てきすと2巻。

□最終バスで恋をして
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路線バスの終着点、住宅街の外れにある広場の前が最後のバス停だった。
深夜バスの乗客のほとんどは、すこし前にある集合住宅の中心地点のバス停で降りてしまう。
最終の、終点まで乗りあう客に今まで一度もいき当たったことがなかった。

今日も最後の乗務を無事終えた阿部は車内灯を消した。
あとは回送の準備をするだけだ。
最寄りの車庫に戻るため、もう一度バスを走らせなければならないが、その前に一度、運転席を下りた。
長時間の座居体勢は、腰に負担がかかる。
夜道を走るため目も疲れ、肩が強ばっている。
制服の上着を脱いで、降り口を手動で開き、外に出て軽く伸びをした。
煙草に火を点け、深く吸い込む。
肺にためた白い煙を細く吐き出し、その流れを追っていくと、中天に、とおく月が輝いていた。



こんな日は最終バスの当番も悪くはない。

ふと、月を眺めていたその視界の隅に、なにか柔らかく頼りなげなものが動いた。
ハッとして、そちらに目を向けると、バスの最後部座席、その窓際に人の頭髪が、ふわふわと揺れている。
油断をしていた。まさか、乗客が寝込んでいるなんて思いもしていなかった。

阿部は慌てて点けたばかりの煙草を投げ捨て、開いていた降車口から車内に入り、
件の人物が寝込んでいる座席へと向かった。

面倒事になった苛立ちが腹を熱くしたが、どうして気がつかなかったのだろうというくらい、
その男は荷物を広げていたし、座席をまるでベッドのように体ももう半分は横たえていて、
投げ出されたような片足がプラプラと揺れていた。
完璧に熟睡モードに入っている乗客の上半身をグイと力任せに引き起こすと、
その衝撃で一瞬、男の瞼が持ち上がった。
半眼のような、その目は笑いを誘うようなものだったけれど、
瞳の色が淡い甘いなにかを連想させて、阿部は、その瞳を引き寄せられるように見つめた。

なにかを思い出しそうになったところで、その瞼はひどく重たげに、また閉ざされた。


不思議なことに、もう腹の底に沸いていた苛立ちのうねりはない。
かわりに胸がザワザワとざわついて、ひどく落ち着かない気分にさせられる。


ううっと小さな呻き声に、ぼんやりとした思考から現状に引き戻された。

「おい、寝るな! おまえ終バスで乗り越してんだぞ!」

前の座席の背もたれに、くったりとのせられた頭に手を置くと、
見た目以上にやわらかな感触を指がひろって、また胸がざわつく。

早くこいつを起こしてバスを戻さなければ、

そう思いつつ、阿部は行き場がなくなって、ゆらゆら揺れる頭を自分の胸に抱き寄せた。
ふわりと、やさしいあまいにおいがする。
思いの外さわり心地の良い髪をさらさらと撫でるたびに、そのあまさが増すようで、
なおさら止めることが出来なかった。
あおく、しろい月光が車窓から差し込んで、そこはまるで水底のようだった。
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