小説

□その神父、凶暴
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 ここ数年の間、ずっと逃がしている『獲物』がいる。
 それを追い始めたのは4年前の事で、ある学生が病院送りにされたという事から事件は始まった。
 教会からの命令で『こちら側』との関係性は無いか調べに行くと、病院送りにされた学生は面白い事を話した。
 誰にも触れられていないのに殴られたと言うのだ。そう、手も届かない5メートルほど先に相手は居たのに自分は殴られたという。
 既に何度も殴られ、本来なら立てないほどにぼろぼろの相手は、ゆっくりと学生の元へと歩み寄り、痛みに悶え倒れ伏した学生を見下ろして、こう一言呟いた。

「これが君が僕に、そして僕の友達やった事だ」

 と、その学生は逆らう奴には容赦しない人でなしな奴だったが、教会はそういう奴は放置して『人間に害を与えた化け物』を狩るワケだ。
人間の歴史なんてそんなもんさ。

 セーフティを解除して、引き金に手を掛けたまま銃口を碧に向ける。銀で作られたグリップに綺麗な装飾が施された工芸品の様な銃は、これまでに多くの命を奪ってきた。

「同情するよ、アンタには」

 耳を塞ぎたくなる程の爆音は大気を震わせて、放たれた銃弾は碧の心臓を貫いた。



第5話 その神父、凶暴



 あまりにも一瞬だった。
変な歌を歌いながら神父がやって来て、碧が化け物呼ばわりされたと思ったら、碧が神父に撃たれた。

「え……?」

 どさりと何かが床を叩き、状況の整理も出来ずに、言葉を漏らす事しか出来なかった緋音は煙を吐き出す銃口が向けられた先を見た。

「み、みどりせんぱ……」
「碧!てめぇ!碧になんて事……!」

 緋音が反応するよりも早く、状況を飲み込んだ蒼司が神父に掴み掛かる。一方の神父はなに食わぬ顔をして、蒼司を見た。

「うるせぇぞクソ餓鬼!これで終わってたらなぁこちとら4年も苦労してねぇよ!」
「何言って――っ!」

 奥歯を噛み今にも殴り掛かりそうな蒼司に、神父は叫ぶと顎を上げるように銃口を突き付ける。

「会長!」

 碧に一番近い場所にいた紫郎が意識を確かめるように名前を呼び碧を起こす。その声に反応するように蒼司も碧の方を見る。
 紫郎のワイシャツにまで血がべっとりと染み込む程に辺りは赤い血溜まりが出来上がり、飛び散った血渋きからも、碧が相当量の出血をしている事は明らかだった。
 しかし、ぴくりと手が痙攣して動いたのかと思うと、包帯が鮮血を吸った真っ赤な手は心臓の、銃弾が撃ち込まれた傷痕を触る。

「まったく……僕じゃなかったら死んでたよ……っ」
「碧!」

 神父を突き飛ばすように手を放し、蒼司は碧のもとへと駆け込んだ。碧は痛みにをもろともせず蒼司に笑うと、悲し気な顔をして天井を見た。

「ごめんね……巻き込みたく無かったのに……」

 その顔は先程の生徒会室でのやり取りの中で紫郎が見た顔と同じようで、碧にはいつかこの日が訪れるだろうという恐怖があったようだ。
 何故碧は生きているのか、そんな疑問は一先ず置いておくとしても状況は最悪で、このままでは碧もそして緋音も殺されてしまうかもしれない。
 それに紫郎にはあの神父に見覚えがあった。10年前に自分達3人を化け物から助けてくれた神父だ。『兄貴さん』がもしこの人から教わったのだとしたら紅助では敵わないかもしれないし、教会での立場も危うくなるだろう。
 向こうが紫郎と緋音が10年前に助けた子どもだとはまだ気付いていないし、もう忘れているかもしれない。だが、気付かれても紅助の身にも危険が及ぶ可能性もある。
 ――学校の方は任せたぞ。
 昨日そう言われたばかりだというのに、早速訪れた試練は無傷で切り抜けるのが厳しそうだ。
 碧の治療も、緋音を守るも、自分達が気付かれない事も全部上手く出来るだろうか。



「チッ、聖別した銀の弾でもダメか……」

 悔しそうに神父が呟く。銃を脇にあるホルスターに仕舞うと、煙草を吐き捨て、背中から銀のナイフを出し、紫郎に抱えられ、肩で息をする碧を見た。

「バラバラにするのはまだ試してなかったなぁ」
「別に何を試しても構わないけど、そーちゃん達は関係無いんだから帰してあげてよ……」
「碧!何言ってんだよ!」

 ナイフを片手に遊びながら碧を見る目は猟奇的な狩人のようで、生きているとはいえ虫の息の碧は動く力も無く、観念したように緋音達を逃がすように神父に話す。
 確かに碧を差し出せば助かる。だからと言ってこんなことが許されるはずがない。
 ソファーから立ち上がった状態のまま、緋音はこの状況をぼんやりと見ていた。硝煙と血の匂い、碧を庇う蒼司の声と、この状況をどうにかしようと思慮を巡らせる紫郎、蒼司と言い合いをする神父、痛みに苦しむ碧、声は聞こえず息遣いと何かを叩く音が聞こえる。
 最初は小さな音で、段々と耳障りな程に大きくなる。身体が熱くなり、世界がスローモーションのようゆっくりと進み、視界に散らばる赤に目がいく。

 血だ――。
 誰の血?あれは碧先輩の。
 彼は心臓を撃たれたのに生きていて、でも、彼を殺しに来た神父がまた彼に酷い事をしようとしている。
 先輩が殺される。先輩が居なくなる。
 大好きな先輩が居なくなる。

「緋音!」

 気が付いた時には、身体は神父に向かって足を踏み出していた。いや、本当に気が付く、我に返った時はあったのか、全てが防衛本能のように似たものかもしれない。
 突然向けられた殺気と、感じた『気配』に神父は咄嗟に胸にしまった銃に手を掛ける。
 ――速い。
 少女と目が合う。人のモノとは思えない血の様に赤い瞳には自分が映り込み、逃げられないと本能で悟る。
 しかし、所詮は戦いとは無類の人生を歩んできた素人だ。銀色の光を放つ銃口を眼前へと向ける。
 相手が女子供だからといって容赦しない。手を抜けばヤられるとそう本能が告げていた。

「吸血鬼か!?」

 相手は1人、いや、1匹だったはずなのに。何が起きている。
 彼女の手が自身に触れるよりも早く、引き金を引いた。
 大気に穴を開け、真っ直ぐに獲物に食らい付こうとする弾丸は、少女に向かって飛びその頬をかすめる。本能が働き彼女が身を捩ったのだ。

「チィッ!」

 利き腕を庇うように神父も身を捩り、彼女の爪が肩に刺さる。動かないのを良いことに、緋音は身を捻り神父を生徒会室の外へと蹴り飛ばす。壁に叩き付けられ、久しぶりの痛みに、思わず顔を歪ませた。

「仲間の危機に反応して暴走したってのか!クソッ!」

 ーーそうだ。
 状況を理解し始めた紫郎は、神父の言葉に反応するように心が叫ぶ。
 目の前で人が居なくなる事を緋音は何よりも嫌っていた。緋音の祖母、そして仲の良かった友達、突然の別れは緋音の心に大きな穴を開けてきた。
そして今また、緋音の日常が奪われようとしている。緋音はそれに異常なまでに反応して、気持ちのコントロールが出来ないのだ。
 紫郎は緋音の隣でずっと一緒に見てきたからこそ、緋音が今どんな気持ちなのか手に取るように分かる。
 この場を何とかしなくては緋音はきっと殺しはしないでも、あの神父を叩く為に全力を尽くすはずだ。

「相模――?」
「緋音ちゃん……?もしかして、僕があの時感じた違和感って……」

 蒼司と碧も緋音の異変に気付き始めている。
 口の中が切れたのか、腹に綺麗に決まったからか血を吐き出し、神父はゆっくりと身を起こす。

「赤い瞳……吸血鬼……それに、相模緋音だぁ……?」

 神父の反応で紫郎は全てを察した。あの男は紅助の近くにいる男だと。相模紅助を知っていて、相模緋音を知っているのだ。

「おいおい……だからアイツ昨日帰ったのかよ……なるほどねぇ……身内が吸血鬼か、そりゃあ御愁傷様だわ」

 可哀想にと呟き、誇りを払うようにコートを叩く。
 焦点が定まっていない目に神父は映っているようだが、目が合うとは言い難かった。
 弾丸が頬をかすり出来た傷は綺麗な一筋の赤い線を引き、顔の輪郭をなぞりながら下へと落ちる。
 自身の手に付いた神父の血に気付くと、なんの抵抗も見せず、それよりも嬉しそうにそれを一舐めする。

「けっ、うめぇかよ、俺の血が」
「もう止めろ!緋音!」

 少女は再び、『獲物』を見た。顔の動きでそれを理解した紫郎は、蒼司に碧を預けると、その背後へと駆け寄る。

「止めろ坊主、怪我するぞ」
「坊主ではない、吾妻紫郎だ。怪我が怖ければとうの昔に逃げ出している」

 神父からの警告を蹴飛ばし、緋音の注意を引くように大声で叫ぶ。
先程の声が届いたのか、視線を神父からずらし、横目で紫郎を捉える。

「緋音、そのオッサンより若い俺の方が美味いぞ」
「何か生意気だなこの餓鬼」

 本人は至って真面目だ。
 神父が外へと出た事を良いことに、蒼司は警察を呼ぼうと電話を掛けるが、電波があるはずのこの場所は何故か圏外で、これだけ騒いでも誰も様子を見に来ない事に焦りの色を見せた。

「なんで誰も来ないんだ!」
「そーちゃん、ここは僕達がいた世界であって、そうじゃない。僕達は少しずれた……奴等の結界に閉じ込められたのさ」
「結界!?なんだよそれ!」

 何度も経験した碧はこの世界を知っていた。この結界によって彼等は音も無く獲物へと近付き喉元へと食らい付く。
 故にこの町は『表向き』には静かで過ごしやすい場所なのだ。

「緋音、一緒に帰ろう。兄貴さんも緋音の帰りを待ってるんだ。会長と、蒼司先輩と、皆で帰ろう」
「みん、な、で……」

 緋音の瞳の色が黒くくすみ始めた様に見えた。このままいけば――。

 全てを崩すように、銃声が鳴り響いた。
 何処からだ。

「し、ろー……」

 瞳は赤い色を失い、緋音の身体が傾く。腹部から吹き出した血液が傾いた緋音合わせるように下へと落ちた。
 倒れたその先に居たのは煙を吐き出す銃口を緋音に向けた神父だった。

「させるかよ」

「相模ッ!」

 蒼司が声を上げたのとほぼ同時に、紫郎が神父へと飛び掛かる。鈍く響くような音と、柔らかい何かが倒れる音が連続で響いた。
 完全に反応が遅れた神父は唖然として、目の前の状況を飲み込めずにいる。目の前にいる大柄の男子生徒は完全に『キレている』。向けられた瞳の冷たさに、悪寒すら感じるほとだった。

「緋音を傷付けたのか?緋音の腹を!緋音が好きな食事はどうする?緋音が赤ちゃんを産めなくなったらどうする?緋音が死んだらどうする?緋音はまだ17歳なんだぞ!まだ成人式も、結婚も迎えず、人並み以下の幸せしか感じれないままに緋音を殺すのか?緋音の未来を奪って貴様は緋音の分まで生きるのか?ふざけるな!一昨日までそこら辺の普通の女の子だったんだぞ!緋音を傷付けた責任を取れ!緋音を失う人々に責任を取れ!緋音が失う未来の責任を取れ!緋音が作る未来の責任を取れ!貴様の命で!」

 本当にヤバいのはコイツの方だ。コイツには紅助と似た覚悟があった。何があっても、何としても相模緋音を守る覚悟が。先程の少女の甘い行動とは限度が違う。
 全てを察しても後の祭り。留め具が外れた様に掴み掛かった大きな手は神父を放そうとせず、何度も重たい拳で殴り続けた。蒼司は今まで見たことの無い紫郎の姿に恐怖さえ覚えたが、碧が蒼司を引き戻し、自分は良いからと蒼司を緋音の方へと向かわせた。
 聖別された銀の弾丸は緋音の腹を食らい、その傷口から緋音の身体を蝕む。まだ息はあるようだが、早く処置しなければ手遅れになるような焦りを感じた。
 何度も、何度も、何度も、鈍い音が廊下に響く。

 その音に紛れるように、高く響く足音が鳴る。
 軽やかにも聴こえるその音は陽が沈み、暗闇に呑まれた校舎の静寂さを崩しながらゆっくりと近付き、生徒会室から漏れた灯りの数メートル手前で止まる。

「御子が愛する人の子よ、その男は人間の君では殺せない。それよりも彼女の手当てをしなさい。まだ間に合う」

 優しく響く女性の甘い声。
 紫郎の手が止まり、言葉が投げ掛けられた闇の先へと視線を向ける。同じく神父もだ。
 視線が向けられて数秒経った後に、また高い音を立てて光が届く場所へとそれは現れた。不揃いの漆黒の肩程までの髪に、黒く床にまで届きそうなマフラー、金の瞳は月の様に輝き、首、胸元から腹部まで露出した変わった服を着ている少女だ。

「まさか、明けの明星――」

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