てきすと5巻。

□ほしのひと。
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コンコン。

洗濯物をとりこんでいるとドアをたたく音がきこえた。

だれ、かな。

ハマちゃん、じゃない。

それはわかる。

だって、今日はまだ12の日だ。

かべに貼ってあるカレンダーを見てみた。

1の日から31の日のところまで赤いぼう線がひいてある。

ハマちゃんはここじゃない、
ずっととおい場所でしごとをしている。

赤いぼう線のひかれているあいだは、
だからハマちゃんは帰ってこれない。

コンコン。

もういちどドアをたたく音。

はっきりと聞こえるけど、
でもこわい音じゃない。

だれかな。

新聞やさん、かな?

だったら、開けちゃだめだ。

「三橋はすぐにつけ込まれちゃうだろ?」

ハマちゃんがそう言ったから。

よめない新聞を、昔たのんでしまったことがあったから。

コンコン。

ドアからくっきりとした、
でもやさしい音がする。

「だれですか?」って、ききたくなってしまうような音。

どうしよう。

困ったな。

どうしたらいいかな。

困っていたら、「なぁ〜」という鳴き声がドアの向こうからきこえた。

「ぽ、ぽらりすっ?!」「やっぱりおまえ、ポラリスだよな?」

オレの声とかさなった男のひとのしらない声。

きっとドアをたたいていたひとの声、だ。

オレはハマちゃんの注意もわすれてドアを開けた。

開いたドアの向こうに背の高い男のひとが立っていた。

しらないひとだった。

「なぁ〜」

鳴き声のする方に目をむけたら、
そのひとの足下に体をこすりつけるみたいにしてポラリスが八の字を描いている。

ポラリスはハマちゃんにだってあんまり近よらないのに?

だから、思わず目の前に立っている背の高い男のひとの顔をもういちど見てしまった。

ふしぎな表情をしていた。

わらってるみたいな、
びっくりしたみたいな、
そしていまにも泣き出しそうな……。

いろんな気持ちがごちゃまぜになったような顔つきだったけど、
それでも“カッコいい”っていう感じのひとだった。

オレなんかとちがって男のひとらしい感じのひとだ。

しらないひとだけど、はじめて会った気がしない。

どうしてだろう。

ゲンバには、男のひとがたくさんいる。

若いひとも、うんと年をとったようなひともいる。

仕事のあいだは土やほこりで汚れていても、
ゲンバがカイサンするときには、ぱりっとした服をきて見ちがえるようなひともいる。

だから、やっぱりどこかのゲンバでいっしょだったのかもしれない。

ハマちゃんだったら覚えているかもしれない。

「これ、もう乾いてたよ」

いつの間にかぼんやりしていたみたいだ。

ゲンバだったら大目玉だ。

思わず体がふるえていた。

「あ、っと、驚かせたか? ごめんな」

会ったことがあるような気がするそのひとが、
オレのきいろのかさを手わたそうとしていた。

「ううん、」と言えずにオレは首をふるしかできなかった。

「みはしはちっとも変わってねぇのな」

ふるふる、と首をふりつづけていたオレの耳に、オレの名前がきこえた。

え?! なんで?

びっくりして顔をあげたら、
そのひとはいろんな気持ちのなかから、いちばんやさしいものをえらんでくれたみたいで、
カッコいいなって思っていた顔がまるで咲いたばかりの花みたいにやわらかく見えた。

「やっと会えた、みはし、」

やさしい笑顔でやさしくオレを呼んでくれるそのひとを、
オレはたしかに知っていると思った。

だけど思い出せない。

名前も、
いつのことかも、
どこでのことかも……。

こんなふうに笑いかけてくれるなんて、
きっとすてきな思い出なんだろう。

だけど、オレはなにも思い出せない。

「いー年したおっさんが泣くなよ」

さっきのやさしい言い方のなかに、
ちょっとだけいじわるなことば。

なんか、やっぱりきいたことがある気がする。

ずっと、とおい昔に、
いつか、どこかで。

「みはし、俺だよ、思い出せないか?」

つっても、もう十五年経ってるんだよな、
そう言ってわらった目元が泣いてるみたいにさがった。

この顔、をオレはやっぱりしっている。

じゅうご、ねんまえ?

じゅうごねん、っていうと、
オレはどこにいた?

いくつだったとき?

ああ、でもたぶん、
ポラリスをひろったの、が、じゅうごねんまえくらいだった気がする。

いろいろかんがえていたら、ふいに頭のうえにおもさを感じた。

目の前のひとがオレの頭をなでていた。

「やっと立場が逆転したな、」

のぞきこんできたそのひとは、
やっぱり目尻をさげてやさしい顔でわらっていた。

「阿部隆也って言ったら思い出す?」

え? あべ?
あべって言った?

あべ、あべ……、あべたかや。

あべって、あべくん?
あのあべくん?

「う、うそ。うそだあ〜」

あべくんは、ねこじゃない、
オレのはじめてのともだちになってくれた子だった。

夕方の公園で出会った。

いっしょに星を見ようねってやくそくしたのに、まもれなかった。

ちゃんと『さようなら』も言えなかった。

わすれたことなんてなかったよ。

ホントだよ。

だけど。

だから。

「うそです〜」

オレのともだちになってくれたあべくんは、
もっとずっととてもちいさかったよ。

声ももっと高くて、
だけど、ちょっとだけおとなみたいな言い方をするのがかわいかった。

そう、ちょっとだけいじわるな言い方。

さっきこの男のひとが言ったみたいな……? 

「嘘って、おまえ……。ひでえなぁ」

ひどい、と言いながら、
でもオレのあたまをなでてくれるおおきな手はずっとあたたかくて、
ずっとやさしい。

それはとおい日、
ともだちになったあべくんといっしょにいた時間に感じた温度と手触りだった。

「う、うそじゃ、ない」

あべくんっ!

名前を呼んだのと同時にオレの体がぎゅっとしめつけられた。

おおきな体がオレのとぴったりくっついていた。

すこしだけくるしかったけど、
それ以上にたくさん気持ちいい。

安心するようなくるしさだった。

「みはしみはしみはし、俺、ずっと会いたかった、おまえに。
だからいつも探してたよ、おまえのこと」

顔が見えなくなった。

姿が見えなくなった。

そしたらはっきりと思い出せた。

あべくんにオレのことを話した日。

あべくんはたくさん泣いた。

オレのともだちはねこだけじゃないって、
泣きながら言ってくれた。

あのとき、泣いたあべくんがかわいくて、うれしくて、
オレはあべくんのちいさな体を抱きしめた。

あのときとおなじ温度、においにまちがいない。

「あべくんあべくんあべくん、」

オレもずっと会いたかったんだ。

星を見るやくそくをまもりに行きたかったんだ。

ずっと、ずっと。

どんなにとおくにはなれていても。

腕をまわした背中はもうあのときみたいにちいさなものじゃなくて、
だからオレは抱きしめることはできなかった。

だけど、かわりにあべくんの腕がオレの体をぎゅうっと抱きしめてくれている。

あったかい、
きもちいい、
ずっとこうしていたいな。

「なぁ〜」

足下からポラリスの甘えるような鳴き声がした。

思わずぬくもりを手放すと、
あべくんもオレの体にまきつけていた腕のちからをゆるめてしまった。

「思い出してくれたんだな?」

たずねるあべくんのくろいひとみが濡れてきらきらひかって見えた。

おぼえている、そのきれいな目。

そして、その顔はたしかにオレのちいさなあべくんのおもかげをやどしていた。

「うん。あべくん、だよね、」

もう抱きしめることもできないくらいおおきく育ったおとなのあべくんを見上げた。

「みはし、」

涙にぬれたその呼びかたが、すこしだけあのときの、
たくさん泣いたときの、あべくんのオレを呼ぶ呼びかたに似ていた。

胸がいっぱいになった。

オレももう泣いていたけど、
もっと涙があふれてきそうで、
今度はオレからもういちど離したあべくんとの距離をちぢめた。

ポラリス、ちょっとだけごめんね。

あとでいっぱいなでてあげるから、もうすこしだけ。

そう、こころのなかで謝りながら、
オレはなつかしいともだちの胸のなかに体をあずけると、
やっぱりおなじようにたしかなちからづよさであべくんがオレの体を抱きしめてくれた。
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