小説

□消足 E
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 怒っているのだと思っていた。
 しかしどうだ、実際の彼女はすぐに気持ちを切り替えて自分の事を考えている。
 変な事を考えていた自分に内心嘲笑しながら、『本気』になり掛けて来たことを確かに感じていた。
 本当に、何してるんだろう。ボクは――



「まったくキミは……本当にお人好しだね」

「キミの記憶、物語と、物語を書いた本が無くならない限り、ボクは本当の意味で消えないよ」

 屈んでその涙を拭いながら、未だに潤んだ瞳を見つめ、青年は微笑んだ。
 その微笑みにさえ悲しみを抱く少女は、彼と目を合わせる事を拒むように俯くと、膝上に乗せた手に力が入る。
 どうにかしなくちゃ。
 喋りすぎた事を後悔した青年は、彼女が納得してこの世界から出る方法を模索する。
 この少女を説得させるのは至難だろうな。さてさて、ボクに出来ることは。

「キミの中にもボクがいるし、ね?」
「それはあなただけれども、消えてしまうあなたじゃない……」

 なんてこった。この子ここまで理解していたのか。
 少女の返答に、青年は思わず目を丸くした。
 今ここにいる少女が作り上げた青年の、数理何無の虚像は救えても、その基になった数理何無は救えないと言ってきたのだ。
 これは困った。どうすれば良い?
 自分が少女にこの世界を説明した先程と立場が逆転したように感じた。
 さて、納得してもらえる答えをボクの頭は考え出してくれるだろうか。いや、無理だ。今だって彼女の父親から言葉を借りている。


 待てよ。作者の頭を借りてるなら――

 辿り着いた答えは、ある意味で反則的なものであるが、そんな事はどうでも良かった。
 彼の思考を読む。
 少女の言葉を受けた彼はボクに何をさせるか読み、ボクがまた、物語に登場する機会があるかを探る。




「1つ、ゲームをしようか」
「ゲーム?」
「そう、キミとボクでね」

 青年の言葉に、少女は潤んだ瞳を向ける。嗚呼、悲しくなるからそんな目で見ないでくれ。
 喉まで出掛けた言葉を飲み込み、青年は先程の言葉の続きを話した。

「ボクはこれから『隠れる』から、キミはこの先読む彼の物語の中に隠れたボクを探してよ。ボクはボクでキミを探す。物語の外にいるキミをね。つまり――」

「ボクとキミ、どちらが先に相手を見付けられるか勝負しようよ。描写の中で、キミがボクを見付けられたらキミの勝ち。ボクだと明かされるまでキミが分からなかったらボクの勝ち」

 要は変なルールのかくれんぼだ。
 確かなのは、この先彼が書く物語にボクが再び登場出来るチャンスがある事。いつになるかは分からないが、きっと少女は納得するだろう。

 本当なら、そんな回りくどい事を言わずに、素直に『迎えにいく』とでも言えば良かっただろうか。
 彼の選ぶ描写次第ではどちらに転ぶか分からない。そんな不確かな勝負だが、勝敗はどうだって良い。

「だから、こんな黄昏、早く抜けてしまおうよ」

 昼、黄昏、夜。そして夜は必ず終わり、次の朝がやってくる。
 ボクの世界は夜になるけれど、朝が来ると信じている。
 キミという太陽がいるのだから、安心してボクは眠ることが出来そうだ。

 ぐぃと自身の目を擦り、少女は青年を見た。

「……はい」

 聴こえてきた返事は元気なもので、青年はまた手を伸ばすと、少女は微笑んでその手を取った。

「さぁ立って、キミの足で歩くんだ。どこでもいいから扉を『思い描く』んだ」

 青年に支えられ、少女は再びソウゾウされた大地を踏んだ。
 沈むべき時を知らない太陽が二人を照らし、少女は思わず腕で影を作る。

「でも」

 青年の言葉に、少女は青年を見上げる。改めて見上げてみて、自身が思い描いた青年は随分と小柄だと思う。

「ボクとはここでお別れだ」

 少女は青年から目線を逸らすと、差し出された手をぎゅっと強く握り返した。
 言葉ではなく、態度として現れたそれに、青年は少女が年相応だと、少し安心する。

「ははっ、やっと子どもらしくなったね」

 屈んで少女の顔を覗き込むと、少女は先程までの涙か、恥ずかしさか、それとも夕陽のせいか顔を赤くしてむくれた顔で青年を見る。

「あぁ、ごめんごめん」

 そういう所も子どもだ。
 言葉を胸に仕舞い込んで、青年は苦笑いを見せる。
 そんな青年を暫く見つめる少女に、はてと思うのとほぼ同時か、少女の瞳から涙が零れ、少女は青年にしがみつく様に抱き付いた。

「え……っ」

 物語の中でも滅多に見せない戸惑いの声も気にせず、少女はぎゅっと彼の制服を握り、彼の存在を確かめた。

「……ぅ……っ」

 耳元で聴こえた嗚咽混じりの声に、青年はハッとすると、黙って少女の頭を撫でる。

「ひぐっ、ぅっ」

 少女が暖かいと思えるこの感覚は誰のものだろう?
 自分の感覚はとうの昔に消えたはずで、この感覚に自信が持てない。ならば彼の感覚か。彼なら確かに少女を良く知っているだろう。

 誰かを暖かいと思うのは何年ぶりだろう。
 疑問を忘れてしまう程の懐かしい感覚に浸りながら、青年は静かに少女を宥めた。

「大丈夫」

「キミの中や物語の中で、いつでも会えるんだから」

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