当×征小説
□月の雫‐vol.1‐
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その夜は、満月だった。
仕事帰りに、当麻はその月を見上げた。
静かな光。
昼間の太陽とは違う、凜とした、けれど何処か優しい光。
何時もならば、月を見ると愛しい恋人を思い出すのだが、その夜は違った。
なんだか胸騒ぎがする。
何か良くない事が起こりそうな、そんな空気。
月を見上げたまま眉を寄せた当麻の携帯が鳴ったのは、その時だった。
*********
当麻は仙台へ駆け付けていた。
教えて貰った病院へと向かう。
征士の携帯からの着信は、出てみると征士の姉からの電話だった。
「……突然申し訳ありません。けれど、貴方が一番征士と親しいようでしたので、お知らせはした方がいいかと―――」
彼女の口から語られたのは、征士が交通事故に巻き込まれたということ。身体の怪我の方は、思ったより軽いということ。
けれど………。
「―――記憶…喪失、ですか?」
すうっと血の気が引くのが分かった。
自分の声や電話の向こうの声が、妙に遠くに聞こえる。
「ええ…。一時的なものだろうと、お医者様はおっしゃっているのですけれど……。よろしければ、お時間のある時にでも此方に……」
その後のことは、よく覚えていない。
茫然としたまま家に帰り、眠れないまま夜を過ごし、翌日取るものもとりあえず仙台へ向かった。
征士が、記憶喪失?
今までのこと、皆のことを忘れてしまったのか?
そして、俺のことも……?
まさか、そんな―――
病室の扉に伸ばした手が震えているのが、情けなかった。
扉を開けるのが、恐いのだ。
自分を叱咤してノックする。
答える声に扉を開けると、征士の両親と姉妹が当麻を迎えてくれた。
そして―――
初対面の相手を見るような菫色の瞳に、当麻の胸がズキリと痛む。
征士じゃ、ない―――
そんな風に思ってしまう自分に嫌悪を感じた。
けれど、何時も自分の姿を認めて微笑む瞳も、ふわりと周囲の空気を和らげる気配もなくて。
ただ、哀しかった―――
「―――本当に、忘れちまったんだな………」
二人きりになった時、ベッドの脇の椅子に腰をかけていた当麻は呟いた。
「………すまない」
征士は俯いていた。先程から口数は少ない。
今、一番戸惑っていて、一番不安なのは征士だと……。
そう当麻は思い直して、征士を見つめた。
頭や腕に巻かれた包帯が痛々しくて、征士はなんだか儚げに見えた。
………何を話せばいいのだろう。
サムライトルーパーとして戦っていた時のことか?
それとも、その後の俺たちのことか?
どちらも、話しても征士を戸惑わせるだけな気がして。
「……征士。動けるなら、少し外の空気を吸いに行かないか?」
急にそんな事を言った当麻に、征士は少し驚いたようだったがコクリと頷いた。
大事をとって、一応車椅子に征士を乗せて病院の屋上へ出た。
秋の風が、二人の髪や頬を撫でて行く。
征士は、陽射しに少し眩しそうに目を細めた。
「―――当…麻」
躊躇いがちに自分の名を呼ぶ征士に、当麻の胸はまた少し痛んだ。仕方のないことだと解っていても、心が付いて行かない。
「もっと、話してくれないか。当麻の知っている私のことを。当麻の…ことを」
「征士」
「思い出したい……。私は、思い出したいのだ……」
泣きそうな表情で俯いた征士に、当麻は彼を抱き締めたくなる衝動をぐっと押さえた。
抱き締めて―――拒絶されたら?
つい、そんな風に考えてしまう。
当麻は膝をついて、征士の手をそっと握った。
「ごめんな、征士。一番辛いのはお前なのに…俺はそんな事も考えつかなかった」
征士は首を横に振ると、ゆっくりと立ち上がって屋上を囲むフェンスに近付いた。
風が、征士の柔らかい金の髪をさらって行く。
その瞳は眼下に広がる街並みを見ているようだったが、何処か遠くを見ているようでもあった。
「………記憶がないというのは、不思議なものだな。この世界で独りきりになったような気がする―――」
「征士……」
当麻は征士の隣へ歩み寄った。
あまりにも征士が頼りなげに見えて、その肩を抱いた。
「お前は独りじゃないだろう。家族がいるし、俺も……伸達もいる」
「……伸、たち―――?」
「そうだな……。何から話そうか―――」
*********
征士は、病室のベッドで眠れないでいた。
昼間に当麻が話してくれたことは、あまりにも想像しえないことで、征士をかなり驚かせた。
けれど作り話などではないことは、頭の何処か奥で理解していて。
15の時に、共に戦った仲間―――
けれど、本当にそれだけなのか。
何か足りない気がして、もどかしかった。