小説

□その悪魔、大食
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 堕ちたその日から、明星は俺達の『明星』であり続けた。
 皆が道に迷わないよう、誰かが足を踏み外さないように。
 闇に堕ちた者達が道標とするその光は、いつも『誰か』を想って悲しそうに輝く。

 その明星が見出だした『希望』を見に行くために、明星に付き添ってそいつの様子を見に行った。
 希望なんてものは知らないが、きっといつも通り、奴等は絶望して、孤独を恐れながらこの積み上げられた社会の闇へと消えていく。
 しかし、そこで見たのは小さな光。周りの星に守られてはいるものの、確かに輝いていた。
 光から堕ちてもその輝きを失わない『それ』に、俺は目を奪われた。

 ――あ、明星が二人いる。



第7話 その悪魔、大食



「『残さず食べなさい』」

 その言葉を引き金に、ゼブルと呼ばれた大男は飛び出し、アートルムが体勢を立て直す前に、その首を掴み生徒会室の光が届かない暗闇へと引きずり込んだ。
 同族でありながら明星を傷付ける奴は許さない。明星がどんな思いで『あの場所』から離れたのかも知らないで――。

「お前は骨も残さない」
「へっ、そりゃ光栄だね」

 冷や汗をかきながらアートルムは笑顔を作る。教会に身を置く者なら、アートルムの状況は最悪どころか地獄の一歩手前。
 地獄が口を開けて『同胞』に食らい付く。だがアートルムは諦めた様子など一切見せず、この状況をどう打破するか策を巡らせる。
 一方のゼブルは引き摺りながら闇を駆け、明星から大分離れた廊下の、それこそ何もない空間に叩き付ける。

「が……っ」

 壁も床も無いはずの場所で、アートルムは背中から叩き付けられ息を乱す。叩き付けたその衝撃で廊下を支配する闇に光の亀裂が走り、硝子が割れて下へと落ちるように高い音が鳴り響く。
 アートルムは床に倒れ、闇の硝子を被るが別段とそれによる怪我もない。ゼブルは足元に落ちた破片の1つを拾い上げると、無表情でそれにかじりついた。
 バリバリと飴玉を噛み砕くような音がゼブルの頬から鳴り、暫く噛み続け喉がなると、同じ要領で手に取った残りを食べ切る。

「不味い」
「じゃあ食うなっつーの、相変わらずの食うことしか考えてねぇなアンタはよ。結界が美味いわけねぇって、アンタそれで良く腹壊さねぇな」

 咳き込みながら口元を拭い、アートルムは痛む身体を起こし、結界の破片を噛み砕くゼブルを見上げた。
 乾いた砕く音が、籠りながらも静寂な闇に色を乗せる。俺もあんな風になるかもな、と口元を歪ませた。
 呼吸するように光を取り込んだ闇は、不規則な光の軌跡を描きながら色を変え始める。
 光の線を起点に剥がれ落ちるように闇は落ち、本来の色を取り戻した。

「あーぁ、結界もパーだ」

 窓ガラスが割れて落ちるような大きな音は、侵入者の存在を空気を震わせ校舎中に響かせる。遠くから学校に残る教師と警備員と思われる声が、夜の蒸し暑い校舎に響く。複数の靴音が段々と音を大きくしてこちらに向かってくる。
 ゼブルは両の手のひらを広げると、手のひらの皮膚が切れたように裂け、『口』が現れる。起こされて腹が減っているのか、ご飯の時間だと分かっているのか、それは舌を出して物欲しげに舌舐めずりをすると、ギィと小さく鳴いてねだった。

「いつ見てもグロいな」

 痕跡を遺す煙草も、愛用の特注品の銃も、既に目標を破壊する事も叶わないこの場で、何でもかんでも食い尽くすゼブルの存在は願ってもいないものだが、同時に自分も食べられる危険がある。
 使えるのはナイフだけになるわけだが、結界が食われると分かっているいる今、無闇に近付くのも、ナイフを取られて丸腰になるのもリスクがあるわけだ。
 だが、さすがに聖別された銀を食えば腹ぐらいは壊すだろう。いや、それぐらいのダメージが無ければ困る。
 考え込むアートルムを余所にゼブルは両の手のひらの口は落ちた破片をまるで掃除機のように、いくつか食い散らすとギィとまた鳴き、それに反応してゼブルは目の前にいる活きの良い獲物を捕らえた。

「あぁ、そうだな……もっと良いのを食おう」

 アートルムを捕らえる目は夜に生きる者達特有の深紅の瞳で、その中にいるアートルムは深紅に染まり、怪我も相まって死人のようだ。

「……優しくしてね」
「明星に優しく出来ないお前は嫌いだ」

 随分と嫌われたものだ。
 アートルムはそう笑いを溢して、観念したようにコートの胸ポケット手を入れ、煙草の箱を出すと1本取り出しそれを口にくわえる。

「確かこっちだ!」

 通る声が階段を登ってくる。もうそろそろ潮時だ。
 口角を上げ、眼前の悪魔よりも不気味に笑うと、まだ十分と残る煙草を口から離してゼブルと目を合わせる。

「ほーら、残さず食えよ」

 笑ったまま右手の親指で煙草を弾き、その力を受けて煙草は宙を舞う。
 ゼブルが踏み込みアートルムを食らおうと伸ばした右手は、獲物よりも先に煙草を食らおうと口を開ける。
 それにゼブルが気を取られた瞬間、慣れた手付きで胸のホルスターから先程まで使っていた銃とはまた別のマグナムを出し、手早く新たに弾を込めるとゼブルへと放つ。
 宙へと飛び出した弾は、ゼブルの眼前まで来るとその場で爆発し、強い光を放って、辺りを白く染める。

「じゃあな」

 アートルムは予め掛けていたサングラスを掛け直すと、光の白に目を奪われ、目標を見失うゼブルの横を通り抜けた。

「精々派手に暴れてくれや」

 闇に呟きアートルムはそのまま闇へと紛れる。
 本能の赴くままに伸ばしていた手は、獲物を探して暴れ回り、先頭を走りやって来た警備員に襲い掛かる。

「うっ!」

 闇に紛れた手が警備員の手をかすめる。思わず警備員が懐中電灯から手を離し、それが下へと落ちゼブルの姿を一瞬照らすが、ゼブルも状況を理解し、瞬時に懐中電灯を噛み砕く。

「何だ!?」
「どうしたんですか!?」

 後から来た教師達は恐怖のあまりに倒れた警備員へと近付く。警備員の怪我に気を取られた隙にゼブルもまた闇へと紛れ、緋音の手当てをしていた明星の元へと戻る。

 明星を傷付け、更に明星に食べろと言われて食べれなかった相手はアートルムを入れて数える程だ。
 明星の元へと帰るなりその背後でゼブルは犬のように悄気て、明星の首に巻かれた黒いマフラーに顔を埋めるように項垂れる。

「どうした?くすぐったいぞ。ほら、夜の子達を送り届けるぞ」

 ゼブルが帰ってきた事と人の気配から、結界が破れた事を理解した明星は項垂れるゼブルに声を掛ける。
 既に紫郎達と生徒会室の片付けを済ませていた明星は、碧を蒼司に、緋音を紫郎に任せて、生徒会室の窓から外へと飛び出した。
 明星に従い、夜へと紛れた6人はゼブルと明星が其々を無事に送るために付き添い、漸くと長い1日が終わる。

 相模緋音の日常は、また大きな歪みを見せ始めていた。


*****

 丸1日教会の資料室に籠り、机に向かって苦手な専門書や研究書を読み漁る紅助は役に立ちそうな情報を掻き集めた。
 頭の使いすぎによる頭の痛みなど、可愛い妹の苦労を思えば小さなもので、もしもどうにかする方法があれば儲け物だ。
 汚い字で書き込まれたノートに影が被り、ノートの見開きに赤い丸を付ける。気付かず本を見ていた紅助はメモをするために顔を上げて血と硝煙の匂いに驚き咄嗟に胸へと手を伸ばす。

「よぉ、煙草くれ」

 聞き覚えのある男の声に安堵して、そのまま伸ばした手で煙草を取ると、男へと向けた。

「随分派手にやられたんだな」
「明けの明星に会った」
「学校でか?」

 紅助の顔色が変わったのは、サングラス越しでもはっきりと分かるほどだった。煙草を1本取り出し火を点けると構わず資料室に紫煙を撒き散らす。

「お前、どうして黙ってた」
「……何を」
「相模緋音の事だ。お前も、『アイツ』も、どうして黙っていたんだって訊いてるんだよ」

 紅助の顔から段々と血の気が引き、普段滅多に聴けない震えたか細い声で、紅助はアートルムに質問した。

「緋音に、会ったのか……?」
「――あぁ、撃った」

 突然椅子が大きな音を立てて背もたれを下にして倒れる。紅助が無理矢理立ち上がったために、その力を受けて椅子がバランスを崩したのだ。
 紫煙が揺れ、アートルムの額に銃口が突き付けられる。目の色が変わり仕事中よりも静かな紅助の様子に、アートルムは自分を驚かせた吾妻紫郎を重ねた。

「今、何て言った?」
「俺に向かって来たから相模緋音を撃った」
「緋音を、撃っただと――?」

 ぶちギレ寸前というやつで、セーフティも解除され、引き金には指が掛かっている。流石にアートルムも銀の弾丸を頭に食らえばひとたまりもないだろう。

「アンタが緋音の前で何かしたからだろう!」
「過保護だなぁ兄貴、流石だぜ」
「ホントに撃ち殺すぞ」

 声色も表情も普段の彼から想像もつかない程に静かだった。
 本気だ。あの時誓った通り、妹を守るためにアートルムを殺す気なのだ。

「……明星が来て、お前の妹に接触してる」
「それがどうした」
「明星は『仲間』を決して見捨てない」

 信じるも信じないも最早紅助次第だった。
 アートルムは別に助かりたいから明星の事を話したわけではなく、紅助が緋音の事を気にしているのを察したからで、今まで世話をしてきた1人の仲間として紅助に緋音のその後を話したのだ。
 紅助はアートルムから銃口を離すと胸ポケットへと仕舞い、引っ張り出した資料をそのままに、ノートだけを持って資料室の出入口へと歩く。

「帰るのか」
「俺は元々、緋音と紫郎を守るためにここに来た……今まで、世話になったな」
「他の奴には言わねぇし、部屋はそのままにしておくぜ」

 アートルムの返事に、紅助は何も答えず黙って資料室出ていく。ばたりと扉が閉まると辺りはまた資料室が持つ本来の静寂に包まれた。

「なぁ、ばぁさん、俺はどうすれば良い――?」

 宙に投げかけた言葉は紫煙にまぎれてどこかへと消えていった。


*****


 夜中、まだ電気スタンドの明かりが残る何処かの事務室に、電話の電子音が鳴り響く。その電話の近くで、書類を整理していた背中から手が伸びて受話器を取り、優しげな男性の声でそれに応対する。

「もしもし、豊原署第5特務機動課村雨です」

 言い慣れた言葉で自身の身分を明かすと会話が始まり、電話越しの相手の言葉に男性は驚いたような声を溢す。

「え、高等学校で不審者ですか?はい、はい。それで不審者の顔は?見ていない、そうですか。警備員さんは病院に……はい。警備員さんが辞めると?その警備員さんの代わりに僕を学校に、ですか?え、高等学校行ったこと無いから良いだろうって、確かに中卒ですけど、僕ももう22ですし……あ、いや、警備員として学校に配属されるのは構いません。はい。えっ、明日から?随分急ですね……確かに不審者が現れたんじゃそうなりますか……」

 電話に答えながら男は机の上に整理された資料を引っ張り出し、確認を取っていく。自分の今後の予定、警備員として働く為の講習会は受けているのか。
 そんな中で、机の上で1本のボールペンが奇妙な動きを見せていた。
 どう奇妙なのか、明らかに『浮いている』のだ。
 触ってもいないのにボールペンは手慣れたように、電話の内容をメモしていく。時折男が手を加えるように書き込むが、それ以外は全く触っていない。

「分かりました。明日学校に行ってみます。はい、何かありましたらまた」

 受話器を置き、メモの内容に漏れがないかを確認すると、男はまた急だなと苦笑いするが、どこか嬉しそうにも見えた。

「高校、か……」

 電気スタンドの光のせいか、目が輝き、呟き見せた表情も嬉しそうで、本人自身それに気付いている。

「いけないな、仕事で行くのに……」

 そう呟き、机の上にある写真立てを手に取る。神社鳥居の前で撮った、小学生ぐらいの男女数名が写る何も珍しさも無い普通の写真だ。
 写真を映す瞳は悲しさを帯びながらも、あの日に帰りたいと思う望郷の気持ちが混ざり込んで、男の手を止める。

「頑張るよ。あんな事、もう誰にも経験して欲しくないからね」

 決意を言葉に出して、男は再び作業に戻った。

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