小説

□その明星、邂逅
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 陽が傾いていくのを見ながら、明星は時が来るのを待った。
 希望は改めて状況を理解し始めている今、彼女達に我々の事や教会の事などを伝えなくてはならないだろう。
 だが全てを教えられるわけではない。彼女をこちら側に引き込んだのは何者かまだ分からないし、教会の裏にいる者達の事。少なくとも我々の事情にまで彼女達を巻き込むべきではない。
 教えるべき事を頭でまとめながら、明星はアダンが入れたコーヒーを一口飲んだ。目の前の硝子のテーブルに積み上げられたゼブルが好きなスナック菓子のぷまい棒の山は、瞬きをする度に一つ二つと消えていく。
 明星の膝の上にも様々な味の違うぷまい棒が置かれているが、これは彼女が取り分けたわけではなく、ゼブルが気に入った味のぷまい棒を明星にも食べて欲しいと、わざわざ山を掻き分けて探して置いていくのだ。
 人の子が作った味覚からくる快楽を得るための菓子。明星にとってはどれも刺激的で、この町に来てすぐの頃は始めて味わう物達に、思わず目を輝かせてしまった事を覚えている。
 これが人の子の日常なら、我々の世界は人の子にとってどんな影響を与えてしまうのだろうか。影を生きてきた我々の暗い世界に、人の子は耐えられるのだろうか。いや、今まで見てきた者達を思い返せば耐えられないのだろう。
 だが、彼女はきっと――それならば私はまた夜の子を導く『明星』となろう。



第12話 その明星、邂逅



 放課後、緋音と紫郎は椋と合流すると、1階の警備室で備品の確認をしていた紅助達に声を掛けて、2階の生徒会室に行くと伝えた。
 紅助も後で行くと言われて、せっかくだから転校して来た椋と、新しく来た志藍と紅助の歓迎会もしようと緋音が言い出すと、紅助は自ら買い出しをすると意気揚々飛び出してしまった。緋音も紅助もそういったものは好きなのだ。
 志藍と椋を連れて、生徒会室に向かう。2階に上がると生徒会室から、高めの男性の声が聞こえてきた。高いテンションと特徴的な女口調、誰が生徒会室に来ているか理解してしまった紫郎が小さくため息を吐いたのを、緋音の耳は聴き逃さなかった。

「お疲れ様でーす」

 緋音が先陣をきって生徒会室の扉を開けると、それに反応して碧のいる机の前にいた人物が振り返る。
 後ろ髪を邪魔にならないようにまとめて上へと上げた青みがかった濃い紫色の髪に、左目の下の泣き黒子、赤い瞳に下睫毛。特徴的なこの人物は料理同好会の部長、田井田春馬。世間では所謂オネエと呼ばれるような人だ。

「あ、春馬先輩!」
「あら緋音ちゃん!それに……」
「た、田井田先輩、お疲れ様です」
「紫郎ちゃーん!会いたかったぁ!相変わらず良い身体してるわねぇ!でも春馬って呼んでってお願いしたじゃないっ」

 緋音と紫郎を見るなり生徒会室の出入口に飛び込むと、春馬は紫郎に抱き付く。その様子を見ていた椋と志藍は数歩後ろへ下がった。

「あ、ありがとうございます……っ」
「ふふ、固まっちゃって可愛い」
「おいおいそこのオカマーうちの会計係に何してくれてんのさー」
「あら碧ちゃん妬いてるの?」
「変な事言わないでよ、あるのは君への殺意だけさ」

 困る紫郎の為に碧が春馬へと声を掛けるが、彼に対しては火に油を注ぐようなもので、状況は悪化するばかりだ。
 春馬は抱き付いていた紫郎の後ろにいる椋と志藍を見付けると、まるで獲物を見付けた鷲のように二人のもとへと飛んでいく。落ち着くまで、暫くはこの状態が収まらないために、紫郎は二人が可哀想だと思った。

「やだ!草食系眼鏡男子に無気力系男子!?二人とも可愛い!私田井田春馬ね、よろしく☆」
「え、あ、村雨志藍です……よ、よろしくお願いします」
「…………」

 志藍は控えめに、椋は挨拶もせずただただ逃げる事を考える。その様子に苦笑しながら、緋音はいつもと変わらない様子の碧に恐る恐る声を掛けた。

「あの、碧先輩……」
「緋音ちゃん、お腹は大丈夫?」
「はい、せ、先輩は……?」
「大丈夫、って言いたいけど痛いよ。そーちゃんに休めって言われたけど、ここは居心地良くてね」

 昨日の出血量からして、本来なら病院に行くべきなのだろう。しかし碧は病院に行かず、ここを選んだ。昨日の発言といい碧にとってここは相当大事な場所なのだろうと、遠目で見ていた紫郎は思う。
 視線を移すとソファーに座っていた蒼司と目が合い、よぉと小さく挨拶をした。昨日の今日だ、その表情には陰りがあり、心配そうに碧を見ている。

「大城先輩」
「相模の事、止めなかったんだな」
「緋音が選んだ事ですから」
「だよな……俺も、碧を止められなかった。アイツ、中3の頃からずっと俺に黙ってたんだぜ……追われてた事をさ。昔っから傷が多い奴だったけど、中3のある日を境に傷が増えて、高校入ったら家族心配して独り暮らし始めてさ……俺、なんで気付いてやれなかったんだろ」

 蒼司の声が震えているのを紫郎は感じ取っていた。後悔の思いが込められたような悲しい声だ。
 蒼司は自分達とは違い、碧の身体に変化が起こってから随分と経っていた。そうなれば、昨日の出来事の前に気付けていたはずなのに、と自分を責める気持ちも分かる。
 緋音が少なくとも自分と兄貴さんに相談するような人間で良かったと、紫郎は思う。もし緋音が黙っていて、その変化に気付けなければきっと自分も蒼司と同じ様に自分を責めていただろう。

「緋音ー!お菓子買ってきたぞー!」

 生徒会室を覗き込んで、こんな一部で暗い雰囲気になっているとも思ってもいなかった紅助の元気な声が響いた。
 緋音に似た元気さに、廊下で攻防を繰り広げていた志藍他3人の動きが止まる。春馬にいたっては紅助を見て目の色が変わった。

「兄貴お帰り!」
「やだ!この人緋音ちゃんのお兄さん!?私の好み……!私田井田春馬って言うの!」
「な、なんだコイツ……っ」

 獲物がシフトした事に志藍は内心ホッとしたが、同時に紅助に対してごめんと謝った。椋も椋で助かったと思う事は同じで、そんな廊下にいた4人を緋音は招き入れると、初めて見る紅助の登場に驚く碧に事情を説明した。

「歓迎会、なるほどね」
「私、緋音ちゃんのそういう所好きよ」
「単にこーいうの好きなだけだろ」

 先輩勢は納得すると、早速主役の二人をソファーへ座らせると、紅助が買ってきたお菓子と紙パックやペットボトルのジュースを出してテーブルに広げた。碧は紅助にも自分達に任せて座って欲しいと言うが、紅助は逆に事情を知っていた為に碧を座らせてしまう。
 居合わせた春馬も手伝って、ちょうど用意も終わる頃に黄菜子が生徒会室にやってくる。黄菜子は中に居た人数に驚くが、緋音から事情を聴くと同じく納得して、持っていた手提げ鞄から団子が入ったプラスチック製のタッパを取り出した。

「さっき寄ってきた茶道部にいくつか置いてきてしまいましたが、皆さん宜しければどうぞ」
「黄菜子先輩のお団子!美味しいんだよ!」

 紙コップを出し、皆が座れるよう椅子を持ってきて、生徒会室から明るく楽しそうな声が誰も居ない廊下へと響く。
 たくさんのスナック菓子に黄菜子が持ってきた団子と、お菓子も揃いさてやるかと言った頃には、もう陽もその身体の半分を地平線に沈めていた。
 各々紙コップにジュースを淹れたり、紙パックにストローを刺すと、緋音は席に着いた皆の様子を伺う。準備は出来てると、皆が緋音に頷くと緋音はこくりと頷いて立ち上がる。

「えーっと、皆さん本日はお集まり頂きありがとうございます。今日は少し前に転校して来たむっくんと、明日から警備員として働く村雨さんと兄貴の歓迎会をしたいと思います!それじゃあ碧会長乾杯の音頭を!」
「別に良いんだけど、緋音ちゃんどうしてそんなに慣れてるの?」
「お父さんの新年会や忘年会によくねだって付いて行ってました!」
「ははーん、そこで社交性も磨いちゃったわけか」

 自慢気にふんぞり返る緋音に碧は納得してしまうと、言われたからにはやらないとと立ち上がる。

「えー、それでは皆さん、かんぱ――」

「その歓迎会、我々も混ぜてくれないかな?」

「え?」
「ん?」
「あ」
「あら」
「この声――」

 碧の言葉を遮るように、生徒会室の出入口から優しさを含んだ女性の声が響く。
 全員がその方へ向くと昨日彼女に会った3人と春馬、そして声に聞き覚えのある緋音が反応した。
 出入口に立つのは肩まで伸びる黒い髪に、床まで届くほどに長く黒いマフラー、そして見慣れない服、女性と言うには幼さが残る容姿。背後には同じく黒いマフラーをした大柄の男の他に何人かいる。彼女は皆を見て静かに微笑んだ。

「やぁ、また会ったね」

 紅助と志藍はいきなり現れた彼女に驚くと同時に、そのただならぬ力を察知した。紅助は背後のズボンにこっそりと隠していた拳銃へ手を伸ばそうと身を屈める。
 彼女は紅助の方を見ると、首を振り声を掛けた。

「君が相模紅助か。やめておいた方が良い、弾の無駄だ。それは相模緋音を守るために使った方が君にとっても良いだろう?」
「な……っ」

 ギクリとして思わず手を止めた紅助に、志藍は紅助が何かを隠していた事にも驚いたが、同時に彼女が何者であるのか懸命に模索した。だが、彼女の気配は人間のそれではないと理解して、職場の先輩が言った『気合い入れろ』という意味を改めて理解した。
 緋音は彼女の声を何度も何度も確かめて、白い世界で会った彼女だと確信すると、本当に会えるなんてと驚きを隠せずにいる。

「あ、あなたは、夢の――」
「あぁ、そうだよ。私が明けの明星だ」
「あなたが昨日私を助けてくれた……」

 その言葉に明星は微笑みを返すだけではあるが、その微笑みは優しく、どこか不気味さを感じる気配からかけ離れたものだった。

「歓迎会と聞いてね。我々も君を歓迎しようと思って……」

 明星の言葉に、紅助はハッとして立ち上がろうとするが、隣にいた春馬が咄嗟に紅助を押さえる。止められるとは思わず、体勢を崩した紅助はその場に座り込み、春馬を退かそうと暴れた。
 碧と蒼司、紫郎、椋の緋音の事情を知る四人も紅助と同じ仮説を一瞬で立て、明星をじっと見て警戒する。

「放せカマ公!コイツが緋音を……!」
「待って紅助ちゃん!明星ちゃんは緋音ちゃんの異形化には関与してないわ!明星ちゃんも誤解生むような事言わない!」
「素直な気持ちだが、誤解を生むのか?」
「生むわよ!犯人分かってないなら疑うでしょ!」

 明星と春馬の意外な繋がりに、その場にいた明星とその後ろにいる者達以外は驚きを隠せずにいた。状況が飲み込めない志藍と黄菜子は思わず、何か知っているかとお互いを見合う。

「カマ公、お前緋音の事なんで知って……」
「騙してたわけじゃないんだけどね、私も『あっち側』なの。とにかく、明星ちゃんは緋音ちゃんの件に関しては無実よ。むしろこの町で起きてる異形化事件を追ってるの」
「信じろってのか」
「いや、信じるも信じないも君たち次第だ。だが、夜の子になってしまい、アートルムにそれを知られた以上、我々は相模緋音に必要な知識を教えなくてはならない。もちろんこれも信じるかどうかは緋音次第だが」

 紅助と春馬の会話に割って入るように明星が言うと、紅助が暴れるのを止めたのを確認して、春馬はゆっくりと離れた。
 しかし、警戒を解いたわけではない紅助は明星を睨み付けると、変なことしたら撃つぞと脅した。
 緋音は紅助が暴れたにも関わらず明星を見続けていた。微かに残る『あの日の夜』の記憶に確かに明星の姿は無い。それに、緋音は白い世界で彼女が話した事をしっかりと覚えている。

「大丈夫だよ、兄貴。この人は素敵な夢を持ってる優しい人だよ」
「……覚えていたのかい?」
「うん、あの時のあなたの顔も覚えてるよ」

 これは参った。敵わないな。明星はそう心で思うと、少し恥ずかしそうな笑みを見せた。

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