小説
□その男、兄貴
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紫郎から連絡があった。
紫郎の声も重たく、彼の様子が緋音の身に起きた状況を物語っていた。同僚に無理を言って仕事を早く切り上げ、緋音が帰ってくるよりも早く実家へと帰る。
緋音はどんな状況なのだろうか、迎えに行った方が良いのか。そわそわと落ち着き無く今は使われていない2階にある自分の部屋を歩き回る。サングラス越しの顔は心配からくるイラつきを抑えられないようだ。
落ち着くために煙草を取り出し、火を点けるとベッドに座り二人の帰りを待つ。腕を組めば、指が動き無意識に腕を叩く。
間もなくして、バタバタと騒がしい音が下の階から響いた。帰ってきた。
「緋音!」
部屋から飛び出し、階段を駆け降りる。階段の前にある玄関に二人の姿を確認した瞬間。
「兄貴お帰り!」
緋音は紅助に飛び付いた。
そのいつも通りの元気さに紅助は拍子抜けしたようで、思わずくわえていた煙草を落としそうになる。
「超元気じゃん……」
紫郎はこんなはずじゃと言いたげに頭を抱えた。
第3話 その男、兄貴
「なるほどねぇ……緋音、口開けて見せてみろ」
夕飯を終わらせ、紅助の部屋へと集まった3人はまず紅助に事情を説明した。
緋音が朝倒れた事、犬歯が異常に発達した事、そして紫郎の手を噛み血を飲んだ事。
紅助は緋音の歯を確認すると、紫郎から更に詳しい話を聞いていく。
確かに本人は一応元気だが、状況は深刻なようだ。
「緋音、ホントに紫郎の血飲んだのか?」
「あの時は無意識だったから良く覚えてないんだけど……気が付いたら口の中で血の味はしたよ」
「相手が紫郎で良かったような悪かったような……」
「兄貴?」
複雑な心境は置いて、紫郎から貰った情報と、緋音の心理情報から推測していく。と言っても、紅助には思い当たる事があった。
だがそれを信じたくないという思いもあった。しかし、この状況はどう見ても『あれ』だ。
緋音は心配そうに考えこむ紅助の様子を見ている。一呼吸すると、紅助は2人を見た。
「すまねぇ紫郎、アイスくれ、食べながら話そう」
3人にはそれぞれ好きなアイスがあった。
それを食べながら話をする時、それは決まって大事な話な事が多い。何故食べながら話をするのか、それはアイスを食べることで少しでも明るくなろうという意味合いがあったのだ。
紫郎は下の階の冷蔵庫からアイスとスプーンを持ってくると、紅助と緋音に渡していく。紅助のは小豆抹茶のカップアイスで、緋音はバニラアイスとソーダのフロート、紫郎はスイカのようなアイスバーだ。
「いただきます」
3人はアイスを食べ始めた。最初はザクザクと凍って固まったアイスを崩す音が響く。それから少しして、紅助は話を切りだした。
「緋音、紫郎、覚えてるか。昔、夏休みに3人で町の北にある富間神社に遊びに行った事あったろ」
「あったっけ?」
緋音は少し考えてから、思い当たらないと答えた。一方の紫郎は何か思い出したようで、アイスバーの先端部をかじると、紫郎はどうだと注目する二人の方を見た。
「兄貴さんが兄貴さんになった日ですか」
「え?」
「やっぱり紫郎は覚えてたのか、あんなに怖い思いしたのに」
「兄貴、どういう事?」
もう、何年前の事だったか。
確か10年前の夏、当時11歳の紅助は当時7歳の緋音と紫郎を連れてこの町の北の山にある富間神社へと遊びに行った。
「俺、今教会にいるだろ?あれが切っ掛けだったんだよ」
富間神社の境内へと続く石造りの階段で、3人は『それ』に出会ってしまった。
あの日、鳥居を潜ればいつもは耳障りなほどに五月蝿い蝉の声が一切聴こえなかった。しかし、それは今思えばという話であって、当時は全く気にならなかった。
紅助を先頭に3人はゆっくりと階段を、それこそ遊びながら進んでいた。
突然、近くの茂みが揺れて何かが3人の前に飛び出してきた。黒く大きな身体を持つ、鬼のような角がある牛のような二足歩行の化け物。
最初は大人が化けているのだと思ったが、どうも様子が変で、目は血走り、明らかに興奮した様子だった。
「お兄ちゃん!」
驚き怯えた緋音が、紅助の後ろに隠れた。その声に反応して、化け物が飛び掛かる。紅助は二人を庇う様に前に出た。
「紫郎!緋音を連れて逃げろ!」
怖いとか、そんな感情を感じる暇も無かった。
化け物は紅助を大きな腕で捕まえると、握り殺すかのように絞めあげ、紅助は我慢出来ず叫び声を上げる。
だが、それが幸運だった。
銃声と共に化け物も腕が引き千切られるように吹き飛び、紅助は石造りの階段に叩き付けられる。化け物の腕がクッションになり軽い衝撃で済んだ紅助はすぐに身を起こし銃声が聞こえた方を見た。
階段数十段上に、コートに教会で見た神父服を来た男が銀色に輝く拳銃を持ってそこにいた。
「ちょこまか逃げやがって、手間取らせるんじゃねぇよ」
ゆっくりと階段を降りながら、化け物が動くよりも速く男は何度も引き金を引く。何かが落ちる金属音と、大気を震わせる程に大きな音、乾いた靴音。
紅助はその場から動く事も出来ずただ黙ってその様子を見ていた。
「闇は闇に還りな」
首を撃ち抜き、吹き飛んだ首に更にもう一発弾丸を食らわせる。
化け物の身体が黒い塵になって空へと消えた。男はそれを確認すると呆然としていた紅助の元へと歩み寄り、頭を雑に撫でた。
「うわっ」
「良く頑張ったな、坊主」
「坊主じゃない!相模紅助だ!」
手を振り払い男を見上げる。褐色の肌に白髪の外国人風の男で、サングラスを掛けている。
神父服の胸元に光る十字架は男が聖教徒である事を表していた。だが、口には煙草と先程までの出来事が紅助が抱いていた神父イメージからはかなり離れた存在だった。
「コースケ……良い名前だ。とりあえずこっちに来い、お前の連れを保護してる」
その後、男に連れられ神社の方まで行くと、男の仲間と思われる神父達が泣く緋音を何とかしようと悪戦苦闘していた。
「お兄ちゃん!」
紅助を見るなり飛び付いてきた緋音は兄の無事を確認すると、怖かった思いを涙と共に流した。
「こわ、かった、よぉ……!」
紅助は緋音を抱きしめると、やはり怖さよりも何も出来なかった事が悔しくて、溢れだしてくるものを抑え切れず静かに涙を流す。
「お、れ、あかねも、しろーも守れるぐらい、つよく、なるっ!」
更に緋音を抱きしめて叫んだ言葉に、紅助を助けた神父はニヤリと口角を上げると、自分の胸に下げていた十字架を外し、紅助の前に差し出した。
何の装飾も無い、シンプルな十字架だ。
「紅助、お前は良い兄貴になる。覚悟が決まったら、これを持って教会に来な……お前を、一人前の退魔師にしてやるよ!」
「退魔、師……?」
「今日はもう帰んな、あばよ、兄貴」
その数日後、紅助は男から預かった十字架を持って教会の門を叩いた。それからは表向き神父として、裏では退魔師としての修行を積んだ。
町に不思議な存在が潜んでいる事、紅助が退魔師になった事、教会が裏でそんな事をしていた事も、緋音と紫郎は紅助の話を聞いて改めて知る事になる。
幼い緋音は恐怖からか、いつの間にかあの日の出来事を忘れ、紅助と紫郎は緋音のためにもこの事は黙っていようと決めていた。
あれから10年、緋音に起きた異変は10年前のそれと同類であった。これに絡んだ者は不思議な力を得る例があるという、もしかすれば緋音にもそれが備わっているのかもしれない。
「緋音、良く聞け。お前が力を暴走させたりしなければ、教会はとりあえず黙認するだろう。もしお前がその中に眠ってる力を暴走させれば、教会は全力でお前を消しに来る」
「――――っ!」
「でもな、安心しろ。俺はお前の兄貴だ。お前の力を狙った奴が来ようとも、例え教会を敵に回しても、世界を敵に回しても、絶対にお前を護ってやる。だから、お前はそんな力に負けるな、もしお前の中に変な奴がいるなら捩じ伏せて子分にしちまえ!」
紅助の言葉に緋音は少し唖然としたが、食べ終わったアイスの棒を名残惜しそうにかじりながら紫郎が呟く。
「兄貴さんらしいな。あと、俺も兄貴さんと同じ考えだ」
「学校は任せたぞ紫郎!あと寄ってくる変な虫も潰せ」
「出来る限りの事はやる。前者も後者も」
「兄貴もシローも……ありがとう、私……頑張る」
無意識に溢れた涙を拭い、緋音はアイスの残りを一気に掻き込む。好きなアイスと二人の言葉が不安を何処かへと連れていってくれた。
「行動から言って、吸血鬼になった可能性があるな。教会で調べて来るから、下手な事はするなよ?後、昼間外に出る時は日傘な」
「うん!よろしくね、兄貴!」
「あと、何か異変を感じたら俺に教えろよ、それと身体能力も上がってるかも知れないからどこかのタイミングで身体動かして様子見てみろよ」
「わかった!じゃあ久しぶりに3人で寝ようよ!」
「俺とは良いが紫郎とは許さん」
「兄貴さんこうなったら止まりませんよ」
布団を用意する緋音を手伝いながら、項垂れる紅助に紫郎は声を掛ける。一瞬殺気を感じたが、緋音が紅助に布団を押し付けた事で解決した。
「ほら兄貴布団敷いてよ!」
「兄貴さん真ん中で良いですよ」
「紫郎お前見直したわ」
楽しい声が響く家を、向かいの家の屋根から静かに見ている影があった。
月明かりに照らされた黒いマフラーが風になびく。月の逆光から影が出来た顔は、どこか悲しさと羨ましさを見せていた。