小説

□その校長、異常
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「警察が動けば教会の動きを抑制できるでしょうか」

 学校の一室、他の部屋と違い木造の立派な机が置かれ、その前に応接用のソファーが硝子で出来たテーブルを囲む。
 背を向けて窓から職員玄関の様子を見ている男は、振り向きもせずにソファーに座りお茶を冷ます相手に問い掛けた。

「どうだろう、あの2つに手を組まれれば厄介だが、今回は良い人物を送ってくれた。彼は普通の人の子であって、『普通ではない』。それに――」

 まだ湯気が立つお茶に顔を写し、問い掛けられた人物は答えた。その隣ではくぐもった飴を噛むような音が耳元で響く。
 女性の声で返ってきた答えを遮るように、男はその解答の続きを口に出した。

「貴女が『希望』と称した相模緋音ですか?確かに、彼女は『御子』に似た他者を惹き付ける力を持っている。御子と彼女を重ねたんですね?」

 窓から目線を逸らし、背後に座る彼女へと向ける。その碧眼は同じようにこちらに目線を向けていた明星を映した。
 ワックスで黒く整えられた髪に、異国の血が流れている事を示す碧眼は、明星の目をまっすぐ見つめる。
 同じくその綺麗な青の瞳を見つめていた明星の視線を、隣で湯呑みを食べていたゼブルが手で遮る。

「ん?どうした?」
「お前は人間だけど明星を傷付けないし、美味いものもくれるから好きだ。でもダメだ。『アイツ』を学校に入れた」
「おやおや、そう言えば妻があなたにと『ぷまい棒』を買ってきてくれてますよ」
「食べる」

 ゼブルの変わり身の早さにやれやれと少し困り顔を見せた明星と顔を合わせて、二人は微笑んだ。

「『我々』や『彼』を受け入れたように、あの二人も受け入れるのだろう?」
「勿論です。私は教育者であり、生徒を守る義務がある。例え『悪魔に魂を売った』と言われようとも、ゼブルさんのように嫌われようとも、学びたいと願う者を受け入れ、生徒に危機が迫るなら喜んでこの身を盾にしましょう」
「それでは彼女が悲しむ、盾には我々がなろう。君よりも丈夫だ」
「……だからは私達は貴女に惹かれた。貴女がいつまでもその輝きを失わないよう」

 明星の下へと近付き、膝を折ってそれの前に跪くと、硝子細工の様に綺麗で折れてしまいそうな手を取り、男は敬愛の意を表す口付けをした。



第9話 その校長、異常



「この高校、校長先生は外国の方なんですね」
「はい、前任の校長からの推薦で、もう長い間この高校にいるんですよ」

 職員玄関から中へと入り、桜に案内されて、志藍と紅助は校長室へと続く廊下を歩く。その後ろには緋音と紫郎が居て、紅助に歴代の校長の写真からあの人だよと指差して教えた。

「へーホントだ、って、お前らいつまで付いてくるんだよ」
「シローが兄貴が心配だって」
「余計なお世話だっ、お陰で俺はプロレス技の練習しなくちゃならなくなったんだぞ」

 つんとした態度を取る紅助の一方で、紫郎の顔はまるで殴られたように少し変色していた。
 それで少し本来の調子を取り戻したわけではあるが、やはり口が達者ではない紅助が心配だと言い張り、ここまで付いてきたのだ。

「良いじゃないですか、心配してくれる方が居て」

 その様子を見た志藍は笑いながら紅助に言う。ふざけるなと言いつつも、紅助は志藍の様子をじっと見ていた。
 穏やかそうで、かつ何を考えているのか分からない顔をしているが、相当の手練れであるような気がした。まったく隙が無いように感じられたのだ。
 警備員として来たと言うのも少し怪しい気がしたわけだが、紅助自身わけありであるために、詮索してこちらも探られるのは厄介だと胸に仕舞い込む事にした。
 それよりも気になったのは、緋音との会話でいくつか口にしていた先程のような言葉。そちらの方が気になるわけだが。

「どういう意味だ?」
「僕は一人っ子で、小学低学年で母を、中学2年で父を失いました」
「……今は?」
「父の友人にお世話になりました。親戚は誰も迎えに来てくれなかったので」

 緋音達三人と、桜の表情が驚きの色を見せたために、志藍は心配しないで下さいと慌てて付け加えた。

「……悪かったな、聞いて」
「いえ、皆さんが言うほど、僕は自分を不幸だと思ってませんよ。今に満足してます」

 志藍という男は聞けば自分とほぼ同い年のようだが、自分とはまったく別の人生を歩んでいると、紅助は感心さえ覚えた。
 一方の志藍も、紅助と似たように紅助がただの一般人では無いこと、そして二人が紅助を兄貴と慕う理由を何と無く理解した。
 面倒見が良く、他者をよく見ているのも分かる。彼はきっと自分の事にも気付いている。もし彼と警備員として共に働くことになれば、任務を終えるまで隠し通す事は難しいだろう。
 そうなった時、僕はどうすれば良いだろうか。警官として一般人は巻き込みたくない。巻き込みたくないが、彼はきっと首を突っ込んでくる。
 三人のやり取りを見て、志藍は彼を頼もしいと思ってしまう。何かあった時、気を抜けば彼を頼ってしまいそうだ。それは嬉しくもあり、どこかで自分がこのような人に会いたいと思っていたような気がした。

 僕は何を考えているんだ、彼が本当に同僚になるとは限らないのに。
 根本的な問題に行き着き始めた頃に、桜に案内されていた4人は校長室の前へと辿り着く。桜は小さく木製の扉にノックをすると、中にいる人物に新しい警備員が来たことを伝える。

「どうぞ」

 優しそうな男性の声が返ってきた。桜は校長室の扉を開けると、志藍と紅助を中に入れる。中にいた男性は窓から学校へ来る生徒達の様子を見ながら、後ろの二人もどうぞと微笑んだ。
 その言葉に従い、緋音と紫郎も中へと入ると、扉を閉めた音を合図に男性は振り返り客人を見渡す。
 整えられた黒い髪に、同じく整えられた口髭。異国を感じる碧眼とあまり老いを感じさせない見た目に、紅助も志藍も随分若い校長だと思う。仕事をしていたのか掛けていた眼鏡を外すと改めて男は微笑んだ。

「初めまして、私がこの学校の校長をしています、アダン・アーノルドと申します。村雨志藍さん良く来て下さいました。それと……そちらの方は?」
「相模紅助だ」
「相模……?もしかして、後ろにいる相模緋音さんの」

 丁寧に名乗ったアダンは、まったく予定に無かった紅助の来訪に少し戸惑った様子を見せた。
 しかし、緋音の関係者であると察すると、紅助と緋音を見比べてなるほど似ていると納得した。

「相模さんはどうしてこちらに?」
「無理を承知で頼みに来た。俺を警備員として、そこの村雨と一緒に雇ってくれないか」
「あなたを?」

 意外そうな顔をした後にアダンは少し考え込むような仕草を見せる。それから、アダンは昨日の話を切り出した。

「実は昨日、学校に不審者が現れまして、前任の警備員が怪我をしました。直接居合わせた教師達は不安に思っています。混乱を避けてまだ生徒には話していませんが……」
「昨日、不審者が?」

 紅助の中にあった二つの候補、アートルムと全く会ったことの無い明けの明星は昨日学校に来ている。どちらかが警備員に怪我をさせたのだろう。
 明星が仲間には優しい事をアートルムの言葉と、紫郎の話から推測していた紅助は、アートルムの可能性を考えるが、紫郎が言うにはもう1人その場にいたらしい。
 それが警備員を襲ったという証拠はまだ調べていないから分からないわけだが、おそらくそいつだろう。

「期限付きで警備員を増やすのも良いかもしれませんね、生徒達の学校生活を守るのが我々の仕事でもありますからね」
「じゃあ――」

「えぇ、事が収まるまであなたも雇いましょう」

 上手くいきすぎてる。
 喜びよりも、アダンが下した判断に、志藍と紅助は同じことを思う。
 アダンの判断は妥当ではあるが、その判断までの過程がまるで最初から用意されていたかのように簡潔だった。

「明日、生徒達にあなた方を紹介します。今日は学校の施設を見学して是非場所を覚えて下さい」
「分かりました」

 違和感を覚えながらも、アダンとの話を終え、紅助と志藍は再び桜に誘導されるように校長室から出る。その最中、誰かが自分達を見ている視線を感じて、志藍は歩みを止め校長室の奥にある別室に繋がる出入口を見た。
 これまでの経験上様々な人物に見られていた事があるが、今感じた視線は別段と敵愾心や恨みを感じず、むしろ見守られているような不思議な感覚だった。
 志藍が感じた事を紅助も同様に感じていたが、アダンをどこか信用しきれないと判断したために足を止める事はなかった。志藍の様子に気付いたアダンが声を掛けると、ハッとしたように我に返り何でもないと慌てて答える。

「それでは八重山先生、よろしくお願いしますね」
「はい」

 開かれた扉に、5人は桜に続くように出ていく。
 扉が閉められればすぐに廊下に喜ぶ少女の声が聞こえた。安堵の声と、祝福する声。その声の割には祝福された男の反応は薄い。
 静まり還った校長室では、1人焦りを拭うようにアダンは一呼吸置くと、窓から視線を横に続く部屋へと向ける。
 その部屋の出入口には黒いマフラーの少女が1人、その隣にはスナック菓子を食べ漁る少女と同じマフラーをした大柄の男がいる。

「ひやひやさせないでくれませんかね?」
「すまないね、近くで見たかったんだ」

 顔色一つ変えずに、少女は答えた。
 この人はいつもそうだ。内心そう思いながらも、アダンは苦笑いを返して、コーヒーを淹れにコーヒーメーカーへと歩み寄る。

「それは希望の兄ですか?それともやっと日常を取り戻した彼?」
「どちらだろう……両方と言いたかったが、どちらでもないかもしれない」
「では昨日助けた希望ですか」
「かも、しれないね。それかあの場にいた全員か」

 やり取りの中でコーヒーを淹れ終わり、椅子のもとへと戻るアダンに、少女は曖昧な返事を返した。
 珍しいなと、アダンは思いつつも口に出さず、その思いも飲み込むようにコーヒーを流し込む。
少 女はアダンが飲むそれを見つめて、少し考えるような素振りを見せる。一方のアダンは視界端に映った少女の様子を不思議に思いマグカップから口を離した。

「どうしました?」
「ずっと思っていたのだが、それは美味しいのかい?」
「それ?あぁ、コーヒーですか?」

 興味をよせる子どもの様に、匂いを感じながらアダンのもとへと歩み寄ると、改めて湯気が立ち上るマグカップに顔を近付けて鼻を鳴らす。

「飲んでみますか?」
「いいのかい?」
「えぇ、今淹れて――」

 手に持っていたマグカップが手から滑り落ちる様に取り上げられ、アダンが気付いた時には既に遅く、隣で喉を鳴らす小さな音が聞こえた。
 両手で取ったマグカップを下に下げると少女は珍しく顔を歪ませて、目を丸くしていたアダンを見る。

「苦いな」
「ブラックですからね」
「ブラック?確かに黒いな」
「砂糖が入ってないって意味ですよ」
「砂糖?あぁ、蜂蜜の代わりに入れるものか」

 マグカップの中身を眺める少女に、新たにコーヒーを用意するとミルクと砂糖を手早く入れて、少女の下へと運ぶ。

「少し甘めにつけましたよ」
「ありがとう。……ブラウンだな」
「ミルクと砂糖を入れましたからね」

 受け取ったそれを見つめてから先ほどの味を思い出したのか、少女は苦みを抑えられたコーヒーを覗き込む。
 スプーンで混ぜられたそれはまだぐるぐると回り渦を作っている。勇気を出して一口飲むと、先ほどとは打って変わって飲みやすい味に目の色を変える。彼女の様子から見てちょうど良かったのだろう、アダンはそれを見て微笑んだ。息を吹き掛け、熱を冷ましていた少女は隣でその様子を見ていたアダンに声を掛ける。

「そう言えば」
「どうしました?」
「彼等は良くやっているかい?」

 心配を含んだ声に、アダンはそれを拭うようにクスリと笑うと、コーヒーからアダンへと視線を移した少女を見つめる。

「大丈夫、彼等も楽しそうですよ」

 アダンが見せたその顔に少女は安心すると、息を吹き掛けて少し冷めたコーヒーをまた一口飲んだ。

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