□クマノミ
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好きな人がいる。
そう恥ずかしそうに…だけど、幸せそうに笑いながら相談してきたのは俺にとっての想い人だった。
ずっと以前、好きな相手が居るとつい誰かに漏らしたのが始まり。
そこから噂は流れに流れ、気付けば尾ひれどころか背びれ胸びれ…好きな人から彼女にかわり、今目の前に居る越野の耳に届いていた。
彼女なんて居るわけないのに。
俺は、高校に入って暫くしてからは越野にしか性的興奮を持てなくなっているんだから。
そんな俺に恋の相談?
ふざけるな。
鈍感。
無神経。
今すぐにだって責め立てたい気持ちを抑えて、余裕ぶって笑顔なんか作って越野の話を聞く。
どんな子なのかとか、どこが好きなのかとか…。
興味?勿論あるさ、好きな奴の好みを知りたくない筈が無い。
聞けば聞く程辛くなるって分ってるのに。
小柄で目の大きな可愛い子なんて、逆立ちしたってなれやしない。
なれるわけがない。




―クマノミ




部活が終わると誰よりも早く飛び出していく後ろ姿を見送る。
相談に乗って分かるわけ無いアドバイスなんかしたりした。
悩んで落ち込む顔も見たし決心した時の力強い顔も、OKをもらったんだと喜ぶ顔も見た。
それでも満足出来ないのは、何でだろう。
……考えるだけ無駄だ、理由なんて俺が一番よく知っているじゃないか。
諦めるつもりなんて最初から無かったんだ、諦めてなんかいない。
校門で待つ彼女の所へと嬉しそうに向う越野は、何も知らない。
何も。

「あ、ごめん。今電話して大丈夫だった?」
『うん、大丈夫だよー。どうしたの?仙道君』
「明日さ、暇?」
『………うん』

翌日の日曜日、俺は部活に遅れていった。
一人暮らしで元々ムラっ気も有り遅刻も多い俺が今更遅刻をした所で深く聞く奴なんて一人も居ない。
体を流したし多少石鹸の香りは残っているけど、行為自体の跡は何一つ残ってはいない。
朝、昨夜の電話の相手と会った。
する事は一つ。
愛が無くてもそれは出来るのか。
答えはYES。
男の体は案外単純で、必要なそこもつまり血液による膨張でかなく感触的な物だけでも案外勃つものだ。
あとは簡単。
欲しいのは快楽ではなく、その行為をしたと言う事実。
興味も要らない。
ただ、そこに愛があるフリさうすれば良いんだ。
最初は優しく、ガラスか何かにでも触る様に。
求められた時には激しく。
あとは兎に角目を見る。
そうすれば他の物は何一つ目に入らない、見なくてすむ。
そんな事をする様になったのは、越野のあの嬉しそうな笑顔を見てすぐから。
そして、今日ようやく俺の願いは叶った。

「なんだよ、寝坊か?」
「うん、ちょっと昨日の夜頑張り過ぎちゃって」
「まだ夕方だっつーのにシモかよ」
「ごめんごめん」

部活も終り着替えの間、そんな他愛ない話。
あと少し、あと少しだ。
じゃあなと告げいつもの様に早々に帰る越野。
今日も待っている彼女の元へ、それはもう嬉しそうに駆けていく…何も知らず。
そんな後ろ姿を見送って携帯を取り出し、アドレス帳から一人削除。
着替え終わった植草達と飯でも食って行こうなんて話をしながら校門へと向う。
俺から言わずとも誰かが気付く、それ程ハッキリと耳に届いた声は二つ。
越野と、もう一つ。
朝、俺の下で荒い息と高い声を聞かせていた…越野の彼女。
二人の会話は俺じゃなくても…いや、事情を知らない分他の皆の方が気まずく聞こえる様な別れ話。
そんな中それを横目に通り過ぎるなんて事出来はしないと、予定通りに誰かが隠れる様言い出した。
近場の物陰に隠れ二人の会話が終わるのを待つ。
何でだと問詰める越野。
縋る様に。
望んでいた光景の筈が、酷く胸が痛む。
別に悲しませたかったわけじゃない、俺の方を見てほしかっただけだ。
だから、いつまでも執着なんて持たずに俺に泣き付いてほしい。
別に好きな奴が出来たと言ってフラれたと。
そしたら俺が慰めるから。
そんな事を思いながら、息を潜め二人が話終えるのを待つ。
最後は、彼女の方が逃げる様にその場を跡にした。
越野も立ち去って少ししてから鳴った携帯は一通のメールの受信を告げる。
そのメールに目を通せば予定通りの相手からで、そのメールを理由にこの後の飯の予定をキャンセルして向った先は家に向う道から少し逸れた路地。
待っていたとでも言う様に近付いてくる彼女。
それを通り過ぎれば、これまた予想通りに掴まれた腕。

「何か用?」
「さっき別れてきたの!だから、これで仙道君と付合えるよ?」
「え?どうして?俺は君の事なんて何も知らないのに」

凍り付く様な顔に得た満足感。
彼女の連絡先は残っていないし、連絡も常に家から遠い公衆電話から掛けていた。
今時一人暮らしなのに携帯を持っていないなんて事あるわけないのに、それを信じて俺の連絡先さえ知らない彼女。
これで俺と彼女を繋ぐ物は何一つ無い。
それじゃあ、なんて言って笑顔で路地を抜け少し先から元の道へと戻り、さっき届いたメールをまた見る。
自然と少し駆け足になるのは、たった一通のメールのせい。
一人で暮らすアパートの前、何度も会って居るんだから管理人さんに言えば開けてくれるのに、俺の部屋の扉の前に座り込んだ越野。
泣き出しそうな素振りなんて無いけど、落ち込んでいるのだけはよく分る。
とりあえず入ってと鍵を開けて、最早定位置になってるテーブルの窓に近い方へと座らせれば溜息が零れ、それから室内は静まり返った。

「…別に、好きな奴出来たんだってよ」

越野が話出してようやく俺も腰を下ろす。
越野の隣りに。
そうなんだ…なんて、何も知らない様に聞いて、相槌打ったりもして兎に角親身に。
女の子を落とす一番簡単な方法は傷付いた時に優しくする事だなんて言う奴がいるけど、そんなの男相手だって同じだ。
話ながら少しずつ越野の感情は高ぶっていってる。
そして、気付いた様に越野本人の口から飛び出した単語。
浮気。
真面目な越野には一番耐えられそうにないもの。
その単語を出した途端に手で顔を覆うから、肩を抱いて引き寄せその顔を俺の胸に埋めさせる。

「男の胸なんて気持ち悪いかもしれないけどさ、これなら見えないから。泣いちゃいなよ…少しはスッキリするかもしれないし」

静かに、声を殺して泣き出した越野。
テーブルの上ではマナーモードになった越野の携帯が光っている。
着信。
相手は彼女。
きっと、よりを戻そうとかそんなのだろう。
片手で着信履歴そのものを消して、越野の髪にそっと口付けた。
気付いているのかいないのか…ただ、今越野が見ているのは俺だけなのは事実だ。

「越野…」

何年か前、映画で有名になった魚が居る。
その魚には不思議な性質があって、番いになったオスとメスは常に寄り添う様に傍に居るらしい。
だけど、だけどもしメスが居なくなってしまったら…その時は、オスがメスになりまた別なオスと番いになる。
これもそれと同じ。
邪魔なメスを排除して、新しいオスの座に俺がついただけ。
難しい事じゃない。

「俺、越野の事…」

これからは、俺の傍に居て。
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