お題小説

□悲しみは寄り添う
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「……滝、さん…?」

寝転びながらぼーっと空を見上げていると、頭上の方から聞き慣れた声がした。
上体を起こしゆっくりと振り返ればそこには同じ学校の後輩である日吉若が立っていた。

「や、日吉」
「……こ、れ…滝さんが?」
「…そうだよ」

地面に転がっている血塗れの塊に一瞬視線を移した日吉は、すぐにそれから視線を反らした。
血の付いていない綺麗なジャージ。まだそれほど危機的な状況に陥った経験はないのだろう。

「貴方……この"ゲーム"にノってるんですか」

日吉は低い声でそう呟いた。
人を殺した事がノっているという事になるのならば、おれは間違いなくノっている。目の前に転がる死体がそう物語っていた。
彼をこんな真っ赤な姿にしたのは、紛れもなくこの俺なのだ。

「ノってる……の、かな。わかんないや」
「分かんないって…」
「別に俺はここから生きて帰りたいとか、せっかくのチャンスだから人を殺せるだけ殺しておこうとか、そんな事思ってる訳じゃないんだ」

そうだ。別にここで死んだって、たぶん構わない。

「ただ…」

ただ?
ただ、何だろう。
ただ、相手が襲ってきたから反撃した。一番最初はそのはずだった。
でもそれから何かが変わっていった。自分じゃない誰かがどんどん人を殺していくような感覚。確かに殺しているのは自分なのに、この刀を握っているのは自分自身なのに、流れる赤をどこか他人事みたいに見つめてた。
今目の前で死んでいる彼は間違いなく自分から殺すつもりで襲いかかった。嫌な記憶がよみがえったところで偶然彼が通りかかって、その嫌な記憶と彼が重なって。
どうしても生きたかったかもしれない彼の希望を打ち砕いた。彼の夢も、未来も、幸せも、全部奪った。

「……ただ、幸せになれるものならなりたかっただけなんだ。大嫌いな昔の記憶を消して、新しい自分になりたかった。新しい自分になって、人生ってなんて楽しいんだろうって、なんて素晴らしいんだろうって……思ってみたかった」

でも、もう遅い。遅すぎた。

「……もっと、早くに気づけばよかったなぁ…もっと早くに縋り付けばよかった。そうすればきっと俺は正しい自分に戻れたはずだった」

ザーザーと雨が降り注ぐ中、日吉はただ、俺の話を聞いていた。
何も言わずに、ただそこに立ち尽くしていた。

「…ねえ日吉、俺は幸せになんかなれないって初めから決まってたのかな」
「……」
「……幸せになんかなっちゃダメだって、誰かが決めたのかな」
「……」
「…いや、違うな…」

そう勝手に決めたのは、自分自身だったっけ。

全部分かってて、自分で選んできたんだっけ。本当は守りたかった物を捨てる事も、本当は欲しかった物を我慢する事も、全部自分で決めて、選んできたんだっけ。

「…自分で選んで、この手を汚してしまったんだっけ」

後悔しているのか。
今さら、無かった事にしたいとでも思っているのか。
人を殺した事を?
……それとも、あの日、家族に捨てられて尚且つ生きる事を選んでしまった事を、か。

「……俺は」

今まで黙っていた日吉が唐突に口を開いた。
雨にうたれながら俯き加減に立つその姿は美しくて、少し見惚れた。

「……俺は、貴方にどんな過去があるのか、どんな思いを抱きながら今まで生きてきたのか、なんて知りません。特に興味もありません」
「うん」
「俺が知っている滝さんと言う先輩は、優しくて聡明で、皆に頼られてて…皆に愛されてる。そういう人です。そういう人だけです」
「……うん」

日吉は顔を上げて、いかにも無表情といった顔でこちらを向いた。
視線が交わってもその無表情は崩れる事はないが、その無表情はなぜか安心できる顔だ。……いつもの、変わらない彼の顔だ。

「それじゃあ駄目ですか」
「……」
「……それだけじゃ、貴方の価値を認める理由に足りませんか」
「……」

別にここで死んだって、たぶん構わない。
……結局俺は、自分で自分の命に価値を見いだす事が出来ていなかったんだ。自分の過去に自分で同情して、幸せそうな人間を内心バカにして、自分の方が不幸な運命背負ってるんだって悲劇のヒーロー気取って、また更に自分を哀れんで、その繰り返しで。
……いつだって、幸せになる事を望んでいたのは自分だったのに。

「……違うよ日吉……違う…。価値なんてない。この命に、価値なんてないんだよ」

冷たい。
雨に濡れる肩が、背中が、顔が、身体中が冷えきっている。
それでもいつの間にか涙を流している両の目だけはやけに熱くて、それが雨に混じって頬を伝っていくのを感じた。

「価値、なんて……もう……っ」

もう、とうの昔に消えさってしまった。

「それでも俺は……俺達は、貴方という存在に大きな価値を感じてた」
「!」
「ただ一緒に毎日を過ごしていく、それだけで俺達は、どうしようもないくらい価値のある毎日を生きてきたんだ」

そういうと日吉は座り込んでいた俺の横に膝を付き、そのまま俺を抱きしめた。

「だから…だから価値がないなんて言うなよ……!」
「…日吉、服が汚れるよ」
「俺達と生きてきた時間全部、あんたにとって、価値のないもんだったのかよ!」
「……ひ、よし」

日吉はズボンが薄まった血で染まっていくのも、傍らにある死体を作ったのが俺なんだという事も気にしていないように、更に強く俺を抱きしめた。…血だらけで、こんなに汚れている俺を。

「俺達にあった時間全部が本物で、頑張ってきた毎日も、楽しかった時間も、全部全部…本当なんですよ」
「……日吉、泣かないで」

耳元で揺らぐ日吉の声色。
体を離して彼の顔を覗けば、たくさんの雨粒が顔を伝う中静かに涙を流していた。

「……貴方だって、泣いているじゃないですか」
「うん……うん、そうだね」

そうだね。
俺はいつだって泣いていた。心で。
いつになっても俺は、物事を分かろうとして大人ぶっていたただの子供のままだったんだ。
仮面を張り付けた自分で周りに良い人の顔を見せて、そのくせ本当の自分は心の中でずっと駄駄をこねて泣きじゃくっていた。

でも……それでも、上部だけにしかいなかったあの良い人な俺も、俺なんだ。
昔からずっと抱えてきた小さな俺も、仕方なく大人になるしかなかった俺も、全部諦めたふりして本当は傷付いてた俺も、全部が俺。俺自身。
俺が生きてきた15年間は本物で、その中に生きてきたたくさんの俺もまた本物だ。
………どうしようもなく価値のある毎日を生きてきた、どうしようもなく価値のある命なんだ。
俺も、そしてこの島中の誰もが。

「ずっと……もうずっと、幸せになりたいって思ってたんだ。自分の価値を認めたいって」
「はい」
「俺はただ……人並みの人生が手に入ればよかった。人並みの幸せを感じられて、人並みに命を終えられればそれでよかったんだよ」
「はい」
「………でも…っ」
「……」
「もう…っ遅すぎた……!!」

いつでも、大切な物の価値に気付くのは全てを失ってからだった。
遅かった。…遅すぎた。
やっと認められた。この命の価値も、今まで生きてきた15年間の価値も。
それでも今ある現実が消える事はない。
この命が残り1日で消え去るという事も、この手が何人もの命を奪ってしまったという事実も。

「もうどうすればいいんだよ…っ!」
「……自分を、許してあげてください」
「……え?」

日吉は少し離れた所の木の根元に落ちていた大きめの枝を拾うと、地面を掘り始めた。

「…日吉?何を…」
「捨てちゃ駄目です」
「…」
「辛い事も、悲しい事も、どんなに忘れたい事だって、捨てちゃ駄目です」
「…日吉」
「でも、それら全部をひっくるめて出来上がった自分自身を、貴方にだけは、許す事が出来るんですよ」

日吉は穴を掘りながら言い続けた。

「……うん」

俺は彼に習って、そこらに落ちていた枝を拾って一緒に地面を掘った。
雨でぬかるんだせいもあり地面は柔らかく、木の枝でも案外簡単に地面に突き刺さった。
掘って、掘って、やがてもう焦れったくなったので素手で土を掻いた。



そうして二人の指先に血が滲んできた頃、ようやく人1人が入れる程度の穴があいた。
俺はさっきこの手で殺してしまった彼の亡骸を穴へ運び、もう原型も留めていないその顔を目に焼き付けた。
そして暫く見つめた後、少しずつ、その体に土をかぶせていった。

彼の体を完全に埋め終わる頃には雨は少しだけその勢いを緩めていたが、相変わらず雲が晴れる事はない。

「…日吉」
「はい」
「……ありがとう」
「……はい」

それから俺達は暫く並んでその場所を見つめていた。
どんよりと薄暗い曇天はまるで俺の心を表しているかのようで、次々と雨粒を落としてくる。それと同じように涙も次々と流れ、頬を伝っては地面に落ちていった。
目を閉じれば強い風が雨で冷えきった体を打ち付ける。その寒さを少しでも和らげたくて、俺は自らの両肩を強く強く抱き締めた。





悲しみは寄り添う
(この悲しみも辛さも)
(最期の最後まで抱いていくんだ)





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ただ幸せになりたかった滝さんの話。
自分が幸せになれないのは自分のせいだと思ってて、でもそれを認めたくない子供な自分もいて、そんな相反する感情をもってる自分をさらに嫌悪して。
なんか不完全燃焼みたいな終わり方してすみません。
でも決してハッピーエンドではないけれど、これも一つの結末でいいと思うんです。
というかいいですか?

2014.11.12

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