□罪と罰 中
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何気無い選択一つで先が大きく変わる事を知った。
急いでいる理由も知っていた。
携帯を何度も確認する姿を見てしまったから。
手に入らない物を欲しがって、子どもの様に駄々をこねるつもりなんて無かった。
それでもあそこで声を掛けたのは、少しでも見て欲しかっただけ。
例え少しでもそんな事を願ってしまったのが、俺の罪なのだろうか。

「バカ、喋んな」

耳に届いたクラクション。
嫌な予感。
ざわつく胸。
群がる野次馬を押し退けて中心に入り込めた時、一番最初に飛び込んできた赤色は目に焼き付いた。
単色の視界の中で見付けた姿。
俺じゃない名前を呼ぶ声。
なぁ、分るだろ。
俺はアイツじゃない、お前の好きなアイツじゃない。
見えなくたって分るだろ。
こんなに名前を呼んでんだ、声を聞けば分るだろ。
なぁ。
なんでアイツの名前しか呼ばないんだ。

「好き、越野が好き。大好き。ごめん、越野。越野…」




―罪と罰 中




「…隣り、空いとるかね」
「田岡監督……どうぞ」

病院へと運ばれた仙道は、そのまま目を開く事は無かった。
事故の際、飛ばされ一時的に姿を消していた仙道の携帯は現場近くから見付かり、財布の中の学生証や保険証…それと、仙道に少なからず関わりのある俺が現場近くに居た事もあり身元は判別。
東京に住む両親や仙道の通う陵南高校へと連絡がいったが、その連絡を受け駆け付ける人達を待つ事無く仙道の時間は閉ざされる事となった。
今、俺の隣りに座る田岡監督も少し前に着き、仙道と顔を合せてきたところだと言う。
泣く事さえ出来ず瞳を伏せるだけの俺。
視界はまた鮮やかな色を取り戻しているのに、いつもより暗く見える。
どうしてあの時、声を掛けてしまったのか…そうでなければ、どうしてもう少しでも引き止めておかなかったのか。
考えた所で実現する筈の無い「もしも」を考えれば考える程、涙は遠ざかる。
こんな時、アイツなら素直に泣くのだろうか。

「あの、仙道の…その、友達とか、今日は来ないんですか」
「交友関係の広い男だからな、一人に許すと後を絶たたん」
「…あぁ」

なら、どうして友人とさえ言えない俺が今この場に居るんだ。
仙道が望むここに存在するべき男は俺じゃないのに。
考えた所で変わる事の無いこの状況と、戻る事の無い時間を思えば後悔に押し潰されるばかり。
震える声を悟られない様に、一言一言を慎重に吐き出してみても、誤魔化しきれる筈が無かった。
俺はまだ20にも満たないガキ、相手は倍以上を生きてきたんだからそれが当然なのかもしれない。
立ち上がった監督は俺にそのまま待つ様告げ、何処かへと向かい歩く。
向う先は、僅かに離れた場所にある自販機。
戻ってきた監督の手には二つのコップ。
湯気の漂うそれを一つ、俺に向かい差し出して飲む様に言う。

「少しは落ち着く筈だ。それを飲んだら送ろう」
「…有難うございます」

両手で紙のコップを包む様に持てば、手の平から広がる様に伝わるその熱に抑えていた筈の涙が溢れる。

「あたたかい…」

仙道も周りに温もりをくれる様な奴で、それを思い出してただただ泣いた。
声を上げてなんて事は出来なかったけど。
それでも悔いる様に言葉を漏らす俺に相槌、時に自棄になる俺の言葉を否定し宥めてくれる。
それもあってだろう、冷め切ったコップの中身を空にする頃には確かに気持ちも落ち着いていて、いつまでもこの場に居るだけでは何も変わらないのだと気付く。
俺の方から腰を上げると、言葉にするより先にその意味に気付きポケットから鍵を取り出す監督。
一つ一つの行動はガキと大人の確かな違いを見せ付ける。
だけどそれは決して嫌味の様には感じさせず、仙道は本当に良い人の元で学ぶ事が出来たのだと思わされた。
ただ、少しだけそれを羨ましくも思う。
帰るか、と促され一歩後ろをついて歩き、車の助手席にお邪魔させてもらう。
家族の車以外に乗るのは久し振りだった。
それこそ、中学の時に部活の奴等と顧問の車に乗せてもらったのが最後だったかもしれない。
懐かしい感覚の中で移り変わる景色を眺める。
いつもと変わらない無情な景色。
それは一つ欠けたくらいじゃ何も変わる事等無いのだと俺に言う。
そうして移る景色は、あの場所に近付いて行く。
時の流れを長く感じてはいる、だがまだ一日も経っていないのにあの場所をまた見る事になるのは正直キツい。
それに気付いたのだろうか、その場所に着くより先に車はウィンカーを付け曲がり隣りの道へ。

「…越野!!」

キキッと大きな音を鳴らして急停車、窓の向こう、見覚えのある姿。
監督の呼ぶ名前を今日は一体何度聞いたのだろうか。
もう遅い時間、辺りに人通りは無いと言うのに、そいつはまだその場所に居た。
俺が見掛けた時から変わる事なく。
足元に置かれた沢山の缶コーヒーは、その場を離れずに待っていた事を見せ付けるには充分だった。
知らされていないわけが無い。
いや、自ら知らせたからこそ監督が戸惑っているのだろう。
放っておいてはきっとアイツが帰ろうとするのはまだ先になる…いや、帰らない気かもしれない。
そんな気がする。
待っていろと言われたがそんな気にもならず、二人でその場から動こうとしない越野に歩み近付く。

「あれ、監督…と、藤真さん?珍しい組み合わせですね」

何度も会った事があるわけじゃない、そんな俺でも様子がおかしいとすぐに気付いた。
おかしい。
今日の事は本人の携帯にかけ伝えたと、車から降りる前に監督は言っていた。
つまり知っているのだ、仙道の事を。
なのにコイツは、何も変化が無い…ここに来るまでに見た景色と同じ様に。
さっきまでの俺の様に泣く事もせず、だからと言って強がってる様にも見えず、兎に角普通なのだ。
この状況でそれはおかしいとしか言えない。

「いつまで此所に居るつもりだ?」
「いや、それが仙道と待ち合わせしてんのにアイツまだ来ないんですよ。待ってるっつったのに…どうせまたいつもの寝坊だろうけど…待つこっちの身にもなれって話ですよね、まったく」

監督と顔を見合わせ、理解したくない現状を認めれば言葉が詰まる。
目の前で苛々としながらも話す姿はとてもじゃないが俺達をからかっているとは思えない。
それほど自然なのだ。
コイツの姿を見ていると、まるで今にも仙道がごめんと言いながら遅れてやってきそうな、そんな気にさせられる。
自分が一番そんな事はないと知っているのに。
背中を伝う冷汗。
また俺を押し潰そうとする感情。
ざわつき出した胸を抑え、苦しくさえ感じるのに何とか平常でいようとゆっくりと息を吐き出す。
仙道の事は電話で告げただろう、そう苦しそうに…吐き出す様に監督は告げるが、越野はそれがまるで聞こえていないかの様に言葉も何も返さない。
意識的なのか無意識からなのか、真実だと受け入れていないのか。
その姿が痛々しく、そんな事は無い筈なのに俺を責めている気がした。

「越野…ごめん。ごめん…」

俺があの時話し掛けないだけで、こんな事にはならなかったのだから。
ちょっとした欲が全てを狂わせた。
自責の念に駆られ、自らの感情に押し潰されてしまった俺は何度も、何度も謝る。
それしか出来ない…いや、それしか思い浮かばなかったんだ、認めようとしいコイツにしてやれる事が。

「…謝るなよ」

謝罪を述べたところで、何も変わらない。
そう思いながらも口にする俺。
だけど、変化はあったんだ。





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