小説

□消足 A
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 少女の父親は何処にでもいる普通のサラリーマンであるが、所謂普通の家庭では無かった。
 まず1つは父子家庭である事、父親は結婚式の当日に恋人を亡くしてから独身を貫いている。
 2つ目は少女は足が不自由であるという事、休日は車で外に行くが車椅子は無く、少女はいつも部屋で本を読んで過ごしている。
 3つ目は、少女が養子であるという事、大切な人を亡くした父親は、足が不自由という理由で捨てられた少女を孤児院から引き取った。
 少女に友人は居ないと言ってもよく、本が先生であり友達であった。

 そんな少女に父親からプレゼントがあった。ハードカバーのその本は面白い事に、少女が寝ていればその間にページが増える本である。これは父親が少女の為にと物語を自分で考え、その本に直接書き込んでいるわけなのだが、少女はそれを読むのが楽しみで仕方がなかった。
 海の物語、旅の物語、数多くの物語を見た彼女はある1つの物語に出てくる登場人物に衝撃を受ける事になる。
 その登場人物の名は数理 何無(すうり いずな)、人々から忘れられ、自身の存在が消える事を望んだ青年。彼の存在は少女の中で、不可解であり惹かれる存在であった。
 何故彼はそれを望むのか、忘れられて寂しくないのか、悲しくないのか。
 疑問は浮かんでは消えを繰り返し、そしてある場面へと差し掛かった時に、少女は父親にあるお願いをした。それは青年がそろそろ自分が消える事を悟る場面。徐々に失う感覚、記憶、消えていくそれの中で青年は自分の目的が達成されようとしている事を喜んだ場面だ。
 この箇所を読んだ時、少女はパッと顔を上げて、ベッドの傍らに座る父親を見た。

「お父さん、わたし、この人に会いたい」

 少女は別に父親がこの物語を書いていると知っているわけではないが、父親ならどうにかしてくれるのではないか、というまさに藁にもすがる思いだった。


 今、彼が消える事を悟った黄昏時の世界に自分はいる。
 そして青年に会った時、願いが叶ったんだと、少女は心の中で大いに喜んだ。
 しかし、彼に伝えた言葉の返事は、思わず泣き崩れてしまいそうになるものだった。





「とりあえず、ベンチに座らない?」

 悲しみにくれる少女に、青年は公園の中にあるベンチを指差した。二人は余裕で座れるベンチは夕陽に向かうように置かれている。
 涙を拭いながら少女は頷くと、差し出された手を取ってベンチへと移動する。静かな世界に長い影が2つ。小さな影と大きな影。大きな影は小さな影を引っ張って公園の中に線を引いた。
 青年の足取りは、まるで少女の事を知っているかのようにゆっくりで、時折少女を心配するように後ろを見る。その度に青年と目が合う少女は悲しそうに俯いた。

「悪いけど、キミの言葉では物語の結果……ボクの未来は変わらない」
 
 青年の言葉に、少女は顔を上げた。繋いでいた青年の冷たい手に力を込める。この感覚も、青年には伝わらない事を少女は知っている。
 物語の中での青年は五感を含むあらゆる感覚が失われつつあった。本来なら歩く事も少女と話をする事も難しいはずである。
 それなのに、彼は今少女と言葉を交わして、手を引かれて歩いている。どういう事だと考えるも理解が追い付かない。そして、青年が溢した言葉も。
 青年は少女をベンチまで連れていくと、それに座らせる。少女が座ったのを確認して、青年もその隣へと座った。

「さっきの言葉は、どういう意味ですか?」

 落ち着いて数拍の後、少女は先程青年が言った言葉の意味を聞いた。顔を上げて青年を見る少女の瞳は潤んでいる。その顔を見て、青年は少し考え込むと、口を開いた。

「ボクが誰かは分かるよね?」
「……数理、何無さん……わたしが読んでる物語の、登場人物、ですよね……?」
「そう、ボクは数理何無。キミが読んでいる物語の登場人物」


 自分を語る青年から感じた雰囲気は、自身が物語から読み取ったイメージと近しく、淡々と言葉を紡ぐ。

「読者の声で物語の結末が変わるなんて事は本来ならあってはいけない事なんだよ」
「でも、わたしは悲しいです。あなたが消える事自体も、皆の中からあなたが消える事も」
「キミは、優しいんだね」

 目を細める青年はどこかそれに対して、寂しさを感じているように少女は思えた。
 一方の青年は本来なら僅か5歳の少女に語る事では無いが、この世界を感じた青年には、彼女に全てを話しても大丈夫だと確信した。

「じゃあ、キミが覚えていてよ」

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