□忘れない
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走り出した電車。
いつまでもそこを離れられず、見える筈のないホームの方へと目を向ける。
越野はもう帰ってしまったのかな、それとも…まだ遠くなる電車を見送ってくれているのかな。
忘れない、忘れないから。
またこの場所に帰って来た時は、たった一言、ただいまを言わせて。




―忘れない




慌てて買ったホームへの入場券。
普段なら決してこんな事はないのに、今日に限ってセットし忘れた目覚まし時計。
今日、仙道は旅立つ。
今日会わなければ忘れられてしまいそうな、そんな不安に胸がざわついて、見送りを決めたのは今日の旅立ちを告げられた時に、その場で。
そんな事しなくて良い、そう笑って言われた。
そんな事と簡単に言ってしまうアイツに俺の気持ちは伝わらない、俺にとっては大切な事。

「仙道ーっ!」

丁度電車へと乗り込もうとするアイツの後ろ姿を見付けて、叫ぶ様に名前を呼ぶ。
俺の声に気付いて振り向いた仙道の顔は、俺が思ってた以上の驚きを見せてくれる。
ぽかんと開けた口が少し間抜け。
運が良かったのか何なのか、仙道と同じ乗車口から乗ろうとする人の姿は無くて、仙道はそこで動きを止めた。
走って縮める距離。
荒くなった呼吸を深呼吸で整えて顔を上げれば、額から落ちた汗はそのまま顎から首へと伝いシャツの中へ。
暑さは過ぎたと言うのに俺は汗だらけで、体に張り付いたシャツの気持ち悪さを改めて実感した。

「来なくて良いって言ったのに…そんなに汗かいてまで。風邪、引くよ」
「これくらいで引くかよ」

また垂れてきた汗を袖で拭いて、軽口を叩いて、笑ってやれば返ってくるいつもの仙道の笑顔。
不安な時に見せられるこの笑顔には弱い。
どんな不安も吹っ飛ばされる。
ここに来るまでの不安が小さい事な気がしてくる…そんな事はないのに。

「忘れんなよ」
「分ってるって何回言わせんだよ、越野」

間も無く発車すると告げる駅のアナウンスに、仙道は電車へと乗り込んだ。
白い線を挟んで仙道と距離を置く俺。
こうして見ると仙道の荷物は少ない。
鞄一つ。
その鞄も余裕があるみたいで、こうして見ているだけでも分る。
本当に最低限の荷物って感じで、何て言うか…仙道らしい。
ベルの音に閉まる扉。
そうなって再び襲う不安。
信じていないわけじゃない、なのに、何故かその不安は俺に付き纏う様に離れる事を知らない。
俯いて、間も無く動き出す電車と、その中に居るガラス越しの仙道から目を外す。
信じろ、信じろと何度も何度も自分に言い聞かせて。
コンコン。
自分の傍から聞こえて何かを叩く音の正体は仙道。
扉をノックして気付いた俺に何かを話してるみたいだけど、ベルの音と阻むガラスで聞こえない。
ゆっくりと動く唇。
その唇の動きをしっかりと見る。
だ・い・じょ・う・ぶ・だ・よ
いっ・て・き・ま・す
そうしてまた見せる本日二度目の笑顔。
そこまでされちゃ、不安になんてなれるわけない。
仙道の真似をして、声に出しながらゆっくりと告げる。

「いってらっしゃい」

動き出した電車。
行ってしまった仙道。
俺はただその電車が見えなくなるまで見送った。
二泊三日の里帰りのお土産に、仙道がヒヨコを買ってきてくれると信じて。





オチに気付いてしまわれた方はすみません、シリアスと思って読んでた方にもすみません。
そしてタイトル挟んで両方の視点を入れるという私の中で新しい試み


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