□サンキュー
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部活の無い朝の登校、通勤通学ラッシュのバスの中は酷く混合っていた。
ちょっとした移動さえ容易な事ではないながらも、生まれ育つうちに他の人と大きく差を付けて伸びた身長に高野はそう苦労もしていない。
息苦しくなりそうなその空間から一人頭が飛び出しているのは、彼の身長ならではの特権とも言える。
ふと思い出したのは、今年もまだ始まったばかりの頃の事。
その日も今この時程ではないにしろ、バスは酷く混んでいた。




―サンキュー




一月。
人の多いその中で高野はろくに動く事も出来ずにいた。
ちょっとした揺れで周りが動き、その流れに流され自分も動く。
バスケ部の朝は早い。
普段は朝練がありこんな時間に乗る事はなかった為に、二年近く経とうとしているが慣れはしなかった。
早く着け、そればかり考えてはいるがそれでバスが急いでくれる事も勿論無い。
疲れを感じ溜息が零れる頃、ガタンと音を立てて揺れると高野の体もそれに合わせて揺れた。
聞こえてきた、キャッと言う高い声。
高野自身、自分のその体の大きさは理解している。
ほんの少しぶつかっただけのつもりでも、ずっと小柄な女性にその衝撃は大きく感じる場合もある。

「あ、大丈夫で…」
「チカン!あんた今、わざとやったでしょ!触ったでしょ、このブサイク!!」
「はぁ?」

言葉を言い終わらぬうちに向けられた言葉は身に覚えのない疑い…否、断定。
開いた口を閉ざす事無く、ぽかんとしてその女の言葉をその身に受けるうちに辺りの視線は高野へと注がれた。
そこに来て、その身長が仇になる。
一つだけ飛び出た頭は車内どこからでもハッキリと見え、まさに車内中から集まる視線。
事態をようやく理解し、高野が否定の言葉を述べるも女は聞く耳保たずただただ罵声と決め付けの言葉を口にする。
ついには口を挟む隙さえ与えない。
次第に向けられていた視線は冷ややかな物へと変わっていった。

「すみません、通して下さい」

人の間を擦り抜け時に道を作りながら、最後部の席からその場へ近付いてきた男が一人。
整った顔立ちに高野程では無いにしろ充分に高い身長に、それまでギャーギャーと高い声で喚いていた女が途端に静まる。
中性的なその顔に見惚れてしまっていた。
早く着けと願うばかりで気付いていなかった見知った存在の姿。
高野の口からは思わずその男の名が零れる。
藤真。

「俺の友人が何かしましたか」
「何って、その…アタシにチカン行為を…」
「それは本当にそうなんですか?貴方が騒ぐ直前、バスは揺れましたよね。それによって少し体が当たった、その可能性は全く無いと言えますか?事実、あの揺れで貴方も含め大半の乗客が同じ様に体を揺らしたのを後ろの席から見ていました。それでも尚、本当にチカン行為をされたと言えますか?」

突然の乱入者を前に言葉を上手く紡げずにいる女を前に、それまで女が高野にしていたのと全く同じ様に藤真は口を挟む隙さえ与えず責める。
何度も高野が口にしようとしては女の勢いに押され言えずにいた言葉も含まれていた。
藤真のそれの見せる勢いに押されたのか、女の口からは返事らしい返事はない。
言葉に詰まり、あ…とただ言葉にさえならない声を零すだけ。
少し前まで高野に向けられていた視線は藤真へ、更には女へと向られていた。
冷たい視線に耐え切れずに女がすみませんと狭い車内いっぱいに響く声で謝るのと同時に、予定の停留所の到着を告げるアナウンス。
降りまーす、と何も無かったかの様に手を上げ辺りへとその意思を示せば、今の今まで黙りそれを人形の様に見ていた乗客達は道を広げた。
有り難くその道を進みバスを降りると、同じ制服を着た人間が何人も同じ方向へと歩いている。
その流れに沿い、二人は翔陽高校への道を歩き出す。

「その…サンキュー、信じてくれて」
「バーカ、お前がチカンなんてするわけないって事くらい知ってて当然だろ」





高野にとっての懐かしい記憶。
バスの外にはその時と同じ景色が流れていた。
ふと高野の視界に入ったのは斜め前に立つ、見慣れた制服を着た一人の少女。
自分のそれに比べて綺麗なそれを見る限りきっと一年と高野が思う少女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
疑わしい程にピッタリとその少女に身を寄せる男。
明らかと言えばそうだが、一度在らぬ疑いをかけられた高野だけに確証も無いのに下手な事はする気にはなれずにいた…が、その高い視線とすぐ隣りと言う場所だけに見下ろした先に見えたのだ、その手の動きとそれが触れる先が。

「やめとけよ、オッサン。奥さんや子どもが泣くぜ…」

その少女の様子から言って騒ぎ立てては逆効果と、男の手を掴み小さな声で高野が言えば、驚いたのか反抗か一瞬だけ力の籠った男の手は力が抜け、それから手を離せば残りの僅かな距離、男が少女に触れる事は無かった。
停留所に着きバスから降りる。
目の前には件の少女。
高野の先に降りた少女はすぐに歩き出そうとはせず、一歩遅れて降りてきた高野に向かい、安心したのか涙の乾ききっていない目を細め有難うございましたと頭を下げてから波の中へと消えていった。

「いやぁ、カッコ良かったわお前」


少女の背中を見送り高野もまた歩き出そうとした時、バスから降りて来た藤真。

「見てたのかよ」
「あぁ、最初っから…あの子の事も気付いてたけど、俺のガタイじゃ今日の人の波越えてけなくてな。ま、お前なら何とかするって思ったし」

肩を並べて歩く二人。
藤真はバスの時の定位置、最後部の席から見ていた自分の分かる限りの事を述べた。
男が少女に対し行動を始めたのは高野が気付く本当に少し前であったと言う事実に、もし長く気付けずに居たのならと言う高野の不安も消える。
ほっと安堵に息を漏らした高野の背中を力強く叩く藤真に目をやると、藤真はニッと歯を見せる様に笑っていた。
つられてニッと笑う高野。

「藤真、やっぱりお前カッコ良いわ」
「今日のお前程じゃないけどな」






高野カッコ良いよ、高野。少女視点で高野ドリー夢出来ちゃうよ

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