02/02の日記
19:12
「許す」ということ
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人生相談の半分は、自分自身のこと。
そして、もう半分は、誰かとの人間関係のこと。
ほとんどが、そのどちらかに当てはまります。
人間関係のお話の中で、
「絶対に許せない!!」
そんなお話を伺うこともあります。
以前、「許す」ことについて、ブログに書きつづったことがありました。
少し加筆訂正をして、「許す」について感じていることを、キチアネ目線で書いてみようと思います。
許せない誰かを心の中に抱き続けること。
そんな「心の中の刑務所」をしっかり維持するためには、膨大なエネルギーが必要です。
それは、きっと、私たちの世界にある刑務所と似ているのかもしれません。
収容人数が増えれば増えるほど、世の中が安全になるのかといえば、決してそうではありません。ある意味、その刑務所を安全に維持するためには、たくさんの労力や費用が必要です。そして、刑務所の存在それ自体は、やはり近隣住民にとっては心地いいものではありません。
この世にある「刑務所」と、私たちの「心の刑務所」にもし違いがあるとすれば、きっと、「どのような理由で収容するのか」「どのような罰を与えるのか」、そして「どれくらいの刑期にするのか」などが、私たち個人に掛かっていること。
判決を与え、相手を収容し、刑務所を維持管理するのは、私たち自身の仕事です。
過去の出来事に基づいて、誰かを「心の刑務所」に入れ続ける。
そういう選択もあるでしょう。
ただ、忘れてはならないのは、その刑務所の維持のためのエネルギーは、自分自身が生み出さなければならないということ。
そして、自分が刑務所に入れて一生懸命罰している相手は、そのことを知らないことさえあるということです。
それでもそのことが、自分がこれからの人生で創りたいことからみて、機能するのであれば、それでいいのだと思います。
それも1つの選択です。
そしてもし、その「心の刑務所」が、あなたの幸せや豊かさに貢献していないのであれば、自分のために、その囚人を解放するのも一手なのだと思います。
「解放する」、すなわち、「許す」こと。
「許す」とは、決して相手に対する傲慢な気持ではありません。
そう、きっと、
「今まで許せなかった自分を、許す」
だとか、
「許せない自分を、許す。」
ことであり、
そして、かつて傷ついた自分を、相手を懲らしめることで癒すのではなく、自分自身で抱き締めてあげることで癒すことだと思うのです。
刑務所のない世界
もしかしたらそれは、夢物語ではないのかもしれません。
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