小説

□その会長、不運
1ページ/1ページ

 清々しい朝、こんな日には爽やかにクロワッサンでもかじりながら、そして優雅に紅茶でも飲みたいものだ。
 しかし、今自分の目の前にあるのは電子レンジで温められたご飯に、レトルトの味噌汁、そしてぐちゃぐちゃの元目玉焼き。

「なんだよその目は」

 別に気に入らないわけじゃない。
 毎朝家までやって来て、ここでご飯を作って一緒に食べる幼稚園からの付き合いの彼、大城蒼司が不器用なのは今に始まった事じゃないし、むしろ用意してくれて感謝してる。
 視線に気付いた親友は怪訝そうな顔をして言葉を漏らす。湯気が立つ味噌汁を口元に運んで、言葉を返した。

「んや、そーちゃん相変わらず下手くそだなーって」
「じゃあそれ全部返せやテメー!」

 独り暮らしの学生ばかりが住むマンションの一室に、雲も少なく綺麗な青空が広がる晴れやかな朝に似つかわしくない怒声が響いた。



第4話 その会長、不運



「くそがー!何がそーちゃんを『毎朝僕、源碧を起こす名誉ある役職』に任命します☆、だ!ざけんな!それのせいで俺は1時間早く起きなきゃいけなくなったんだぞ!」

 昨日と同じ怒声が台所から響く。水場から水が勢い良く出て落ちる音、物が互いにぶつかる音からして、彼は食器を洗ってくれているようだ。
 じゃあやらなきゃ良いのに、そう思いながら自身の部屋に置かれた少し小さめの姿見に向かう。
 寝癖が付いた黒髪、前髪は鏡から見て左目に掛かるまで伸び、その下から包帯が顔を覗かせる。みぎの頬には傷もいくらかあり、口元も切れて血の痕と瘡蓋が残っている。
 首から下は更に酷い物で、何故彼が生きているのか不思議なぐらいだ。首に巻かれた包帯、左胸にあるガーゼはちょうど心臓辺りを隠し、両腕に雑に巻かれた包帯からは切り傷や火傷のような変色した肌が見える。
 青く変色した肌が多く見える腹部にも大きな傷があるのか右脇腹にもガーゼがあるが、これらの傷に全て共通するのは医者のような者からのきちんとした治療を受けていないという事だ。
 心配されては困るから、その理由で、両腕、腹部、左胸を隠すように包帯を改めて巻いていく。

「お前、また傷増えたな」

 水仕事を終わらせて部屋に入ってきた蒼司が、鏡に映るように顔を出して呟いた。

「やんっ、そーちゃんのエッチ」
「傷増やしたろか」

 二人をよく知る者たちならいつも通りだと思うやり取りをした後、左胸に触れて、碧は鏡を見つめた。
 何か言いたい事がある事だけは察した蒼司はさっさとしろよなと呟くと、包帯を取り出し碧の作業を手伝う。
 いつも何も訊かない親友に碧は心の中で感謝し、思わず笑みを溢す。

「そーちゃんってさぁ」
「ん?」
「良いお嫁さんになれるよ、見た目酷いけど料理美味しいし」
「よーし待ってろ今傷に響くようにキツく絞めてやる」



 1時間後、碧は赤い学校指定のネクタイを絞めて漸く登校の準備が整う。
 碧のベッドの上では早起きしたせいで眠気に負けた蒼司が寝ていた。手伝うって言ってたのになぁ、呆れたように彼を見るが、怒りからくる苛つきなど起こるはずもなく、湧くのは悪戯心のみ。
 包帯が巻かれた手で、キュッと蒼司の鼻を摘まんだ。




「いいよシロー……自分で傘持てるから」
「お前まだパン食べてるだろ」
「で、でもさぁ、皆からの視線が……」

 いつもの通学路に、いつもとは違う見慣れぬ光景があった。
 相模緋音と吾妻紫郎の二人が雨が降る様子も無い天気の良い朝から、遮光の徹底した黒い日傘で相合い傘をしているのだ。
 声を掛けられた二人は各々「昨日緋音が倒れたから」、とか「紫郎ってば心配性で」と出来るだけそれらしい理由で受け流した。

「いやー朝から熱いねお二人さん、僕達の方が熱中症になりそうだよ」
「あ、碧先輩」

 そんな緋音と紫郎に声を掛けたのは碧だが、何処か顔が腫れたように赤く、腹部が気になるのか左手で擦っている。隣にいた蒼司は右手を上げてよぉと挨拶すると、ズボンのポケットに手を入れて知らん顔した。

「……また大城先輩に蹴られたんですか?」
「そーなんだよーそーちゃんの鼻摘まんだら顔にまず裏拳食らってその後お腹にも1発入れられちゃったんだよー食らい慣れてる僕じゃなきゃ1時間は再起不能だね」
「自慢気に言うなよ」

 蒼司は昔から空手などの武道をいくつかやっていた。今は受験だ生徒会だと忙しい為に止めているが、進路が決まればまた始めるらしい。
 そんな蒼司の裏拳や蹴りを食らっても動けると得意気な顔をする碧は一方で、緋音に『親近感』にも似た違和感を感じていた。
 初めて感じるものにはてと疑問を覚えながら、碧は二人に再び声を掛ける。

「今日が志堂先生だからってあんまりゆっくりしてたら大変だよ?」
「分かってます」
「会長、今日は生徒会に行きますので!」
「なんだぁ、相模もう大丈夫なのか?」

 端から見れば会長、副会長、会計、書記が集まった学校内では豪華なメンバーが揃っている状態である。
 その中でも相模緋音は2年でありながら皆から後輩の様に可愛がられていた。

「そーいや、松波が相模の事心配してたぜ、生徒会に来るならちゃんと声掛けとけよ」
「もちろんですよ!」

 生徒会にはもう一人、三年生がいる。松波黄菜子という名前の書記で、彼女も緋音を妹の様に可愛がっている。
 今年の生徒会には1年はいないが、部活連合や委員会には顔を出しているので1年ともそこそこ交流はあり、1年の中でも生徒会は意外と注目されている。

「じゃあ放課後にまたね」
「はい、放課後にまた!」

 元気良く返事を返す緋音は好かれやすい人物だ。




 授業を終えて、放課後、日が沈み始める少し前から生徒会の活動が始まる。
今日やって来た図書委員会の委員長は図書整理の為の目録作りの経費と、夏休み中に終わらせたいのでもし間に合わなかったら手伝ってほしいという話をしに来た。

「私で良ければ手伝いますよ。グレイ先輩」
「グッド!アカネさんが来てくれるなら委員達が喜びますヨ、猫に小判、花より団子ですネ」
「大袈裟ですよー」

 グレイ・ウルフ図書委員長は、両親の仕事の都合でイギリスから憧れの日本へやって来た、夢見る灰色がかった綺麗な銀髪碧眼の長身細身な色白の青年で、本が大好きな文学青年でもある。
 彼の日本語は本から影響を受けたのか不思議なものだが、学業の成績は学年トップの碧と常に1位争いをしている事からして、語呂が良いから使っている印象を受ける。
 渡された経費の書類に目を通しながら碧はグレイと緋音の会話に横槍を入れる。

「もれなくシローちゃん付いてくるけど?」
「Oh、それは鬼に金棒ですネ、心強いデス」

 ちなみにグレイもまた緋音を可愛がる者の一人である。初対面の黄菜子に対しては大和撫子と褒めて、緋音の事を向日葵だと言った。
 だからと言って『兄貴さん』からの使命がある紫郎とは仲が悪いわけではなく、むしろ通じるものが有るようで、英語の文法を訪ねて来たグレイに聞くこともある。
 一方で碧とは何処かそりが合わないのか、二人が揃う生徒会室は緋音が居ないとピリピリするらしい。
 実際、昨日緋音が居ない事を知ったグレイは碧と互い顔を合わせてニッコリ笑みを交わすとそそくさと出ていった。

「今日相模が居て良かったよ……また昨日みたいになるかと思ったわ」
「どういう事ですか?」
「何となく分かりました」
「ふふ、緋音さんには分からない事かも知れませんね」

 事務処理の終了を待つ為に、生徒会室に備え付けられているソファーに腰掛けるグレイに、冷えた麦茶を用意した鴉の濡れ羽色とも例えられる艶のある長髪が特徴の黄菜子は、蒼司と後輩二人の言葉に笑い、グレイの隣に座る昨日倒れた緋音にも無理をしないようにと麦茶を渡す。

「どうぞ、私の家で作ったお団子もありますよ」
「黄菜子先輩のお団子!食べます!」
「おーおー元気良いなーホントに倒れたのかぁ?」

 黄菜子が緋音の眼前に出した三色団子が早速一本無くなった。
 少し遅れてから蒼司にも麦茶を用意した黄菜子は、仕事をする碧と紫郎の様子を見るが、この二人は決まって仕事が終わってから食べる為、二人の為に団子を4本別の皿に移すと、もう1枚の皿に緋音に取られないよう2本置いて、グレイの元へと運ぶ。

「どうぞグレイさん」
「ありがとうございマス、キナコさんのお団子が食べれるなんて今日はラッキーデーですネ」
「ホントですよ!」

 グレイの言葉に緋音が同意した。
 ですよねぇとグレイがそれに更に同意を重ねる為に緋音を見る。

「Ohーアカネさん、ほっぺが膨らんでハムスターみたいですヨ」
「相模、ちょっとこっち向いてみろよ」
「ふぃ?」
「ぶふっ!パンパンじゃねぇか!」

 笑って緋音の頬をつつくグレイと、緋音の顔を見て笑い声を抑えられない蒼司、その様子を見て微笑む黄菜子と紫郎、恥ずかしさで顔を赤らめる緋音。
 ぼんやりとその景色を見ながら、碧はやっぱり良いなと、皆とは少し違う何か別の事を考えていた。
 紫郎は書き終わった書類を碧にチェックしてもらおうと、その方を向く、何故か上の空の碧に不思議に思いながら声を掛ける。

「源先輩、書類出来ました」
「ん?あぁ、ごめんね、ありがとう」
「何かあったんですか?」
「いや――……そうだね、朝蹴られたお腹が痛いかな」

 誤魔化すように笑う碧にそうですかと、納得の言葉だけを返す。碧のチェックが終わった書類を紫郎へと返すと、紫郎は生徒会室の金庫へと向かう。
 この学校では部費の管理を生徒にさせている。それによる管理能力を高めさせようという狙いがある。一方委員会は学校での公の活動になるので生徒会に書類を出して申請して費用を貰う必要がある。
 この学校に赴任した警備員はいつも大変そうだと碧はつくづく思っている。

「これが費用になります、追加があればまた申請して下さい」
「Okですヨ、では生徒会の皆さんご機嫌ヨーあ、そうだアカネさん、今度シローくんとラーメン食べに行きましょウ」
「ラーメン!行きます行きます!」

 餌付けされてると周りが思う中、グレイは紫郎から封筒と書類を受け取ると爽やかにウインクをして生徒会室から出ていった。
 すっかりと陽も落ち始め、生徒会室から顔を出せば校舎内は静かで、今日はもう誰も来ないだろう。

「んーもう来ないっぽいかな、黄菜子ちゃんとそーちゃんは帰っても良いよ?シローちゃんは最後の片付けがあるから、緋音ちゃんも一緒に居残りかな?」
「そうですか?では家の仕事を手伝うのでお言葉に甘えて」
「黄菜子先輩ごちそうさまでした!お団子すごく美味しかったです!」
「ふふ、ハムスターになるまで夢中に食べてくれて嬉しいですよ」

 黄菜子の言葉に笑われた事を思い出した緋音は再び顔を真っ赤にする。黄菜子は帰り支度を手短に済ませると、ご機嫌ようとグレイと同じ挨拶をして一足早く帰宅した。
 蒼司は帰る様子を見せない事からして、碧と帰るつもりなのだろう。
 早く帰れるようにと手早く図書委員会への事務内容をまとめる書類を作成していく。活動報告と、業務内容の報告に必要な書類だが毎度作るのはなかなか面倒だ。

――明後日は日曜日ー
――皆が休む安息日ー
――でも俺は仕事だばっかやろー
――俺達にも奴等にも安息日なんてありゃしないー

 廊下から聴こえてきた変な歌に蒼司は顔を上げた。

「なんだ?」
「蒼司先輩?」

 段々と声は大きくなり、歌詞もはっきりと耳に入るようになる。廊下をゆっくり歩く足音まで聞こえてくる。この声の主を碧は知っていた。
 碧は顔を上げて怪訝な顔をすると、

「――帰るんだ」
「え?」
「良いから皆帰るんだ!」

 碧の叫びに生徒会は静まり返る。それとほぼ同時に、足音と歌が止み、生徒会室の扉が開かれる。
 現れたのは褐色肌に白髪の神父服の上にコートを羽織った男。
 サングラス越しの目は事務机に向かったまま顔を曇らせる碧を捕らえ、ニィと口元を歪ませるとくわえられていた煙草の紫煙が揺らぐ。

「よぉ、いつもの帰宅路で待つの面倒だから会いに来たぜぇ……源碧、いや、化け物さんよぉ」

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ