□空に近い場所
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人間生まれてから死ぬまで一人な筈が無い、いつだって誰かに迷惑を掛けて生きてる。だったら、迷惑を掛けるだけ掛けてでも結果として楽しめた奴が一番得だよな?
知り合って1年もした頃にそう言って見せた顔は、藤真ならではの強さを見せていたんだろう。
それから先、その言葉の意味を理解出来る程には振り回されて来たけど、決して嫌な思いをさせられる事は一度も無かった。




―空に近い場所




こつこつと響く足音、上り切った先にあるのは校内の他の場所に比べると重く作られた扉。
立ち入りを禁じる鍵は見た目には掛かっているが、実際の所はだいぶ以前からその役割を果たしていない。
禁じられているこの場所に近付く生徒自体が元々居ない為かその事実を知る人間は少く、直される事が無い侭今に至る。
重い扉を押し開けた先に広がる青空。
他の場所で見るよりも雲が近い気がする。

「サボりかよ、学年一位」

扉の音に気付いたのか、それともそれより早く気付いていたのか、フェンスに寄り掛かり空を見ていた藤真が視線を俺の方へと向けてきた。
からかう様な笑み。
今は4時間目終了の金が鳴る10分程度前、その時間に誰かに会えばそれを言われるのも分ってはいた事。
かと言って藤真の言う通りに授業を抜け出したわけもなく、まさかと言って笑い返した。
ノートを書き終えた人間から自由との声に従ったまで。
几帳面だと言われがちだが後々面倒になるのが嫌なだけの俺は、授業に出ずに後から誰かのを写すくらいならとその時の授業の間にノートはしっかり取る。
それを知っているからこその台詞なんだろうと、横まで歩み寄りながら考えた。
背を預けたフェンスが背中を押し返して、寄り掛かる様に座る。
手にしていた購買のパンと中身の入った弁当のうち、パンが幾つか藤真の手に移動して、パンと小さく音をたてて封が開いた。
ドスッと、その顔からはあまり想像が付かないであろう荒々しく腰を下ろした藤真。
二つあるペットボトルを渡して、俺も自分の手にしていた弁当箱の蓋を開けた。

「よく俺がサボってここに来てたの気付いたな…もしや、お前ストーカ…」
「なんとなくだ」

箸を持つ手を止めて一度眼鏡を上げてから、全て言われる前に口を挟むと不満だと言わんばかりに肩を叩かれる。
痛みが走る事の無い肩は、今の藤真の隠し切れない部分を見せ付ける様だ。
なんとなく、その言葉だけでもう察しているのだろう。
半分の嘘。
感付いたのは4時間目が始まってすぐ、体育が陸上に入って面倒だ何だとボヤいていたわりに姿が見えない事。
その後からは、なんとなく。

「嘘吐くな。お前、嘘言う時だけ逆の手で眼鏡上げるから分かり易いんだよ」
「藤真は図星をつかれた時によく瞬きが増えてる……あと、泣きたい時は誰にも言わずにここに来る」

箸を進めるうちに、空になった銀紙が風に吹かれ飛んでいく。
それを追って伸ばした手が触れる事は無くて、かわりに藤真と目があった。
必要以上の瞬きが少しの間続いたかと思うと、背けられた顔。
続く鼻を啜る音。
投げる様に手放された食べかけのパンが転がる。
原因なんて物は分っていた、悔いる理由も知っていた。
気丈に振る舞い続けるには限界がある、監督と言う立場に在るにしても結局は一人高校生でしかない。
夏半ばに悟る終りは以外に呆気ない程で、あれから一週間も経って居ないと言うのに受験勉強があるのだと告げて去る奴も少なくはなかった。
俺はと言えば、答えをまだ言えずにいたのだ。
冬までは続けたいと願う俺の気持ちを余所に進む話は、受験するに付随し生ずる必要な時間を部活から割けと言うもの。
それを言われたのは湘北との試合から二日経って、滅多に呼び出される事の無い職員室で告げられた。
一度出した答えは両立。
それを不服に思ったのであろう学年主任が翌日になって呼び出したのが、監督であり且つ俺と親しい藤真。
藤真は好きにしろとだけ言って、それ以上俺に答えは求めて来なかった。
その日以来、一人で考えているうちに藤真とは顔を合わせ辛くなって部活の間も必要最低限しか話せずにいた。

「藤真」

差し出した手は払われて、ろくに触れられないまま地面へ下ろす。
追い討ちを掛けたのは、俺なんだろうか。
きっとそうなんだろう。
曖昧な答えが逆に良い思いをさせない事は気付いていた。
それでも、用意されている選択肢がただ一つでしかないのだろうと思えば出せずにいて当然だ、俺の意思に反しているのだから。
払われた手をもう一度伸ばす。

「触るな」
「どうして」

また払われて、それでも懲りずに手を伸ばして。
珍しく藤真が折れて掴まれた手、強く引かれて体が急速に近付いたかと思えば、低い肩に押し付けられる顔。
眼鏡が痛いなんて言えるわけがない。
顔を上げようにも力任せに押し付けられる一方でそれは出来ず、耳の近くで鼻水を啜る音がする。
一息吐いて背中に腕を回すと、俺より小さな体が震えた。
首筋に落ちてきた水滴。
まだ暑い夏半ばなのに益々暑くて、それでも藤真を離せないのは罪悪感からじゃない。

「触られたら、我儘言っちまうし。お前にも、高野にも一志にも永野にも…今残ってる奴等皆に。もう触ってるけど」
「今更だろ、お前らしくない」

改めて聞く掠れた声に、今日以前にもこうしていたのかと考えて、それでも珍しく気弱な姿が不思議でここぞとばかりに普段の仕返しがてら笑ってやると、ようやく離された手でそのまま頭を思いきり殴られた。
顔を上げて眼鏡を掛け直して見た顔は、短時間の間にどれだけ泣いたんだと言う程に瞼を腫していてとてもじゃないが格好良いとは言えない。
ポケットの中から取り出したポケットティッシュを渡す。
あまり聞きたくない音がしたかと思えば、鼻の下の水気を拭いすっきりした様な顔。
4時間目の終了を告げる金が鳴り響く。
同時に離された体。
何事も無かった様にまた箸を持って、一度中断した昼食の続き。
蓋が開いたまま風に晒され続けていたそれはさっきよりも更に冷たくなっていた。
互いに話し掛ける事無く無言のまま黙々と続けられた昼食。
俺の弁当箱の中身が半分になる頃、開かれた藤真の口。
掠れながらもその声は明るく力強い。

「ちょっと今から、これから先を左右しちまうくらいの我儘言うわ。だから迷惑掛けられろ」

二つ目のパンの袋を開けるパンと言う音と重なって聞こえてきた音は、階段を上り近付いてくる。
急ぐわけじゃない、ゆっくりとした足音が複数近付いてくる。
ガヤガヤとした声は、聞き覚えのある三人分の声。
それに気付いたのか、続けるタイミングを失ったらしく飲み込まれた言葉。
バンと高い音が鳴って開かれた扉の向こうに居たのは、見知った姿が三人分。
箸を持つ手で弁当箱も押さえて、反対の手を上げると同じ様に上げる高野。

「何だ何だ、二人してサボりかー?」
「いや、藤真だけ」
「あ、つーか先に居るって事は朝の事もう言った?」
「まだ」

三人が近付いて来る間の俺と高野のやり取り。
隣りに座る藤真はパンに囓り付いたまま、意味が分らないと言った感じに俺と高野を交互に見る。
1時間目の終わった休み時間、たまたま一緒になった廊下。
まさかと思いながらも向う先は同じ。
答えは出していた、その時に。
藤真は囓り付いたパンを噛み切って口に含むと、よく噛まずに飲み込もうとしている様だった。
胸をドンドンと叩き俺が買ってきた飲み物を口にしている所を見ると、喉に詰まらせたか。
飲み物の勢いで飲み込んだらしく、ふーと一息吐くと、何の話だよと順に俺達の顔を見る。

「残ってる3年で決めた事を、今日話して来たんだよ」

答えを急ぎ苛立つ藤真、腫れぼったいその顔が益々歪む。

「俺達翔陽バスケ部3年は、俺達の監督の意志に従い最後までついて行きます。その為なら両立もしてみせます」
「英語は花形に教わります」

英語の点数が著しく悪く卒業も危ういと告げられた高野の英語の面倒を見る、自分の成績は落とさない。
それを少しでも外れた時にはすぐに辞める事を条件に冬まで続ける事を認めさせた。
気付いた時には予定以上に容易では無くなっていたが、それでも良いとさえ思えた。
目の前で手も口も止めて、何周するのかと聞きたくなる程俺達を見回す藤真。
そんな事言ったのかよと呟いて照れくさそうに頬を掻く姿に、いつものままの顔なら女子は可愛いだ何だと高い声で騒ぐのだろうかと人事ながらも疲れそうな展開。
だけど、今の藤真は目を腫して真っ赤になった鼻で少し間の抜けた顔、そんな姿に笑いを零した。
もう少し早く言ってやっていれば、こんな顔にさせる事も無かったんだろう。
普段から部活以外の所でも好きにやっているんだ、たまにはこれくらい良いのかもしれない。
俺の笑いに反応してか続けて笑う3人と、笑うなと言いながらも自分も笑い出した藤真。

「酷い顔だな」
「なっ…!うっせー、それでも高野よりはカッコいいだろうが」

藤真の切り返しに笑い続けた俺達はすっかり昼食を続けるタイミングを逃して、午後からの授業に腹の音を響かせた。

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