Short*Short

□小夜の戯曲
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 紺碧の空に紛れて疾走する。羽はかじかみ、息は凍る。高いところを飛びすぎた。

 なかば落ちるように高度を下げると、黒々とした森林の中に漆黒の城を見つけた。身体を癒そうと、城のベランダに降り立つ。

 身体を霧に変え、錆びた鉄格子の間をすり抜ける。真っ暗な城内に、恐怖は感じない。むしろ、鉄格子の隙間から忍び入ってくる月明かりが恐ろしい。

 城内に侵入した僕はひどく驚いた。なぜなら、僕と同じように闇に溶け込む人影を捉えたからだ。闇に慣れた瞳はたやすくその影を鮮明に見せる。一人の少女が、そこにいた。

「こんばんは」

 平然と少女は、闇と同じ色のドレスの裾を持ち上げて会釈をした。僕は驚きを隠せず、一瞬反応に困って返答できなかった。冷静を装い、ただ彼女を凝視する。月の色をした彼女の髪はひどくまぶしくて、思わず目を細めた。

 黙っていると、彼女は不意に口を開いた。

「貴方はどこにいくの?」

 ひと時の戯れ。刹那の享楽。ここで会ったのも何かの縁だろう。小夜に彼女と語らうのも悪くない。返答を逡巡する。

「光の無い、地の弥果てへ」

 旅の理由を思い出して、僕はまたおそろしくなる。

 誰も信じられなくなってしまったこと。光のあたる場所は、僕には辛すぎた。光に当てられて、僕のかたちははっきりと映る。けれどそれを知られるのが怖い。自分を知られるのが怖い。奥まで入ってくるな。誰も僕に近づくな。

 それなら、こんな世界捨ててしまえばいい。痛みと苦しみばかりを押し付けられるために、生まれてきたわけではないのに。

 思考が飛んで、僕は軌道を正した。そこでふと疑問が湧く。

「貴女はどうして独りでこの城に」
「私にもわからない。だって周りの人が勝手に死んでしまうんだもの」

 死ぬということがよくわかっていないのだろう。彼女は事も無げに死を口にした。

 そう、死など所詮逃避にすぎない。この現実からの唯一の逃げ道。だが僕は死に逃げたりしない。ただ、他人の居ない場所へ。殺伐と虚無の広がる、世界の果てへ。その場所こそが、僕の傷を癒せる楽園、そしてそここそが、人が最後に求める理想郷。

 吸血鬼である僕を恐れずに、じっと見据える彼女を見返した。その灰色の瞳に曇りはなく、月光が差し込んでいる。その眼球が一つの宝石のようで美しい。けれどえぐりとってしまったら、その光も無くなる。惜しいことだ。

「僕が、怖くないのか」
「貴方のことは本で読んだことがあるけれど、それだけで決め付けてしまうのは、あまりにも身勝手だと思わない?」

 彼女は何も知らないようでいて、実は聡明だった。少し驚いた。

 けれど僕はひねくれた返事を返す。

「生き物などくだらないものばかり。観察するだけその対象の醜さがわかるだけだ」
「ずいぶん卑屈なのね、吸血鬼っていう生き物は」
「そうだな、それが僕の醜さなのかもしれない」

 僕は鉄格子の間から見える月を見上げた。大きな満月だ。じっと見ていると、こちらに落ちてくるように感じてしまう。むしろ、本当にそうなって世界が滅びてしまえばいいのに。全て粉々に砕け散って、跡形も無く、全てを等しく無に還す。素敵だと思った。

「今日は月が綺麗ね」

 彼女は僕の視線を追い、月を見て言った。僕は静かに頷く。

 僕は月から目を離さず、口を開いた。

「月には人を狂気に陥れる不思議な力があるんだ」
「オオカミ男みたいになっちゃうこと?」
「そう。見る人を虜にして、狂わせる。そして誰もかれもを死にいざなう」
「ねぇ、死ぬって怖いことなの? 昔、誰かが怯えていたのを見たわ」
「いや。むしろ、死は幸せの一つなんだよ。多くの人は死を恐れるけれど、それは一番におそろしいことを知らないからなんだ。本当の孤独というものを知ったとき、人は死を幸福と思える」
「難しいのね。哲学的すぎて私にはわからないわ」
「それでいいんだよ」

 彼女の純粋さに安堵を覚える。もう少しここに居てもいい気がしてきた。けれど時に、無邪気は邪気よりも厄介になる。

 彼女は無邪気に僕に言った。

「いいこと思いついた」

 嫌な予感がした。けれどそれは回避する暇もなく、するすると紡がれていく。

「私をここから連れ出して」

 ああ、やはり。彼女は言ってしまった。僕は一気に興醒めした気分になった。

 彼女は希望に満ちた瞳を輝かせて僕に迫る。その瞳を、今はえぐりとってしまいたい。

「人のいるところへ連れて行ってくれるだけでいいの」

 これから人のいない場所に行こうとしているのに、どうして町へ行かなければならないんだ。君の願いを叶えたら、僕の願いは叶わなくなってしまう。

「それは、できない」

 せめて、貴女が外の世界に汚されないように。貴女が無垢なまま、生を終えられるように。

「君を連れてはいけないよ」

 僕には君が眩し過ぎる。君に触れたら、きっと僕の蒼白の肌は焼け爛れて、醜い中身を晒してしまう。そんなのを君に見られたくない。

神よどうか赦して欲しい。私が少女の願いを犠牲にしまうことを。けれど、

 嗚呼、無知ゆえに無垢な少女よ、その身と心に穢れなきことを!

「貴方なんて嫌いよ! はやく城から出て行って!」

 お望みの通りに、お姫さま。そしてさようなら。

 僕は音も立てずに、姿を霧に変えてベランダへ出た。ちょっと振り向こうとしたが、やめた。きっと目に涙を溜めた姿が、わがままを言って後悔する表情が、僕の目に映るのだろう。けれど、それは貴女の選択であり、僕の優しさなのだ。

 わかって欲しいとは言わない。わからなくていい。それが君の純粋を証明するのだから。

 手すりに足を掛け、空を見上げた。美しい夜だ。僕の旅路に、僕の願いに幸あらんことを。

 祈りながら、僕は飛びたつ。僕の黒い翼が、月光をさえぎって地上に影を落とした。一気に高度を上げて、また僕は凍れる夜空を疾駆する。

 それから、僕が彼女に逢うことはなかった。

 そうして、
 いつまでも、いつまでもいつまでも、僕は飛び続けた。僕の願う世界が現れるまで。



終劇
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