小説

□その少女、決意
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 10年前の富間神社の事件の約1ヶ月後、緋音と紫郎は同じ教室の同級生で、仲の良かった男の子と、いつもと変わらず公園で遊んでいた。物静かで物知りだった男の子は、図鑑で身に付けた知識を色々と面白く聞かせて、緋音はそれを聞くのが大好きだった。
 その日も陽が落ちるまで男の子と話し込んでいた3人は、公園近くのT字路でそれぞれ帰路につくが、その直後男の子が向かって行った方向から激しい車のブレーキ音が聞こえたと思うと、どんと大きく鈍い音が聞こえた。二人は男の子の無事を確認するために来た道を急ぐが、そこには大破した車と血まみれのドライバー、そして、真っ赤になった男の子がいた。
 二人は近所を走り回り男の子とドライバーを助けて欲しいとお願いしたが、ドライバーは車のドアが歪んで外に出せず、男の子は車の下敷きになっていて下手に引っ張り出すことが出来ずにただ救急車とレスキューを待つしかなく、何も出来ない緋音は泣く事しか出来なかった。
 複雑な住宅地を抜けて、救急車とレスキュー、パトカーが来たのは電話があってから20分後で、男の子の身体が引っ張り出されたのは更に20分後、男の子の身体は既に冷たくなっていた。
 運転していたドライバーと男の子が死んだ痛ましい事故で、緋音はかけがえのない日常を失う事を恐れるようになった。男の子の葬式に出た緋音は血まみれの姿と棺桶から見た青白い顔を今でも覚えており、暫くそれが焼き付いて学校に行きたくないと不登校になった。

「あかね」
「しろー……私もう学校に行きたくない、もう知ってる人が死んじゃうのはいや……」

 ベッドの上の布団の中で丸くなった緋音の言葉に、紫郎はムッとして緋音が籠城する掛け布団を剥ごうと力を入れた。
 ばさりと大きな音を立てて掛け布団が引き摺り降ろされる。急に来た寒さに緋音は驚き、紫郎の方を向こうと身体を起こした瞬間、背後から紫郎が緋音を抱き締める。

「たしかに、みんなが死んじゃうのは悲しいし怖い。もちろんあかねが死んじゃうのも……でも、今日学校に行かないとあかねを待ってるみんながかわいそーだろ!ずっとここにいたらあかねがこの先会う人もかわいそーだし、あかねがしょーらいけっこんする人もかわいそーだ!それにおれはあかねがいない学校はつまんない!」
「しろー……」
「あかねがきえたら、周りのみんなの『いつも』も、さびしくなっちゃうんだぞ」

 少女はその日から、みんなの為にたとえ熱があろうとも学校に行くようになった。



第14話 その少女、決意



 つい先程まで話していた友達が死んだ。その事実の中で、緋音は自分を責め続けた。
 何故あの時間まで遊んでしまったのだろう。何故学校で話しただけで満足出来なかったのだろう。
 何故彼と家の方角が一緒ではなかったのだろう。何故何も出来なかったのだろう。
 思い浮かぶ事は今思えば仕方がない事ばかりで、自分を責めても解決しないが、緋音は自分を責めずにはいられなかった。紫郎はそんな緋音の傍に居続けて、今でもその悪癖は消えてないと思っている。

「君が日常が崩壊する事を恐れる理由はそれか……」

 明星は紫郎が語る過去の話と緋音の事を照らし合わせて、改めて相模緋音がどんな人物なのかを理解した。
 紫郎の胸に顔を埋めていた緋音は、ゆっくりと顔を上げると、目の前にあったクッキーを1つ手に取り食べる。紫郎と紅助は、緋音のこの行動は緋音が『周りの為に』元気を取り戻そうとする無意識の行動だと知っている。食べる事が好きな緋音はこうやって好きな物を食べて元気を取り戻すわけだが、昼間緋音と行動を共にしていた椋もこの行動の意味を、何と無く理解した。
 どうしてこうまでして周りの為に動くのだろう。
 そう考えた椋の疑問に、緋音は答える事は無い。きっとこの答えを知っているのは紫郎か紅助だろう。

「彼女は何をしているんだい……?」

 緋音の行動が一番理解出来なかったのは明星だ。隣で緋音は吹っ切れたようにお菓子を食べ始めた事に驚きを隠せない彼女は、素直にその疑問を口に出した。

「緋音は、自分の日常が崩れる事を怖がるのと同時に、周りの日常が崩れる事も恐れています。緋音は今きっと、周りの為に『いつもの相模緋音』に戻ろうとしているんです」
「皆の調子を狂わせない為に皆が描く緋音ちゃんのイメージに戻ろうとしてるのね……緋音ちゃんらしいけど、こうして見ると結構……」
「悲しい、ですね……」

 紫郎の話に、春馬と志藍が反応した。春馬はきっと学校生活を送って、客観的に人間を見てきたからこそ、緋音の行動の意味が理解出来たのだろう。志藍もまた、話し方や態度から推測したように、人の痛みを良く理解するために緋音の行動に心を痛めたようだ。
 明星は心からとまではいかなかったが、紫郎の言葉で緋音の行動を理解して納得すると、いくつかテーブルの上に散らばるお菓子を食べ始めた。

「みょ、明星ちゃん?」
「何やってるんだ?」

 団子、チョコレート、ドーナツ、クッキー、ぷまい棒、ポテトチップス、ジュース。粗方手をつけると、明星は暫く考えてドーナツを1つ手に取った。手のひらにすっぽり入るほどの大きさの、砂糖がまぶしてある甘いドーナツだ。

「私はこれが一番気に入った」

 明星の言葉に周りにいた全員がきょとんとした顔をすると、数秒置いて、春馬、飛鳥、定は明星の行動の意味を理解して思わず笑いを溢した。

「どうかしたんですか?」
「明星は緋音さんの行動を真似したんですよ。この中にあるものはどれも美味しいですが、その中でもあれが気に入ったようですね。落ち込んだ時に食べて元気が出るかまでは分かりませんが」

 目を伏せたまま、目尻に溜まった涙を拭う定の言葉に、紫郎はなるほどと納得する。しかし理解するのにここまでするかと驚きも隠せずにいた。
 一方の緋音は、明星の話を聞いていたのかハッとして明星を見ると自分もとそれに手を伸ばす。

「美味しいよね!これ!」

 それを丸ごと頬張ると、頬を膨らませて、紫郎がもしもの時にと用意していた冷えた緑茶の入った紙コップを手に取り、一気に喉へ流し込んだ。

「すげぇ食いっぷり」
「流石緋音ちゃん、シローちゃんもお母さんみたいだね」

「口の中が甘くなったらお茶飲むと良いんだよ!」

 緋音が本来の調子を取り戻し始めたのと、明星の意外な行動に場の空気が変わり、明星はこれも良いかと、あえて食べながら話をする事を提案した。
 それに便乗して、皆がお菓子を食べ始め、生徒会室はまた騒がしくなる。それは皆が緋音の痛みを少し軽くしようと考えた結果だったのかもしれない。



「緋音が異形化した時、あんたらは何してたんだよ」

 一番最初に明星に質問を投げ掛けたのは紅助だった。明星は包装されたチョコレートの皺を伸ばすとこれまで食べてきた分の包装紙の山に重ねていく。その作業をしたまま、明星はそれに対しての答えを返した。

「あの日はアダンから聞いた話をもとに、一度暴走したために教会に狙われていた女子生徒を助け、力の使い方を教えていたよ。ただ、妙な気配を感じたのは覚えている。相模緋音が夜の子であると確認したのは次の日の夜だ」
「あんたらの仲間ってここにいる奴らしかいないのか?」
「いや、あと一人いれて、全部で7人と言ったところか。私達の事情もあるからね、仲間に引き入れるような事はしていないよ」

 明星の答えに、ふーんと紅助は小さく答えると、隣に座る海月を見て、こいつもなのかと意外そうに小言を溢す。海月は見向きもせず、気に入ったのか気にせずいちごオレを飲んでいる。

「海月ちゃんも一緒だったのは意外だなー」
「……そう?」
「うん、悪魔なの?」
「……そう」

 緋音と海月の紫郎を挟んでの短い会話が続く。海月はいつも通りに答えるが、緋音は親近感を感じたのかどこか嬉しそうだ。

「緋音さんは吸血鬼になってしまったんですよね?緋音さんは血が欲しくなるんですか?」
「えーっと、特にお腹が空いたらなります」
「まぁ、大変ですね」

 一方の緋音と黄菜子の会話はどうも抜けているようで、聞いていた碧と蒼司は苦笑した。黄菜子は黄菜子で取り乱しもせずにずっと話を聞いているが、大丈夫なのだろうか。
 紫郎もまたいくつかの浮かんだ質問のうちの一つを、訊くことにした。

「明星さんと、教会の関係を良ければ教えてくれませんか」
「……そうだね……夜の子の起源は話したね?私はね、夜の子と人の子が平和に暮らせる世界を作りたいんだ」
「それが、あなたの夢?」
「私の夢、というよりは御子の夢だね……私はそれに共感したんだ。だからこそ、教会とは対立する立場にあるわけだ」
「御子?」

 明星の目はどこか遠くを見ているようで、悲しそうだった。彼女が緋音を助ける理由に関わる『御子』とは一体誰だろうか。

「そう言えば、アートルムとはどういう関係なんだよ」

 教会の話が出たからだろうか、紅助からアートルムの名前が出た。昨日紫郎達を襲ったアートルムは明星を知っていたし、紅助にも明星は仲間を見捨てないと話した。
 紅助は普通明星の事を深く知らなければ知らない事を、アートルムが話した事をずっと疑問に思っていたのだ。

「彼から何も聞いていないのかい?」
「どういう事だ?」
「……彼は、私達と同じ夜の子で、今はいない前教皇だったミレニアが、人の子を襲う夜の子を退治する為に召喚し、契約を結んだ悪魔だ」
「なに……?」

 紅助の反応からして、本当に知らなかったのだろう。マジかよと小さく言葉を溢すと、ショックだったのか、ソファーの背もたれに身体を預け天井を仰ぎ見る。

「どうしたんだい?」
「分からなかったから悔しい」
「仕方がないさ、夜の子同士でなければそれは感覚として掴めないからね。だからこそ、アートルムは教会に召喚されたのさ」

 教会内で何故か彼はいつも風当たりが強かった理由が分かった今、紅助はだからこそアイツはいつも『狩り』に駆り出されるのだと納得する。どこにいるのか、独特の気配を感じ取り、確実に狩り取る。教会からすれば確かに便利だろう。
 だが、それを知った事で、もしアートルムが来たとき、緋音をどう守るかも決まった。アートルムに銀の弾丸を食らわせれば倒せる。微かな希望でもあった。



「決めた!」

 いくつかの質問と解答が繰り返された中、突然緋音が立ち上がって叫ぶ。突然のそれに、皆は驚いて緋音の方を見る。

「何を決めたんだ?」
「私、教会の人が来たら皆の日常を守る為に戦う!他所から見れば自己満足みたいだし、目に見える範囲……いや、手が届く範囲も守れないかもしれないけど、このまま何もしないの私は嫌だもん!」

 ハッとしたように紫郎は緋音を見た。緋音らしい答えではあるが、それは結果的に教会と対立する事を意味する。そうなればアートルムや他にも夜の子を狩る教会の者達に狙われる事となる。

「あか――」
「く、ぷふっ、はははっ」

 紫郎が緋音に声を掛けようとする声を、明星の笑い声が掻き消す。明星は満足するまでの数秒間笑うと、緋音の方を向いて声を掛けた。

「君が戦う道を選ぶのは少し悲しいが、君らしい素敵な解答だ……気に入ったよ。彼らを連れてきて良かった」

 紫郎は明星がこれを狙っていたのではないかと思う一方で、緋音らしい解答に自分も協力したいという複雑な感情を抱える。
 緋音は紫郎と紅助を見ると、大丈夫と何を根拠に自信を語った。ただその瞳は真剣で、こうなれば緋音は止められないと紫郎も紅助も知っている。
 日常を守る。その言葉に、日常が壊れた志藍と昔身を置いた日常を忘れた椋は、どこか不安を覚えながらもその考えに惹かれていた。

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