小説

□その男、有能
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 自身に起こった事が理解出来ず泣きじゃくる幼なじみを相手に、少年は離れづらくなってしまう。
 なんというべきか、色々とマズイ状況である事は確かで、こんな状態を『兄貴』に見られれば俺は確実に地獄に送られるだろう。
 しかし、だからと言って自分の勝手で緋音を振り回すわけにはいかない。
 どうすれば、彼女は笑うだろうか。



第2話 その男、有能



「緋音」

 自身の胸に顔を埋める幼なじみの名を優しく呼ぶ。
 名前を呼ばれた事に気付いた緋音はゆっくりと顔を上げ、紫郎を見上げた。その目元は赤く腫れ、目尻には涙が溜まっている。
 涙で濡れ、少し赤くなっている頬を両手で優しく包むように触れると、その頬を指で摘まみ引っ張った。

「ひひゃっ!?」

 強い力はかけずに、だが手は抜かず、適度に痛みがいくように。紫郎の咄嗟の行動に驚いた緋音は変な声を漏らした。

「おいおい、少年少女ー盛るなよー俺の居場所なのに居づらいとか死にたくなるから」

 緋音の声を聞いてか、先程まで机に向かって仕事をしていた保健室に居座る教師が言葉を発した。

「すいません、ちょっと喝を」

 仕切りから顔を出して、紫郎は教師を見た。
 火の点いていない煙草をくわえた脚を組み余裕たっぷり笑みを携えた、貫禄を持つ女性がそこにいる。
 彼女がこの保健室の番人、酒井ツツジ。男らしい口調と発言が目立つ教師らしくない教師だ。
 ツツジは煙草をくわえたまま口角を上げ、紫郎を見ると、事務机の引き出しを漁り始める。

「ゴムいるか?」
「死んで下さい」
「ひょっひょ!はひゃひにゃはいよっ!」

 頬をつままれた緋音が叫ぶ。ツツジとの会話で忘れてしまっていた行動を解除した。
 すぐさま頬を押さえて、恨みが籠ったような目で緋音は紫郎を見つめる。
 紫郎は緋音の頭を優しく撫でると、ベッドから離れて、そのまま緋音の荷物が置かれたソファーに腰掛けた。
 緋音はその背中を見つめると、少ししてから紫郎がやってくれた事を理解した。

「んー吾妻ーお前相模と出来てるんじゃないのか?」
「出来てませんよ何も」
「嘘つけぇ、いつも一緒に登校してるんだろ?あのピュアな枡崎がお前らがヤろうとしてたなんて知ったら、顔真っ赤にしててめぇらに突撃するんだろうなぁ」
「変な事言わないで下さい。あと、枡崎先生で遊ばない方が良いと思います」
「かたっ苦しい枡崎がわりぃんだろが」

 オーバーアクションで両手を上げるツツジに、後手に回る紫郎は言われっぱなしでは埒があかないために良い手は無いかと考える。
 そして1つ、思い出した噂があった。緋音と紫郎のクラスの担任教師はおっとりした天然教師の志堂京太郎。京太郎と話していた時のツツジの反応がおかしかったらしい。
 話によるとまるで――

「失礼します。酒井先生」
「し、志堂先生!?」

 保健室に大柄で、少し癖毛の優しそうな印象を受ける顔立ちをした男性が入ってきた。天の助けか、ご本人の登場に顔には出さなかったが紫郎も驚く。
 そう言えば先程授業終了のチャイムが鳴っていた気がする。となると、緋音を心配して様子を見に来たのだろう。
 一方のツツジも京太郎の登場に驚き、そして驚いた事に顔が赤いようだ。

「酒井先生、相模さんの様子はどうですか?」
「え、あ、さ、相模さん、ですか!?日射病に似た症状が出てたので涼しい所で授業を受けさせれば大丈夫かと!」

 緊張しているのか、先程の姿からはまったく想像出来ないギクシャクした姿に、紫郎は全てを察した。
 噂は本当のようだな。

「志堂先生……」
「相模さん良かった、もう大丈夫ですか?」
「あ、はい……」

 本当に大丈夫とは言えないのは確かだ。しかし、下手に事を荒げるわけにもいかない。
 緋音がちらりと横目で紫郎を見る。目が合った紫郎は小さく頷いた。緋音も同じ考えのようだ。

「先生、俺の席が廊下側なので代わってやりたいのですが」
「吾妻くんありがとう、その件に関しては二人に任せるよ。それにしても吾妻くんまで帰ってこないから一大事なんじゃないかと思って……杞憂で良かった。枡崎先生も心配していましたよ、君がぐったりした相模さんと鞄を背負って食パンくわえたまま血相変えて飛び込んできて、あの時は殺されるんじゃないかって」
「その話の流れだと枡崎先生が自分の身を心配していた事になりますが」

 紫郎はある意味状況が悪化したようにも思えた。
 しかし、いつもならば茶々を入れるであろうツツジが全く言葉を発しなくなった事には少し安堵した。このまま京太郎と保健室から出れば良いだろう。

「先生、次の授業が……」
「あ、次は僕の授業だったね、職員室に物を取りに行ってくるから二人は先に行っててよ」
「はい、失礼します」

 緋音の荷物と自分の荷物を持って、紫郎は緋音と共に保健室から出た。まだ完全に調子が戻っていない緋音の背中を優しく支えて教室へと向かう。

「緋音、1人で歩けるか?」
「うん、大丈夫。ごめんね、シロー鞄持ってもらって」
「お前の不安も、苦しみも肩代わり出来ないからな……これぐらいさせてくれ」
「ありがとね、シロー」

 二人の教室は4階建ての校舎の3階だ。本当なら緋音も抱えて代わりに階段を登りたいが流石にそこまでの体力は無い。
 柔道でもやっておくべきだったと、今から柔道部部室に駆け込みたいぐらいに紫郎は後悔していた。緋音の言葉に頑張れそうな気がしてきたが、やらなくてはならない事があった。

「すまない緋音、先に行っててくれ」
「う?うん、後でね」

 紫郎の言葉に少し疑問を感じた緋音は不可解そうに返事を返すと、さらに階段を上がっていく。
 その様子を少し見守った後に、紫郎は制服のズボンに入っていた携帯を取り出した。キーを押して、電話帳を開くとある連絡先を開いた。そこにあるのは『相模紅助』の文字。
 一拍置いて電話を掛けると、携帯を耳に当てた。
 何回か呼び出し音がなった後にがチャリと音が鳴って電話の向こう側から男性の声が響く。

「紫郎か、どうした?」
「実は、兄貴さんに相談したい事がありまして、今日家に帰れませんか?」
「――お前が俺に電話を掛けてきたって事は……緋音に何かあったのか?」




**********

 志堂先生の社会の授業、午後の体育、国語、英語。
 凄まじい早さで1日が終わっていくような感覚があった。緋音の席はクラスの後方だったという事もあり、彼女の様子を見ていたが、やはりショックは拭えないようで、上の空のようにぼーっとしているような印象を受ける。
 自分はとりあえず、授業内容を教師の雑談まで要約してノートに書き込んだ。いつもならまだ雑にこなしている作業であったが、緋音を気にして気が気じゃない紫郎は何か作業をしていないと落ち着かない状況にあった。
 このままだと、今日の生徒会の仕事も出来ないだろう。自身も生徒会会計という立場である意味良かったような、そうでないような。
 緋音1人を帰すわけにもいかないし、どうしたものか。
 授業の合間に生徒会長と連絡を取り合い事情を説明した。と言っても全てを話したわけではない。
 返ってきたメールに、要約すると今日はこちらだけでやるから先に二人で帰って良いという事が書かれていた。すいませんとお礼の返事を送ると、気にしないでという文と可愛らしい絵文字が返ってくる。あの人は本当に不思議な人だ。
 この学校の生徒会長、源碧は見た目からして不思議な人物である。制服の下は包帯、更にその下は傷だらけで、痛々しい外見的特徴を持つ。過去にも色々とあった人のようだが、過去については彼自身も、親友である副会長も話そうとしない。とにかく不思議な人物なのだ。
 頑張ってねシローちゃん、最後にそう書かれたメールが来て、彼との会話は終了した。

 放課後、生徒会長に話をつけた事を伝えて、紫郎は緋音と共に帰路へとついた。
 陽が落ちるにつれ、緋音は段々と元気を取り戻し、帰り支度を終えた頃には生徒会に行こうとも言ったが、紫郎は緋音に会長達に甘えるべきだと伝え引っ張るように学校を出た。
 夕焼けの光を浴びながら、二人は何処にも寄らずに真っ直ぐ家を目指す。本当は緋音が腹が減ったなど色々言うのだが、紫郎は上手く誘導して緋音を連れて行った。途中、いくつかアイスだけ買って。

「シロー、何だか急いでない?」
「あ、言い忘れていたな、兄貴さんに連絡しておいた。今日帰ってきて相談に乗ってくれる」
「ホント!?早く言ってよ!」
「緋音は兄貴さんが帰ってくると知るとそわそわするからな、いつもの調子で言わなかったようだ」

 緋音は兄貴である相模紅助が好きで、同じ町内だが離れて暮らしている紅助が帰ってくると聞くと昔から授業中も落ち着かず、何を話そうか考えるらしい。(逆に兄貴さんも全く同じで仕事に身が入らないらしい)
 ある日紅助から紫郎に、アイツは俺に似てるから今度から家族に内緒にしてお前にだけ伝えておくからその時はアイス買っとけと言われたのだ。

「だからアイス買ったんだ」
「あぁ、こう言う時は3人でアイスを食べてたからな」
「じゃあ溶ける前に早く行こうよ!」

 緋音に急かされながら、二人はいつもより早い帰宅をする。

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