□彼の名は
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彼、神が始めに違和感を覚えたのは体育館に着いてすぐの事だった。
いつもなら自分が姿を見せると、犬が尻尾を振り飛び付くのと似た勢いで自分の所へと走り寄って来る後輩が今日はそれをしない、それが最初の違和感である。
次に違和感を覚えたのは後輩、清田を見付けた直後。
清田の隣りに見覚えの無い…否、ここに居る事が不自然過ぎて見慣れない姿を見付けた。
長い睫毛にパッチリとした瞳、サラサラとした栗色の髪に整った鼻筋、厚過ぎない唇…そして、そんな顔付きを隠してしまう様な大きなフレームの眼鏡。
次の違和感は勿論、その眼鏡。
幾度となく見た彼は元々眼鏡等掛けてはいなかったのだから当然だ。
遠目にさえ気付く違和感の種は、清田に何やら色々と説明を受けている様で、声を掛けるにも躊躇われた。
結果、神は成り行きに任せ事態を楽しむ事に決め、傍観者に徹すると決めたのだった。
ここから、始まる彼らの物語。




―彼の名は




「元居た所に帰して来なさい」

神が考える事を放棄してから約3分、普段に比べ若干遅れ気味に現われた武藤は、間髪を容れず清田に向かいそう言った。
武藤が指差す先に居るのは、疑惑の男。
男は武藤の言動に、え?、と驚いて見せるがそれはどこかわざとらしいく、清田は清田で理解出来ないと言った感じに慌てている。
それまで気にも留めていなかった部員達がざわ…とどよめいた。
そのうちの一人が溜息を吐く頃、ガラと音を立てて開いた扉。
掃除や日直と言った各々の理由で遅れて来た者達の姿がそこに並んでいた。
その中には、牧や同じタイミングで現われた高頭監督の姿もある。

「何の騒ぎだ」
「牧さん!康司、この人がキャプテンの…あ、知ってるか」
「うす、翔陽の兄と二人合わせて眉目秀麗健康ブラザーズで近所じゃ評判のシンニュー部員藤真康司です。兄がお世話になってます」

一礼の間に揺れる前髪を掻き上げて、笑顔を牧へ向ける自称藤真弟。
その姿は華があり、眼鏡越しとは言え分かるそれは確かに兄、健司によく似ていた。
二人が視線を交わして出来た沈黙、先に口を開いたのは…牧。

「そうか…何となく誰かに似ていると思ったが藤真の弟か!」

誰もが期待したツッコミ、しかしその期待に応えられる事は無い。
素直に藤真弟の言葉を信じた牧の姿は、それが売れなければ一家路頭に迷うと言われて高い壺を買わされる人と重なって見えたと誰かは語る。
そんな牧の姿に藤真弟は本当に一瞬だけ拳を握り腕を引く、小さなガッツポーズを傍観者は見逃さない。
かと言って神はそれを誰かに告げるわけでも無く、傍観者を続けた。
よく知る男の弟と分かれば親しげに話す牧と、それに自然に応える藤真、それに加わる清田と自分がおかしいのかと悩む武藤。
理解し難い展開に高頭は神同様に途中から考える事を放棄し、藤真弟の扱いは全て牧に委ねて部活は始まった。
新しい部員を加えての部活に僅かながらもいつもとは違う盛り上がり。
その部活の間に神が知った藤真弟の事はそう多くは無い。
清田曰く二つ隣りのクラスであるという事。
この夏自分の兄の試合を見て感動し入部を決めたと言う事。
1年で更にバスケの経験が無いと言うわりに実力は牧クラスであると言う事。
それを変に隠そうとしている事。
眼鏡の度があっていない事。

「藤真さん、眼鏡ずれてますよ」
「お、サンキュー…」

それとなく隣り合わせた時に静かに告げた言葉とそれに返された言葉は神の中に確信を生んだ。
にっこりと擬音が付きそうな笑顔を向けられた藤真は舌打ち、もう少し黙ってろと口に人差し指を当てた。
元々誰かに話すつもりなど無くただ自分の好奇心を満たす為だけに試した神にとって、それは今更の話でしかない。
はいと頷き返したその言葉は近付いて来る足音と、勢いを付けて開かれた扉の音に消された。
息を切らし、それを整えようと肩を揺らす長身の男が二人。

「ふ、藤真…が、ここに…来てませんか」

男の一人の言葉に、何人かが藤真弟を見る。
言葉の主と藤真弟の二人に感じる違和感。
二人を交互に見比べて気付く違和感の正体。

「…もうバレたか」

神との談笑を止め男二人の方へと歩きながら外した眼鏡、それを差し出すと今度は男がその眼鏡を掛けた。
無くなった違和感。
本来あるべき藤真と花形の姿。

「…藤真!」
「藤真さん!」
「…俺はちゃんと言ったぜ。侵入部員、ってな」

同時に聞こえた二人分の声は勿論牧と清田のもので、その声に驚きが含まれている事を誰もが理解した。
まさかと言い合う二人を前に、誇らしげに笑い藤真は背中を向け何事も無かった様に歩き出す。
藤真が一人何処かに行かぬうちに長谷川はその袖を掴むと、空いた手で携帯を取り出し電話向こうの相手へ見付かったとだけ伝えた。
その姿に部員総出で探したのかとさえ窺え、陵南や湘北等めぼしい学校にも他の部員が行っていると察する事が出来る。
花形が何度もすみませんと何度も言って頭を下げた後、藤真は捕獲された宇宙人の如く両脇に花形、長谷川を従えて帰っていった。






「そう言えば、藤真さんの着てた海南ジャージって誰のだったんでしょうね」

神の残した謎が解ける日は無い。

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