展開。
土屋で慣れとる筈のその行為も距離が変われば話は別。
本人に悪気も無く更にふざけとるわけでも無く、本気なだけに厄介。

「なぁ、南…」

ホームに着くと、そこはまさに人影一つ無い空間。
それまで隣りを歩いていた諸星は俺の前に周り込み、真剣な面を俺に見せる。
いきなり雰囲気さえ変えるその状況に何事かと思いながらも、愛想も無く、あ?と返す。
途端に崩れた、1分も保ったのか怪しい真剣な顔つきは何を迷っているのか眉を下げ視線の向け先が定まっていない。
何やねん、まったく。
岸本レベルとは言わんから、もっと分かり易い反応せぇや。

「次は、お前の方から会いに来い。俺の育った街、お前に見せてぇんだ」

荒く掴まれた手。
それに悪気が無い事くらい様子見とれば分かる、手を見てさえもいない。
適当に掴んだ結果、多分。
そして落ち着いた視線の先は俺の目。
痛い程に俺を見る。
ただし、その顔は若干赤い。
掴まれた手は、ゆっくりと上げられて諸星の口の前迄くると一度止まった。
綻んだ諸星の口元。
思わず諸星から目を外してそれを見ると同じ様に諸星もそれを見て、手の導かれた先はまさに口。
手の平に感じた柔らかい感触。
どこぞのアホとはちゃう、何が起こっとるかくらいの判断は出来る。
キショいと言い捨てて振り払ってしまいたいのに、今に限ってそれが出来なかった。

「手の平へのキスは、お願いのキスらしいぜ」

顔どころか耳まで真っ赤にして、それでも目を細めて嬉しそうに笑う姿に振り払うなんざ出来やせん。
恥ずかしい奴、そう呟くのが精一杯。
返事は無いし俺からも何も話せずに動きを止め、過ぎる時間。
少しの二人の時間の後に、静かな廊下の遠くに聞こえる足音。
俺から振り払う事なく離された手。
気付いたんだろうと特に詮索もせず、そのまま乗車口が止まるであろう場所の前に移動する。
徐々に増え始めた人影。
横に立つ諸星を見るとまだ耳は赤かった。
見てるこっちが恥ずかしい。
そんな空気をぶち壊してくれる様に現われたそれに、諸星だけが乗り込む。
一歩離れた場所に立ち、乗り込んで行く客の流れを見ていた。
全員が乗り込み少し経った頃、近い発車を告げる音。

「南、好きだぜ」
「俺は嫌いや、安心せぇ」
「馬鹿にすんなって。嫌いな奴見送る為だけに、お前が入場券買うわけねぇだろ」
スピーカーから流れてきた、扉が閉まると教えるオッサンの声。
その言葉の通りに扉は閉まる。
更に数歩下がって、動き出す諸星を乗せた箱を見送る。
手を振るわけでも大きな声で叫ぶわけでもなく、本当にただ見ているだけ。
本来なら振るべき手は強く握ったま




―キスを君に




手の平の一点だけ熱く感じる事は誰にも言わん、絶対に。







キスシリーズラスト。男前にヘタレをプッシュ

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