小説

□その警官、温厚
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「変だな」

 昨日学校から病院に担ぎ込まれた警備員に、不審者の情報を聞き出そうとやってきた中年と思われる男は、眠る警備員の病室で静かに呟く。
 迷彩柄のミリタリーコートの中に黒いタンクトップの男は、私服警官というやつか。それにしても、体つきも物腰も、纏う雰囲気も隣にいる男とは全く別物だった。

「どうした、親父」

 隣にいる青年は中年の男の言葉に反応してその方を見る。
 中年の男はくわえた禁煙グッズから手を離して、警備員のベッドの隣にある戸棚を指差す。どこの病院にもある普通の戸棚で、患者はそれを時に机代わりにするわけだが、戸棚の上には白い陶器の花瓶があり、その中に1輪の赤い薔薇の花が挿してある。

「随分情熱的だな」
「おいおい、俺が言いたいのはソコじゃねぇよ。誰に似てそんなボケかますようになった」

 青年の解答に、男は落胆して思わず天井を仰ぎ目を手で隠した。
 確かに一般的な生活がからっきしだった青年の反応は、こんな時でも無ければ自分もしてしまいそうな解答で、男は教育間違えたかと小さく呟いた。

「俺達は面会時間が始まってすぐにここに来た。警備員は学校の話じゃ独り身らしい、病院に薔薇持ってくるなんて事もあり得ない話だ。それに担当医師によれば警備員の腕の怪我、穴が開いたようになってたんだろ?こりゃ、警備員も俺達も『面白いモノ』に触れちまったんだろ」
「もしかして、教会が何か隠してるって噂……?」
「なるほどねぇ、確かに『アイツ』向きだ。それにあのジジィを揺するネタが出来たってワケだ。村雨に連絡入れとけ、気合い入れねぇと食われるぞってな」



第8話 その警官、温厚



 白い世界の中で、女の子と沢山話をした。
 落ち着いた声を持つ子で、一緒にいるとどこか安心してしまう。
 好きにして良いと言われたこの白い世界は緋音にって、とても広く見えて、二人だけでは寂しいとも思った。

「シローや兄貴、何で来ないんだろう。せっかく友達が出来たから紹介したいのに」

 緋音の言葉に彼女は小さく笑うと、大丈夫だと答えた。

「別の世界ですぐに会えるさ、その時に紹介してよ」
「別の世界って言うのは良く分からないけど良いよ、約束」

 緋音は黒い影の右手を取り、ほぼ強引にその小指に自身の小指を絡ませて微笑む。一方の影は緋音の行動が理解出来ずにきょとんとした様子で微動だにしない。

「これはなんだい?」
「んー約束したって証かな?あ、でも私忘れっぽい所あるから、次に会ったらまた教えてね」
「約束の、証……分かったよ。ありがとう、緋音。おや、君を呼ぶ声が聴こえるね」

 緋音がその言葉を聴いて何々と耳を澄ませると、確かに紫郎と紅助、二人の声が聞こえてくる。
 しかし届くのは声ばかりで、二人がやってくる気配は無い。

「あれ?おかしいな」
「行きたくても来れないのさ、君が行ってあげるといい」
「でもあなたが1人に……」
「大丈夫、私には君がいるよ。またこの世界で会おう。それと、今日学校に来る警備員とは仲良くしておくといい。彼はとても優しい」
「うん!じゃあね、またこの世界か別の世界で!」

 影に手を振り、呼ぶ声を目指して緋音は白い世界を駆ける。その後ろ姿はすぐに小さくなり、見えていても手が届かない位置まで至るのに、そこまで時間は必要としない。
 手を伸ばし、駆けていく背中を捉えようとした手は空を掴み、彼女の心に寂しさを残す。

「私よりもよっぽど明星らしい」

 陰りが消え、彼女の身体に色が戻る。それはこの世界から緋音が居なくなった証拠でもあった。
 無事着いた事に安堵した様子を見せると、緋音が向かった方向とは反対の方向へ向かう。

「また会おう、次の夜に」



*****

「え?兄貴さんニートになったんですか?」
「えっ!?兄貴ニートになったの?」
「ぶん殴るぞお前ら」

 緋音が目を覚ましたのは事件から翌日の朝だった。
 一日中緋音の様子を伺っていた紅助と紫郎は、そのまま緋音の部屋で空腹時に食べるつもりで運んできたカップ麺にお湯を注ぐと、紅助がぽつりと溢した言葉に驚いた様子を見せた。
 紅助はニートは余計だと言うと、カップ麺の蓋に書いてある待ち時間を確認して、割り箸を紫郎に渡す。
 紅助の隣には脱ぎ捨てられた神父服があり、その上には教会から支給された十字架もあった。家の中だからか両脇に銃を仕舞う革製のホルスターも外され、投げ捨てられているその姿が何処か寂しそうにも見えた。
 緋音の前には紫郎が用意したお粥。出来立てなのか湯気を昇らせ、緋音のもとへと匂いを運ぶ。
 緋音は二人のカップ麺をちらりと物欲しそうに見ると、頂きますとお粥を食べ始めた。

「そう言えば母さんに何て言ったんだ?」
「疲れているみたいなので俺がお粥作っておきますと、おばさんの料理は美味しいから夜には食べられるだろうから取っておいてやって欲しいと言っておきました」

 人を騙すのは気が進まないが、緋音の両親に心配を掛けない苦肉の策だった。相模兄妹は残念ながら嘘が苦手なため、紫郎が言うことになったわけだが、おばさんは兄貴さんが帰ってきた時点で何か勘づいているかもしれないと、心の隅で思う。
 既に出来立ての母の料理を食べ終えていた紅助と紫郎は、2度目の朝食を迎える事になる。

「我慢しろよ、今日お粥で生活して大丈夫そうなら食って良いから」
「兄貴もシローもズルいよ、私がそれ好きなの知ってて買ってるでしょ」

 むすっと不機嫌そうな顔をする緋音を見て、紫郎の手が止まる。箸の先で掴んでいたきつねうどんの揚げがめくり上がった状態のまま止まり、紫郎の視界にきつね色のそれが映った。

「――あか……」
「紫郎、お前が言い出したんだろ」

 言いきるよりも早く、紅助が釘をさす。そうだったと紫郎は我に返ると、気まずそうな顔をしてカップを持ち上げ緋音に背を向けて揚げを食べきる。緋音の物欲しそうな視線が、背中に何本も針のように刺さっていくような気がした。



「そう言えば、今日新しい警備員さんが来るってホント?」

 全員が食べ終わってから、緋音が突然言い出した事に、紅助と紫郎は顔を合わせた。紫郎の様子からして、生徒も知らない情報のようだ。

「緋音、それ誰から聞いた」
「白い世界で、あの子が……あ、そう言えばお話聞くのに夢中で名前聞いてない」

 緋音の言う白い世界に二人は首を傾げた。その世界の特徴を聴いても、あり得ないと二人は同じ結論を出す。

「指切りもしたし、兄貴とシローを紹介するって約束したもん!」

 子どものように叫ぶ緋音に、紫郎も紅助も降参だとその言葉を飲み込み、また二人は顔を合わせる。
 数秒の静止の後、紫郎は紅助を見たままに、思い付いた言葉を出す。

「兄貴さんも警備員になれば良いんじゃないですか?」
「それだ!」

 思いがけない緋音を守る方法に、紅助が飛び付く。上手くいく自信も根拠も無いわけだが、何よりも近道な気がした。善は急げが回りくどいと思う紅助には、丁度いいのかもしれない。

「早速学校に行って直談判だ!」
「いや、兄貴さん交渉は俺が」
「二人とも、眠いんだね……」

 所謂深夜テンションだった。



*****


 学校の校門を抜けて、その領域内に踏み込む。時期は夏と随分違うが、中学に入学したあの日の事を思い出す。
 桜も散った並木道は今は蝉の止まり木で、夏の訪れを告げるように必死に鳴いている。
 鋪装されたアスファルトの道を歩いて学生達の様子を伺うが、走る陸上部も、練習に打ち込む野球部も、昨日不審者が現れたという騒ぎを忘れているかのようだ。
 同じ特務課の先輩から気合い入れろと一喝されたわけだが、学校の雰囲気が穏やかであるために、段々と自分が転校生のような気分に、思わず眼鏡越しに顔が緩む。
 いけないと顔を振り、前を見た先には来客、教職員用の玄関に一人の女性が立っていた。背中まで有りそうな緩やかな癖があるブロンドの髪に、落ち着きのあるワンピースにブラウスと涼しそうな格好だ。
 目が合い、女性は微笑むと見られたと恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じた。

「新しく警備員として来てくれた方ですか?」
「はい、第5……あ、いえ、村雨志藍と言います」
「村雨志藍さん、良いお名前ですね」
「ありがとうございます」

 女性と言葉を交わすのは嫌いでは無いが、世辞でも誉められると恥ずかしくなる志藍は思わず下を向いて顔の火照りを冷まそうとする。

「私、この学校で国語教師をしています八重山桜と言います」
「八重山桜さん、確か桜の花言葉は純潔……名前通りの素敵な方ですね」
「まぁ……」
「え、あ、ごめんなさいっ、べ、別に他意は無くて、そのっ、す、素直に、あ、いやっ、世辞では無いんですっ、世辞ではっ」

 思った事がするりと口から零れ落ち、相手の反応を見て、志藍は自分が何を喋ったのか理解すると、顔を真っ赤にして誤解を解こうとする。
 その慌てた様子に桜はくすりと笑うと、また先程よりも一層微笑んで、

「村雨さんって面白い方ですね」

 と。その笑顔に志藍はどきりとすると、一変して顔から火を出すように煙を上げて沈黙した。

「八重山先生、おはようございます!」
「あら、相模さんに吾妻くん、おはようございます」

 背後から聞こえた声に驚いて顔を上げ、その方を見る。
 元気が良く、活発に見える少女と、理知的な印象を受ける落ち着いた青年、更に制服を来ていないラフな格好をした自分と年が近そうな男という奇妙な組み合わせだった。

「相模さん、そちらの方は?」
「私の兄貴です」
「どうも、えーっと八重山先生?緋音がいつもお世話になってます」
「あら、ご丁寧にありがとうございます。相模さんの兄貴さんがどうしてこちらに?」

 誰もが思うであろう疑問を桜が口に出すと、待ってましたと言わんばかりに紫郎が一歩前に出ると、桜に声を掛ける。

「実は緋音の兄貴さんが残念ながら職場の上司と喧嘩しまして」
「まぁ」
「激しい殴り合いの末」
「コブラツイストですか?」
「いえ、ジャーマンからのロメロ・スペシャルです」
「素敵」
「結果職場をおわれてニートに」
「そうですか、その年でニートさんに」

 淡々と進んだ会話はむしろ心地が良いものだったが、生憎その会話内にツッコミは不在である。

「そこで兄貴さんを警備員にどうかと」
「プロレス技が使える警備員さんなんて頼もしいです」
「そうでしょう」

 恐ろしい話、これで桜の心をバッチリと掴んでしまった紫郎はしたり顔で、紅助に向けて握り拳から親指を立ててやりましたとアピールする。
 一方の紅助はいつの間にか煙草をくわえて落ち着きを取り戻したのか、同じように握り拳から親指を立てるとそのまま腕を肩まで上げて親指で後ろをさす。

「紫郎、後で校舎裏な」
「兄貴さん、生憎ですが俺はそっちの趣味は」
「今死ぬか?ん?」

 高校生を知らない志藍にとって、それは混沌としていた。高校生とはこんな感じなのかと明らかに間違った理解をした志藍に緋音は近付き、声を掛ける。

「もしかして、新しい警備員さんですか?私、相模緋音って言います」
「あ、そうです。村雨志藍って言います。よろしくお願いしますね、相模さん」
「ごめんなさい、びっくりしたでしょ?今シロー寝不足で変になってて」
「大丈夫ですよ、面白いお友達が居て羨ましいぐらいですよ」
「村雨さんにはいないんですか?」

 純粋な少女に疑問に、志藍は少し困ったような顔を作る。どこか昔を思い出すような顔に、緋音は不味いこと言ったかもとハッとして訂正した。

「ご、ごめんなさい」
「良いんです。ちゃんと僕にもいますよ、一緒に居て楽しい人が、でも今は会えないんです」
「それは、もしかして……」

 緋音は過去の思い出と志藍の様子を重ねて、本当に不味いことを聞いてしまったと項垂れた。
 その様子には気付くと、緋音を慰めるように頭を優しく撫でる。紫郎とは違い暖かいながらも小さくどこか儚い手だ。

「大丈夫、少し遠くにいるだけですよ」

 志藍が見せた笑顔は紛れもない本物で、それを見て安堵と返事の意味を込めて、笑顔を返した。

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