□水槽の魚、鳥籠の鳥
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「桜…?」

手の平に落ちた白い花弁はそこに止まる事を知らず、スッと熱に溶けて消えた。
違う。
俺が花弁と思ったそれはそうじゃなく、時期を過ぎた一粒の雪。
最後に雪を見たあの日から、俺は一度も花形と会話らしい会話をしないまま卒業し、会ってもいない。
まだ一ヵ月…いや、もう一ヵ月。
意図的に会わずにいる今を、果たして自然消滅と言うんだろうか。
そんな事を考えてはみるが、元々興味が無いだけに纏まる筈が無い。
今更どんな顔をして会える。
いや、どんな顔も何も無い。
普通に会えば良い。
どうせアイツは何も思っちゃいない。
怒鳴る事も無く責める事も無く、かと言って悲しむ様子さえ見せず。
俺がした事を知って尚、何事も無い様に久し振りだと言うのだろう。
その行動の結果を残酷とさえ思う俺の心等感付く事無く。




―水槽の魚、鳥籠の鳥




あぁ、ほらやっぱりだ。
予想通りと言おうか何と言おうか、同じ街に住んで居て全く出会わずに過ごすなんて事が出来るわけはなくて、ばったりと顔を合わせた花形は久し振りと言って笑った。
知らないのか?
いや、まさかな。
いっそ怒鳴るなり責めるなりされた方がマシだと言うのに、始まったのは何気無い世間話。
その中にはアイツの話もあって、やっぱり気付いてるんじゃないかと一人憤りたくなる気持ちを胸におさめ話をそらす。
立ち話も何だから、俺の家にでも行かないか…と。
偶然会っただけだ、こいつも用事の一つや二つあるから断ると思った。
だけどこんな時に限って俺の予想って奴は当たらず。
招いたのは大学に入り一人で暮らす様になった1Kの部屋。

「上がれよ」

靴を脱いだ所で振り向くと、丁度良く閉じ切った扉が俺達二人を外の世界から切り離した。
視界が暗くなったのは外からの光が消えたからだけじゃない。
顔が近い。
体が熱い。
背中に回された腕の意味が分からず、かと言って久し振りのその温もりを自ら手放す事など出来る筈も無く黙る。
黒い線の中、レンズの奥に見える瞳は今まで見せていた穏やかなそれとは違う。
それは長く望んでいた物。
だけど恐怖すら感じるのは、それを見た今、会うのは本当にこれが最後になるだろうから。
花形…。
そう、名前を呼ぼうとした瞬間に目が合って、思わず言葉を飲み込む。

「どうして居なくなったりした?」

そう、逃げたんだ。
受け入れたくない真実を知って。
あの時の俺は、お前が居なきゃ呼吸さえ出来ない…そう思っていたから。
だけど俺とお前は別な道を歩み始めた。
花形の進学先を知ったのはバスケ部の中で誰よりも遅く、それでも仕方の無い事だと割り切った俺に必要だったのは言葉でさえ充分過ぎる程の証。
ただ一言、それでも傍に居ると言ってくれればそれで呼吸が出来た。
だけどお前の口からその言葉を貰える事は無く、ふと空いた穴を埋めようと好意を寄せてきた奴と体を重ね。
そして俺は知ったんだ。
それに、俺だって言いたい事はある。
どうして言ってくれなかった。
どうして手を掴んでくれなかった。
どうして探してさえくれなかった。
山程、だ。
それを押し込めて、だけど消えたわけじゃない感情をぶつける様に花形の胸倉を掴む。
途端に離れた花形の腕。
だけど、この手を離さなければ俺達はまだ繋がったまま。
この、自分で分る程に震える手を、離さなければ。

「絶望したんだよ。お前が居ないと呼吸さえ出来ない、お前が居て初めて地に足を着ける…そう思うくらいにお前が好きだった。だけど実際はお前じゃなくても良くて、一人で立って歩く事も出来て、呼吸も出来て、生きる事が出来て…それが全部吐きそうな程悔しくて、お前から逃げたんだよ!!」

怒鳴り付けた俺の声は、きっと扉の向こうまで聞こえているだろう。
それでも構わないと思えた。
溜まった感情を言葉にして吐き出すと、今度は体がそれを吐き出そうと目頭を熱くする。
それを隠そうにもこの手を離すのは躊躇われ、止める物の無いそれは頬を伝い顎から床に落ちる。
あの雪の日、俺は一人でも呼吸が出来ると知ったあの日も泣く事は無かったのに。
いつまでも流れ続ける筈だった涙。
それを止めたのは、長い指。
俺のではない…だけど触れられると妙に安心する、花形の指先が拭う。
だから会いたく無かったんだ。
拒まないから。

「…お前の行動を知った日、俺は素直に怒りをぶつけたい気持ちでいっぱいだった。だけど、俺も呼吸は出来たんだ」

再び抱き締められた体。
花形の方から繋げられた温もりに、俺は胸倉から手を離し同じ様に背に回す。
ぽつり、ぽつりと話すその声に耳を傾けて。
呼吸は出来た。
立つ事も、歩く事も出来た。
だけど互いに全てが満たされる事は無く。
忘れる事も出来ず囚われ、自由に動ける事も無い。
逃げたと思いながら俺は一本の道を走り、満たされる事を願い追い続けただけ。
そんな自由を知らず泳ぐ事も飛ぶ事も出来ない俺達は、まるで…。

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