Singing voice
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今からどれくらい前の話になるだろう?
3年前より、もっと前。
たぶん、5年くらい前になると思う。
森…森に何がいたっけ?
…そうだ、猫だ。
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終業のチャイムが鳴り、鞄の中に教科書を詰めた。
椅子から立ち上がり、長いワンピースタイプの制服の裾についたかもしれない埃を払う。
そして、教室の外に出て、廊下で喋る人の隙間を塗って、玄関を通って…靴を履き替え、外へ飛び出した。
相変わらずの曇り空、その下を歩く同じ制服の生徒たち。
その中の一人である私は、その生徒たちの群れを振り切るように、走る。
目指す先は、森。
私の家よりも遠い場所にある、森だった。
住宅街を越え、商店街を越える。
忍者の証である額充てを付けた人が目立ち始める。
その人たちの波も、通り過ぎた。
もっと、もっと向こう側。
「―――着いたぁ…」
日向の森。
私のクラスメイト達は、この森のことを、確かそう呼んでいた。
その森の中へ、足を踏み入れる。
まずは葉っぱや小枝がたくさん落ちてるベンチが見えた。
そこを右に曲がって…今度は綺麗に一輪だけ咲くタンポポ。
そこを今度は左に曲がって…ひときわ大きな一本杉が見えた時、私は立ち止まった。
「ツバキー?」
一本杉に向かって、呼びかける。
返事をしてくれる人はいない。
かわりに、茶色の猫が、「にゃあ」と泣きながら姿を見せた。
「ツバキ!」
そっと屈んでから抱き上げると、ツバキはごろごろとのどを鳴らした。
ツバキと会ったのはつい最近のことだった。
図書委員会の仕事で忙しくて…それで遅くなってしまったことが原因で、母上に怒られてしまったのだ。
でも、私にだって事情はあった。
新しい本がたくさん入ってきて、図書室の棚の入れ替えをする必要があった。
本一冊一冊の図書カードも必要だったから、作成しなければいけなかった。
それは、後回しにできる仕事じゃない。
新刊の入荷を楽しみにしている生徒がいるのだ。
一日でも早く読みたいという人がいるかもしれない。
…母上は、それを理解してくれなかった。
だから、家を抜け出したのだ。
ほんの出来心、反抗心、不平不満…そんな思いが爆発したんだと思う。
行きついた場所が、この森の、この場所だった。
そして、空腹でぐったりしているツバキを見つけたのだ。
…多分、捨て猫なんだろう。
拾ってあげたかったけど、母上は動物アレルギー…飼えるわけがなかった。
だから、私にできることはこうして放課後に会いに行くこと、餌を上げること。
それだけ、なのだ。
たった、それだけ。