小説

□消足 F
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 物語の中で会える。
 しかし、その間には登場人物と読み手という大きな溝があり、登場人物が読み手に干渉しても、読み手が登場人物に干渉出来るわけではない。
 それに、最初から読めば記憶もリセットされる。続きから読んでも、増える記憶は物語の中で起きた事だけ。
 彼女にソウゾウされたボクは彼女との記憶が残るけど、物語のボクは――




「いつでも会えるんだから、ね?」

 ゆっくりと少女から離れて、青年は改めて目を合わせる。
 我慢したくても出来ないのは分かっているし、我慢しなくとも良いと思う。だからこそ、彼女に泣き付かれたのがとても嬉しく感じられた。
 なんとか涙を拭おうと、服の袖で目元を擦る。それを見ながら視界の端に映ったものを確認するために顔を上げる。

「泣いてくれるのは嬉しいけど、キミがあまりにも遅いからかな、迎えが来たよ」

 その言葉に少女は顔を上げると、そこには自分の部屋にあるような木製の扉がある。
 夕陽を背に佇むそれは、少女の足元まで影を伸ばし、おいでと手招きしているような気がした。

「『夜』がキミに会いたがっている。魔法の時間はもう終わりだよ、裸足のお嬢さん(シンデレラ)」
「また……」
「ん?」

 青年の時間切れという言葉に、再び寂しさを覚えながら、それを堪えて少女は青年と目を合わせて笑顔を作る。

「また会いましょう、わたしが会いたかった人(王子さま)」

 少女の返しに参ったなと、苦笑いを溢すと、もう押さえきれない気持ちを溢してしまおうかと、屈んで少女の小さな手を口元へと運ぶ。

「あぁ、勿論だよ。キミにぴったりの硝子の靴を持って逢いに行くよ」

 目を伏せたまま、思いを告げると、少女の傷1つ無い綺麗な手の甲へキスを落とした。

「ふふ、キミには少し早かったかな」

 青年の行動の意味を知らない少女が疑問符を浮かべているのを見て、青年は笑みを溢した。

「わたし、あなたが恥ずかしくないように硝子の靴が似合う女性になりますね」

 何を言うのかと思うと、はてさて少女はどこまで本気なのか。
 似合うとかじゃないんだ。ぴったりなんだよ。
 ありがとうと返す裏で、やっぱり早かったなと、青年は自身の行為を少しばかり後悔した。

 名残惜しそうに、青年の手を離し、少女はゆっくりと扉へと向かう。
 気を抜けば追い掛けて抱きしめてしまいそうな心を押さえ付けて、青年はその様子を黙って見ていた。

 最後に嘘を付いたことを許して欲しい。
 ボクはキミの事が好きだ。キミが物語を読み始めたあの時から、ボクはずっと向こう側にいたキミに最初で最後の恋をしていたんだ。

「さようなら……」

 無意識に出た言葉は風に乗り、少女の元へと届く。
 それが聴こえたのか、タイミング良く少女は振り返ると、青年を見つめた。

「また明日――」

 夜が来れば朝も来る。
 少女の言葉に、自分の朝があることを思い出すと、自然と元気が出てきた。
 本当にこの子は少女なのかとか、そんな考えはとうになくて、1人の女性として少女を見なければならない。そうして見たとき、少女は青年にとって魅力的な女性だった。

「ねぇ、最後にキミの名前を聞いてもいい?」

 青年は本当は少女の名前を知っている。
 だが、少女から直接聞きたいと、青年は思った。
 少女はそれに、失礼な事をしていたなと思うと、ごめんなさいと小さく謝罪の言葉を呟いた。

「淡島(あわしま)……昼子(ひるこ)です」
「昼子、良い名前だね」

 青年の言葉に、少女は少し顔を赤らめると、ありがとうございますと小さく返す。

「またね、昼子ちゃん」
「はい、また。何無(いずな)さん」




 夕陽が沈む町に、小さな影が1つ。
 茜色を乗せた黒髪に、茜色に染まった白いマフラー、男性にしては少し小さな学ラン姿の青年は、時間が進み始めた世界を見つめた。
 もうすぐボクは消える。
 少女がいなくなった世界では、それに対して恐怖を感じることもなく、ただ時が早く訪れる事を望む。

「さっきまで、楽しい時間を過ごしていた気がする――」

 少女の事はもう思い出せなくなっていた。

「あぁ、ボクはこれで……」

 夕焼けの町に溶けるような、そんな気分に包まれながら、青年は静かに、眠るように目を閉じた。


 おやすみなさい――。


 その後この町に通り雨が訪れた事を青年は知らない。






「おはよう、ご飯持ってきたよ」
「お父さん……素敵な事をずっと覚えているにはどうしたら良いかな?」
「そうだね……毎日思い出すか、本や紙に書くのが良いんじゃないかな?」

 枕元に置いてある本には白紙のページがまだまだたくさんある。
 それを確認すると、少女はベッドの傍らに置かれた戸棚の上にあるペンたてから、鉛筆を一本取る。

「良い夢を見たのかい?」
「うん、とても素敵な夢を見たの」

 少女が書いたものは一体どんな事だろうか。
 それを知るのは少女だけ。

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