シリーズ・SS

□単発SS集・暗
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賽の河原にて















「誰かが、泣いてる…」



優しくて物腰が穏やかで何処かおっとりとした性質のキラの事を、ウッソは好きだったが。
時折現れる、透き通っているのに何も見ていない眼差しで悲しそうに呟く時のキラは、嫌いだった。


そんなキラの背中におぶさったまま然し、ウッソは不覚にもうとうとと微睡みそうになっていた。
母に抱かれたり負われた記憶など、殆どないのに。其の朧だからこそ甘い思い出が過ぎって、ひどく安心してしまっているのだろうか。

前を行くドモンが道を拓く様に踏んでいるのは、刃の様に肌を切り付けてくる鋭い草や、折れて尖った人骨の破片、血と泥が混じり合った泥濘だと言うのに。




「場所が場所だからな、泣いたり叫んたりしている奴らは幾らでも居るだろう。…それよりもキラ、本当に代わらなくて平気なのか?」
「大丈夫ですよ。僕だってコーディネイターですから。格闘の心得はさっぱりですけど、今くらいのペースなら一昼夜だって歩けます。」

冗談の様だが、地獄の獄卒、オーソドックスな赤鬼青鬼から馬頭や牛頭とも対等以上に渡り合い追撃を退けた男、ドモンは、ぶっきらぼうなりに年下の二人を気遣う。
だが足を挫いてしまったウッソを背負ったキラも、気負いのない口調で応える。


血の池の畔を抜け、針の山の麓を迂回して、やがて三人は、無音なのに轟々と激しく流れる真っ黒な川の河原へと辿り着いた。
何処かから、遠い悲鳴と嗄れた鴉の鳴き声が聞こえていた。


「川…ですね。凄く広いや、向こう岸が見えない。」

ウッソはキラに背負われた儘、目を凝らす。

「向こう側は、多分此岸だろう。」
「本当ですか!?」
「話に聞く通りならな。」

此の川が所謂三途の川ならば、とドモンは周囲を見回した。立木の一本もあれば、切り倒して削り出して、舟が作れるだろうからだ。
上手くすれば、此の永劫の薄闇と枯れた大地――地獄とも、オサラバ出来るだろう。



「よっ…と、ウッソ君、足は痛まない?」
「はい、大丈夫です。……すみませんキラさん、ずっと運んで貰っちゃって」

傍ら、キラは小休止の為に、なるべく丸い岩を選んでウッソを降ろし座らせた。
周囲には、小さな石が積み上げられて出来た、不吉なのに堪らなく可憐でいびつな小山がちらほらと点在している。


“一つ積んでは父のため”
“二つ積んでは母のため”


そんな小山、小石の塔に相応しいとも言える、矢張り可憐で不吉な歌声も耳朶を掠めているが、何ですかと尋ねた所できっと善くない答えが返ってくるだろうと本能的に察していたウッソは、敢えて其れが聞こえないふりをした。



「――ドモンさん、あれは何ですか?」

代わりに、キラが尋ねた。

と言って、小石の塔や愛らしい物悲しい歌声についてではない。

キラが指差す先には、柔らかな柔らかな光に包まれた、ふわりとした紗を纏った人影があった。
男とも女とも分かたぬ、然し優しい輪郭。
ウッソは無意識に、透かし見る様に目を細めた。


「あれは……多分、水子自蔵だろう。」
「みずこ、」
「産まれる前に流れた、若しくは流された胎児の事だ。自分で自分の業を償う事も出来ない赤ん坊を、救済する為に居る菩薩だ。」


ドモンがそう答えた次の瞬間、ぽたり、と何かの雫が落ちる音がした。

ウッソが驚いて見上げると、キラは歓喜に咽ぶとも悲しみに嘆くともない様子で、両手で口許を覆い、二つのむらさき色の瞳からなみだを流しながら、感極まった様に、呪文の様に、何かを呟いていた。



嗚呼
そんなかみさまが、ちゃんと居てくれるんだね。

良かった。よかった。

じゃあぼくのきょうだい達もきっと

あのひとにたすけて貰えるんだね

よかった
よか っ た

ああ 、嗚呼






「あの自蔵、少し**に似ているな。」















ドモンの台詞を最後に、ウッソは穏やかな悪夢から飛び起きた。

消毒液の匂いが薄く満ちる其の部屋は清潔に整えられた医務室だったが、ウッソは毛布を跳ね退けると、足首が腫れて痛むのも構わず、駆け出していた。


ドモンが、あの水子自蔵を誰と似ていると言ったのか確かめなければならなかったし、何よりも、きっと其の似ていると言われたに違いない相手に、貴方は弔いの為だけに生きる必要などないんだと、言ってやらなければならなかったからだ。


何度もよろめき、転びそうになりながらも、ウッソは走った。
無機質な艦内の廊下は勿論、針の山や血の池など存在する筈がなかったが。
何故か誰ともすれ違う事はなく、まるで水底の様に静かだった。



fin
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