小説

□その少女、明星
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 また新たな『夜の子』が生まれた。
 それは同胞が増えたという喜びと、人の子が減った悲しみの二つに分かれ、複雑な感情を生む。

 新たに生まれた夜の子の様子を見に行けば、それはまた周りの人間に恵まれた珍しい環境であった。
 大体は家族に話して気持ち悪がられるか、孤独を恐れ夢だと思い何も考えずに過ごしていくかだが、彼女達はその運命に立ち向かおうとしていたのだ。
 その様子を遠くから眺めて、これから起こるであろう試練に苦しむ姿を想像させ、顔は陰りを見せた。
 隣でただひたすらに林檎を頬張る全く同じマフラーをした大男は、少女の様子に気が付き、屈んで顔を覗いて様子を伺う。それに気付くと気にするなと言葉を掛ければ、男は抱えていた紙袋から林檎を取り出し、マフラーで綺麗に拭くと、彼女に渡す。

「ありがとう」

 しかし彼女には仲間がいる。自分の様に力強い人間の仲間が、そして愛してくれる人がいる。それをとても羨ましく思った。
 綺麗に拭かれた林檎を覗き込む。背後からの月明かりに照らされた林檎は思わずそのままかじりつきたくなる程に赤く美味しそうだ。
 そして彼女達の手元を見る。カップや棒、彼女達が話ながら食べていた物の名残だ。
 随分と美味しそうに食べていたが、あれは美味しいのだろうか?

「あのアイスというモノを食べれば、私も幸せになれるだろうか」



第6話 その少女、明星



「明けの明星、だと……?」

 暗闇から現れた少女を見て、神父は思わず言葉を溢した。
 その様子からして神父に取ってかなりイレギュラーなゲストが現れたようだ。
 明けの明星と呼ばれた少女は口で弧を描くと、嘲笑するように神父を見下ろす。

「アンタを狩るために上はわざわざ外国製品まで取り寄せたぜ」

 殴られ血が付いた口角を上げて、神父は軽く笑い声を飛ばした。

「無様だな……そうまでして死者との契約を守るか、アートルム・バフォメット神父」
「主を裏切ったお前には分からないだろうな」

一瞬にして彼女の目付きが氷の様に冷たいモノへと変わる。同時に放たれた殺気から、アートルムは地雷を自ら踏み抜いたようだ。

「そんなに死にたいのなら今すぐあの教皇の元へ送ってやる」

 明星が手を上げ合図すると、いつからそこにいたのか暗闇から頭に立派な2本の角の生えた、同じマフラーをした男が現れた。一方のこっちはかなり着込んでいて、露出しているのは髪で隠れていない右目とその下の頬ぐらいだ。
 男の左腕には大きな紙袋が抱えられ、右手には切り出したスイカのようなアイスバーがある。男は、3口程で棒ごとアイスを『食べきる』と、紙袋を明星に預けて二、三歩前へと出た。
 改めて見ると大きい。紫郎よりも大きく、手を上へ伸ばし、ジャンプすれば天井に届くのではと思う程だ。

「人の子よ、こちらへ来なさい。巻き込まれれば命がいくつあっても足りない。ゼブル、『残さず食べなさい』」

 明星が手招きをして紫郎を呼ぶ、それに従いアートルムから離れた瞬間、ゼブルと呼ばれた男は、その巨体から想像も出来ない速さで飛び込み、闇の奥へとアートルムを引きずり込んだ。
 風が駆け抜けた程ぐらいしか感じ取れなかった紫郎は思わず、風が行った先を見る。

 明星は生徒会室に入ると、蒼司に抱えられて苦しそうに呻く緋音を見た。傷口から蝕まれていく聖別された銀の毒は、夜の子達に恐れられる厄介なものだ。
 顔色も悪く、段々と状況が悪化しているのを感じながら、明星は紙袋を紫郎へ預け、碧の血が染み込み変色した事務机を漁る。そこからカッターナイフを取り出すと、血に濡れた床に正座し、蒼司に彼女をここへと膝を指差した。
 蒼司も言われたままに従い、緋音の頭を明星の膝の上へと乗せると、明星は緋音の口元で自身の手首を切り、その口へ血を流していく。

「何を――っ」
「私の『命の源』を注いでいる。私の力は銀の毒を祓うのに役立つだろう。そこに倒れる夜の子の血でも良いのだが、彼は出血し過ぎている。いくら死なない身体だとしても『源』が尽きては死んでしまう」

 蒼司は明星の言葉を聞いて碧の方を見た。碧もまだ出血は完全止まっておらず、元気に手を振って返すが相変わらず苦しそうだ。

「傷は、完全に治せないのですか?」
「出来る限りはやろう。ただ、私は専門家というものでは無いから傷痕は残るだろう」

 明星から返ってきた答えに、紫郎は顔を曇らせた。あの時、自分が緋音を止めなければ緋音はあれを避けられたのかも知れない。
 そう思うと自分の行動の何が正しかったのか、どうすれば良かったのか頭を抱えてしまいそうになる。

「後悔するのか?」
「しますよ、俺のせいで緋音は……」
「夜の子が避ければ弾はお前に当たっていて更に収拾がつかなくなっていたかもな」
「え――」

 緋音は俺を庇ったのか?
 明星の血が流し込まれた数秒後、緋音は更に苦しそうに呻き声を上げる。

「緋音!?」
「すまないが、人の子よ、お前の『源』を分けてやってくれ、私のは傷の治療に注ごう」
「緋音は大丈夫なんですか?」
「堕ちても天使の血だ、人の子では無くなった彼女にはかなり『効く』だろうが、銀の毒よりマシだ」

 落ち着いた顔で明星はカッターナイフを紫郎に渡すと、緋音の頭を優しく抱え紫郎にここに座るようにと横へずれる。
 戸惑いは大きいが、緋音が助かるなら藁にもすがる思いだった。紙袋をその場に置き、明星と同じように正座すると膝の上へに緋音の頭を下ろしてもらう。
 汗が吹き出し、濡れた髪がおでこに張り付いているのを優しく払うと、カッターナイフの刃を自身の左手首に押し当てた。

「少しずつ、確実に飲み込めるだけの量になるように切ると良い、流し込みすぎると彼女は飲めなくて吐き出してしまう」
「分かりました」

 少しずつ、調整するように自身の手首の血管を切り開いていく。緋音に対する思いで頭がいっぱいなせいか、痛みを感じる事は無かった。
 点滴の様に少しずつ緋音の舌へと落ちるように切ると、苦しそうに顔を歪ませる緋音の頬に優しく触れる。

「うっ、ぐ……っ」
「頑張れ……緋音」

 明星は紫郎からカッターナイフを再び預かり、制服の穴が空いた箇所を切り捨てると緋音の傷の様子を見て、紫郎に渡した紙袋からハンカチを取り出し、緋音が負った傷の周りを丁寧に拭く。
 酸素を取り込もうと大きく上下に揺れる腹部は、時折傷口に触れた時に大きく跳ねた。

「お前、彼女に腕を引き千切られる程噛まれても我慢出来るか?」
「何をする気ですか?」
「銀の弾丸を取り除く。この時に消毒薬として私の血を塗ることになるから、かなり暴れるだろう。だが、弾丸を放置すれば彼女はいずれ銀の毒で死ぬ。そこの人の子、彼女を押さえてくれ」
「――分かりました」

 明星は手首の傷口から溢れ出す血を指に絡める。紫郎は言われた通りに左腕を緋音の口に触れる程に近くへと運んだ。

「辛くなったら遠慮無く噛めよ……」
「いくぞ」


「――――ッ!」

 目が見開かれ、赤い瞳が紫郎を映した。その瞳の中の紫郎もまた苦痛に顔を歪ませながら何度も緋音に声を掛ける。
 強く振り払おうとして暴れる力は少女の身体から想像も付かない程で、一瞬でも気を抜けば吹き飛ばされそうになる。

「頑張れ相模っ!」
「緋音ちゃん頑張れ!」
「頑張、れッ!緋音ッ!!」

 想像以上にそれは緋音に拒絶反応に近いモノをもたらすのであろう。何とか銀の弾丸を引き抜き、明星の血を流し込んで行けば、感覚が麻痺していくまで暫くの時間を有した。

「やっと落ち着いたな。明日になれば塞がっているだろう」

 ハンカチをガーゼ代わりに、不器用にセロハンテープで止められた治療跡は痛々しいものであった。

「ありがとうございます。差し支え無ければ質問に答えてくれませんか」
「どうした?人の子よ」

 落ち着き寝てしまった緋音をソファーに寝かせて一段落付いた後、紫郎は明星の方を見て、言葉を投げ掛けた。
 真っ直ぐな良い眼だと、明星は素直に思う。

「貴女は何者ですか?それに、緋音の身に何が起きているんですか?」
「前者には答えられないが、後者には今後の君達のために答えておこう。彼女は人の子の言葉を借りるなら吸血鬼になった。しかしそれはただの吸血鬼ではない、処女童貞の血を吸っても仲間を増やせないし、陽の光を浴びても消滅しない吸血鬼に似たまったくの別物になったのだ。そこの夜の子も頑丈さで言うなら吸血鬼と同等、いや、銀の弾丸でも平気であるならそれ以上だろう。しかし彼は『渇き』が無いところを見れば血を吸わないだろうし、陽の光を浴びても平気だ。言うなれば彼女達は『変異種』に変えられたと言っても良いだろう」
「変異種……?」

 明星が渡した情報は紅助から聞かなかった目新しいものばかりだった。どうやって調べたのか、きっとそれは明星の正体に近付くものだろう。
 明星は改めて緋音の様子を見ると、やはりなと呟く。紫郎には彼女が何を理解したのか分からない。

「何を見ているのです?」
「彼女の中にある『力』は、『源』の主の能力を一時的に我が物にする力のようだ。他にも何か感じるが、前者は見事に捩じ伏せ、今は私の血を解毒薬として使っている」
「ということは、緋音は助かるんですね?」
「あぁ、私の血を直接傷口に注ぎ込んだから、他の吸血行為よりも長く効果が持続し、暫くの間なら銀の弾丸を受けても蝕まれずにすむ」

 明星の言葉に漸く安堵の表情を見せた紫郎は緋音の顔を優しく撫でる。

「良く頑張ったな……」






 ふわりとした感覚に、緋音は目をゆっくりと開ける。
 羽毛布団に包まれているような優しさに、緋音は居心地の良さを覚えたが辺りは真っ暗で不気味だった。

「シロー?兄貴?みんなどこー?」

 先程まで自分は何をしていただろうか。思い出そうとしても思い出せない。

「ここ、どこだろう」

 辺りを見ても何も見えなくては判別のしようもなく、緋音は困ったなぁと頭を抱えたあと、出口を探してとりあえず歩く事にした。
 考えるより先に動くタイプだった緋音は何も考えずに飛び出し、ひたすらに走る。

「おーい、みんなー」

 呼び掛けても返事は無い。
 そんな世界に、1人白い輪郭を持った人影が現れた。見慣れないシルエットだが、緋音は気にせず声を掛ける。

「すいませーん」
「やぁ、夜の子、直接会うのは初めてだね」
「え?私のこと、知ってるんですか?」
「あぁ、10年前からね」

 影は女性の声色で優しく、緋音の質問に淡々と答えると、最後にニヤリと笑って緋音に問う。

「私の力が欲しくは無いかい?」
「へ?いらないよ、だって貴女のだもの」

 拍子抜けしたように影はずるりと体勢を崩した。

「何故?」
「借りるならまだ良いかも知れないけど、何でも他人から貰ったらつまらないじゃん」
「はは、そうだね。合格だ私の力を君に貸そう」

 真っ暗闇の世界に白いヒビが入ったと思うと、硝子が弾けるような音を立てて、バラバラと崩れ落ち、何処を見ても真っ白の世界が現れた。
 光よりも眩しい白の世界に、緋音は思わず目を隠す。

「うわっ、眩しぃー」
「この『キャンバス』は君のものだ。好きに使うと良いよ」
「ホントに?」
「あぁ」

 世界が明るくなったというのに、しかし緋音の表情は暗いままで、影は不思議に緋音に言葉を投げ掛ける。

「どうしたんだい?」
「皆がいないとつまらないなって、あなた遊べる?」
「遊ぶ?教えてもらえば出来なくもないけど……良ければまずは君のことがもっと知りたいから教えてくれないかな?」
「うん!良いよ!」

 相手が出来て、緋音は初めて喜びと満足そうに微笑んだ。そして、話を始めると彼女の周りには面白い人間ばかりいるらしい。

「でも私、貴女のことも知りたい!」
「私かい?私は話すことなんて……」
「友達とか、夢とか、何でも良いんだよ?」
「夢……」

 何か引っ掛かりを感じたのか、繰り返した言葉に緋音は聴きたい聴きたいと飛び付く。
 予想外の反応に戸惑いながら、影は答えた。

「そうだね……全ての夜の子と人の子が幸せに暮らせる世界を作ること、だよ」

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