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それは桜の花も満開の頃。

「ねぇ、保健室行った!?新しい先生が…」

「あ、知ってる!ランペルージ先生でしょ?」

会話をしていた女子は示し合わせたように、格好いいよねぇと頬を染めた。

近くでその会話を聞き流していたスザクは首を傾げる。

保健医のランペルージ先生、聞いた事の無い名前だ。

確か、去年は違う人だった気がする。

と言っても一言も話した事は無いのだが。

新任の先生だろうか。

新任式は寝ていたので、或いはそうなのかも知れない。

…まあ俺には関係ないな。

馬鹿なせいか、風邪なんて生まれてこの方ほとんど引いた事が無いし、滅多な事で怪我等しない。

それにいくらその先生が格好良かろうと、所詮男である。

兎に角、保健室とはスザクにとって最も縁遠い場所だった。



「スザク!!」

呼ばれて初めて自分がぼうっとしていた事に気付く。

顔の横ギリギリでバスケットボールを受け止めると、そのままゴールを狙ってシュートした。

当然のように3ポイントが決まる。

しかしスザクは憮然とした表情で立ち尽くした。

…身体がふわふわする。

見えている景色も、聞こえている音も、自分とは一線を画した場所にあるもののように思える。

…何だろこの気持ち悪い感覚…。

スザクはそれを振り切るようにコートを走り、バスケに集中しようとした。


昼休みの終了を告げるチャイムが響く。

スザクはふらふらする身体を律して、体育館から散る人の波に着いていった。


「おい」

廊下でいきなり腕を掴まれる。

え…俺近付いてくる人の気配に気付かなかった…?

先程のボールもそうだ。

幼い頃から剣道を極めている所為もあり、物の気配や殺気には敏感で、普段ならこんな失態は絶対に無い。

「ちょっと来い」

その上、腕を強く引かれ身体がぐらつく。

改めて自分の腕引いて歩く人物を見ると、白衣を着ていた。

後ろ姿で顔は見えないが、随分と細い。

そして抵抗もせずに連れられたのは…

「…保健室…?」

「熱を測ってみろ」

体温計を手渡され、深く考えもせずに素直に従う。

…あぁ、この人もしかして…。

「…ランペルージ先生?」

「何度だった?」

「…38度…2分」

スザクはその時初めて自分の体調が悪いという事を認識した。

…俺、熱あったんだ。

「…やっぱりな、風邪だろう。大丈夫か?取り敢えず奥のベッドで寝ていろ」

…まあ次の授業もどうせ寝るだけだし、ベッドで寝れるのはラッキーか。

それに、想像していた程保健室とは居心地の悪い場所ではない。

「…ねぇ先生?何で俺に熱があるって判ったの?」

だって俺自身気付かなかったのに。

スザクはシーツに潜り込みながら、疑問に思っていた事を口にする。

先客はいないらしい。

「…お前なぁ…。これでもこっちは一応プロだぞ?そんな事より、今朝朝食は?」

「あ…食べてない。そういえば昨日の夜も…」

普段はそんな事は無いのだが、何故か食欲が湧かなかったのだ。

「その時点で自分の体調が悪い事位気付けよ…。親も何も言わなかったのか?取り敢えず一旦家に帰った方がいいだろう。迎えに来てもらえるように親に連絡するぞ」

「…一緒に住んでないから迎えは来ないよ」

体調等殊更、どうして心配してくれるのか。

「そうか…。じゃあ一人で帰す訳にもいかないからそこで寝ていろ。今食べられそうな物はあるか?」

氷を手渡されながらスザクは首を振る。

「食欲無い…」

「昨日から何も食べてないんだろう?…じゃあこれ、食べれそうな時に」

そう言って鞄から取り出されたのは、ゼリータイプのスポーツ飲料だった。

…これ、先生の私物だよな…。

もしかすると、食事がこんな物ばかりだから先生はあんなに細いのだろうか。

スザクは思わず笑いを溢した。

「風邪はよく寝てよく食べてれば治るから。食べないと免疫落ちるぞ」

…その言葉、先生にそのまま返すよ。

スザクは心の中で呟いた。

何故だか心が暖かいような気がした。

しかし、ランペルージ先生に女子が頬を染めるのにも納得がいく。

…でもあれは格好いいって言うより、美人って言うんじゃないかなぁ…。





次にスザクが目を覚ました時、窓の外はすっかり暗かった。

今何時だ?

スザクは保健室の中で時計を探した。

「あぁ、起きたのか」

コーヒーを片手にパソコンに向かう先生を見付ける。

「おいで」

手招きされて正面に立つと、額に手を当てられる。

う…わ、何で俺こんなに緊張してるんだ!?

「ん…大分下がったな。帰るから準備しろ」

「あ…はい」

スザクは胸を押さえて首を傾げた。

…何だこれ?





それから先生の車で家まで送ってもらい、熱は一晩で下がったので次の日からは普通に登校した。

しかし風邪は治ったはずなのに、ぼうっとする事は多くなり、夜も寝付きが悪くなった。

そして考える事はと言えば、先生の事ばかりだ。

あの日以来会っていないにも関わらず、一日中先生の事ばかり想って過ごしている。

あの、同性の自分さえ見惚れてしまう程の綺麗な顔。

少しぶっきらぼうな言葉の中にある溢れんばかりの優しさ。

忘れられない。

…何か変だ。

これじゃあまるで…。

それとも単に構ってもらったり、心配された事が嬉しかった?

親代わりを先生に求めているだけなのではないか。

…向こうは仕事でやっただけなのに…。

熱を出したのが自分じゃなくても、間違い無く先生は同じ事をした。

…馬鹿だな、こんな当たり前の事で傷付くなんて。

思わず自嘲が漏れる。


…いやでも、ただ慈しんだり、愛しんだりして欲しいだけじゃない。

守ってもらいたいんじゃなくて、寧ろ守ってあげたい。

今更庇護が欲しい訳じゃないんだ。

例えばたまに笑顔なんか向けられてしまえば、胸の鼓動は大きくなって当分の間収まらない。

…やっぱりこれは保護者に向ける感情じゃないだろ。

ごにょごにょ…の時に思い浮かべたりもしないよな、普通…。

兎に角、向こうが何とも思っていなくとも、こちらが好意を抱いている事はもう隠しようもない事実だ。

…俺、先生が好きだ。

多分性別とかも気にならない位、恋に近い感情を持っている。

きっと会えばこの気持ちが何なのかもはっきり判るだろう。

会いたい…。

先生に会いたい…っ。


「…先生────っ!!!」



その日からスザクは保健室に毎日通いつめる事となる。


「廊下は走るな!ノックをしろ!」

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