Craspedia
□Craspedia 第2章 -Beginning-
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ソーディアン・ディムロスと飛行竜が行方不明になったと知らされて4日。私は日課を全て終えて部屋で一休みしていた。イリアが用意してくれたアイスレモンティーの冷たさが心地良い。
「ソーディアンが行方不明、か…」
そう聞けば何処かに墜落したと考えるのが自然だろうが、この世界には飛行出来る乗り物が他にない為、捜索は船に頼るしかない。ともなれば迅速に動けず、更に難航するのは目に見えていた。
フィッツガルド大陸とセインガルド大陸の間には大小様々な島が固まって存在しているのを地図で見ていたのを覚えていて、もし本当に飛行竜が墜落していたとしたらその何処かにあってほしいと願わずにはいられない。墜落したのが深海だったらお手上げ状態、ディムロスはもちろん飛行竜さえも引き上げることが難しくなる。こういった類の輸送ならば慎重に行われるだろうし、警備も厳重であるはず。だというのにこの事態。頭の中で何かが引っ掛かるのは何故だろうか。考えれば考えるほどそれが大きくなっていく気がする。
“私も飛行竜の捜索に参加させて下さい”
それでも私に出来ることと言えばそれぐらいで、その知らせを聞かされた謁見の間で国王とヒューゴに申し出たものの、既に人を飛行ルート近辺に向かわせているそうで、人手は充分に足りているからと断られてしまった。結局私は情報待ちということになり、こうして普段と変わらない生活を送っている。
考え込んでしまうとはいえ、埒が明かなければ意味もない。考えるのを止めて時計を見やると10時半を過ぎていて、夕飯の買い出しを早めに済ませてしまおうと気分転換も兼ねて街に出ることにした。
「50ガルドのおつりだよ。ありがとね」
「どうも」
頼まれた食材も買うと、後ろに並んでいた女性が私を見るなり「やっぱり…!」と嬉しそうな声を上げた。
艶のある美しい黒髪に、淑やかさの中にも人懐こさを感じさせる声。確か彼女はヒューゴの屋敷に勤めるメイドで、私に紅茶を出してくれた…
「マリアンさん…?」
「覚えていて下さって嬉しいです」
花のような笑顔を咲かせたマリアン。屋敷では控えめな印象を抱いていたが、彼女の素顔は思っていたよりも明るい性格らしい。そんなマリアンの足下には多くの食材が入ったバケットがあり、更に果物が入った紙袋を抱えていた。
マリアンがその店での買い物を終えるのを待ち、頃合いを見計らって足下のバケットを持つ。
「大変そうですし、お屋敷まで半分持ちますよ」
「そんな、アヤナ様に荷物を持たせるわけには…」
「ヒューゴ様の目もあるかもしれませんが、このまま見送るのも気が引けます。それに、私は様付けされるような程の者ではありませんし」
ですが、と戸惑った拍子に、乗るように入っていたリンゴが零れ落ちる。難なく掴み取って苦笑いを向けた私に、申し訳なさそうに微笑んで頭を下げた。
「今日のお夕飯は何になさるんですか?」
ヒューゴ邸への道すがら、ルウェインの屋敷で暮らしていること、時々食事の用意をしていることなどを話す。歳が近いのも手伝ってか、マリアンの話し方は固くとも声色は先ほどよりも柔らかくなっていた。
「今回はピラフにしようかと。マリアンさんたちは何を?」
「この食材だとトマトベースのパスタのようですね。調理場に解凍中の魚介類が置いてあったので…、ペスカトーレでしょうか」
「マリアンさんたちの分もコックの方が作られるんですか?」
「えぇ。お屋敷の方がお召し上がりになっている間に用意して下さるんです」
「なるほど」
こんな話をするのはどれぐらい振りだろう。WGOは同性の少ない環境でも玲奈がいたし、少し離れたところに暮らす妹がいる。弟と3人揃って食べる時は良くこんな会話を交わしていた。
イリアとメイランとも同じような話をすることはあるけれど、マリアンと話す時とは少し違う。彼女の方が玲奈と近い気がするのだ。
「それにしてもマリアンさんの髪、凄く綺麗ですね。良い香りもしますし。どんなお手入れしているんですか?」
「これは…、乾かす前に付けているヘアオイルの香りですね」
「へぇ。マリアンさんに良く似合う香りですね」
ひょいと後ろ髪を見てみると、元々良い髪質なのが見て取れ、ほんのりとフローラルの香りが漂う。さほど手入れをしなくても良さそうなほどしっかりとしているようだが、そこは私の世界で言う『女子力』というものなのだろうか。私もそれなりに手入れはしているものの、ヘアオイルは使ったことがない。今度じっくり髪や肌を手入れできるものを探しに行くのも良いかもしれないけれど、1人で行くのはつまらないとも思う。
「そういえばこの世界に来てから友達と呼べる人がいないな」と思っていると、マリアンが何かを思い出したような仕草を見せた。
「そういえば私、お屋敷でお会いする前にアヤナ様を見掛けたことがあるんです」
「私を?」
「はい。防寒具をお持ちでしたよ。ファンダリアに行かれていたんですか?」
「あぁ、あれはドライデン様の使いで。ジェノスの駐在兵に書簡を届けて、彼らから預かった手紙を家族や恋人に渡しに行っていたんですよ」
「そうだったんですか」
私を見掛けた時のことを詳しく聞くと女性に何かを渡していたと話していたから、エドゼルでウッドロウと別れ、この街に戻ってから住む家族や恋人宛ての手紙を渡した時のことだ。
その時のことを思い出したのか、ふわりと優しい微笑を浮かべたマリアン。その後に空を仰いだ表情は何かを切実に願うようなものだった。
「マリアンさん?」
「も、申し訳ありません。少々考え事をしてしまって」
それを紛らわすように使いのことを聞かれて、ウッドロウ…ヴェルフのことを交えて話しているうちにヒューゴ邸に到着した。
調理場へと繋がる裏口に案内され、持っていたマリアンの分の紙袋を調理台に置く。
「ありがとうございました、アヤナ様。今度是非お礼をさせて下さい」
「良いんですよ、お礼なんて」
「ですが…」
「先日お邪魔した時に、美味しい紅茶を出してくれたお礼ということにして下さい」
あの時に飲んだ紅茶は本当に美味しかった。良い茶葉を使っているのもあるかもしれないが、マリアンが用意した茶葉とお湯の量、蒸らす時間が絶妙だったからこその美味しさだったと思う。メイドとして当然の仕事と言われればそれまでだけど。
「…では、今度いらした時にもご満足頂けるような紅茶をお淹れいたします」
「楽しみにしてますね」
私の気持ちを汲んでくれたマリアンが優しく微笑む。それににっこりと笑みを返して自分の荷物を抱え、丁重に見送られながら屋敷へと戻った。
昼食後、片付けを終えてミルクたっぷりのカフェオレをお供にお喋りを楽しんだ後、3人でおやつ作りに取り掛かった。作るのはミルクレープ。「食べたいね」と話していたスイーツだ。クリームは甘さを控えめにしてハーメンツで買って来たジャムをかけようとか、これが上手くいったらクリームをレアチーズ風味にアレンジしようなどと和気あいあいとたくさんのクレープ生地を作っていく。その横で私がクリームを泡立てて程よい固さに仕上げた。
お菓子作りは滅多にしない私でも上手く出来たミルクレープ。「ちゃんとルウェイン様の分も残しておかないとね」と、出来上がってすぐに切り分けて冷蔵庫に入れ、それぞれの分も取り分けて3人でミルクレープと紅茶を囲んだ。
「いただきま…」
そこに、タイミングを狙ったかのように鳴り響く玄関のベル。がっくりと肩を落としてそちらへ行ってみると、そこにいたのはリオンだった。
『久しぶりだね、アヤナ。元気にしてた?』
「えぇ、おかげさまで。2人もいつも通りね」
リオンの代わりに嬉しそうにシャルティエが挨拶する一方で、リオンは居心地が悪そうにしている。上官の屋敷なのだから仕方がないと言えば仕方がないが、私に用があってやって来たのだろうし、ここは立場が格下でも年上の私が上手くフォローをしておいた方が良さそうだ。
「任務?」
「…あぁ」
「こんなところで話すのもなんだから、こちらへどうぞ」
リオンの態度で緊急のものではないと判断し、2人に声を掛けてから応接室として使っている部屋へと案内すると、すぐに2人分の紅茶が運ばれてきた。角砂糖を3つ入れたリオンが、スプーンでかき混ぜながら早速任務について口を開く。
「明日の早朝、ハーメンツに盗掘者の捕獲に向かう」
「…盗掘者?」
『妙な剣を扱うとかで、軍が今まで捕り逃がしてた奴らしいんだよね』
「それって…」
『ソーディアン・アトワイト。兵士の話を聞いて確信したよ』
聞くとアトワイトは水の属性を持ち、回復系の晶術を司るという。味方であれば心強いが敵となると厄介だ。リオンに命令がいくのも納得出来る。…が、ソーディアンが相手ならばリオンだけでも問題ないはずなのに、何故私もその任務に同行することになったのだろうか。ヒューゴの進言でそうなったと言うし、彼にも何か考えるところがあるのかもしれない。ここは深く考えずに、アトワイトのマスターである盗掘者を捕らえることに集中しよう。
「ところで、シャルティエは自分と同じソーディアンと戦うことになるかもしれないけれど大丈夫?仲間なんでしょ?」
ふと思ったことを尋ねてみる。シャルティエから昔の話を少しだけ聞いたことがあるが、彼は他のソーディアンを『戦友』と言っていた。大昔のこととはいえ、かけがえのない存在であるはずだ。だからこそ、私は敢えて『仲間』と言った。シャルティエの気持ちを鈍らせない為に。
『…問題なんかないよ!坊ちゃんの強さを見せつけられるし、僕のマスターは凄いって自慢出来るチャンスじゃないか!』
「頼もしいね」
「盗掘者に成り下がったマスターが僕に勝てるわけがないだろう」
「それもそうか」
そう相槌を打ったがやはり心配だ。任務に支障が出るほどのことにはならずとも、何か思うことがあるのかもしれないのだから。
そんな私に対して、リオンは棘のある言葉の後に早いペースで紅茶を啜り、シャルティエは意気揚々とコアクリスタルを煌めかせる。
…考え過ぎか。
気を取り直して私も紅茶を啜り、そういえばシャルティエに聞きたいことがあったと口を開こうとした途端。
ぐぅ〜…
お腹が鳴る音が小さく響いた。
「…お腹空いてるの?」
「……」
『坊ちゃん、朝からの任務が終わってすぐにここに来たからお昼食べてないんだよね』
「余計なことを言うな!」
どうりでペースが早いわけだ、とにんまりと笑みを向けた。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
角砂糖を3つも入れるのだから嫌いではないはず。
そう思ってミルクレープを取りにキッチンに向かう。腹の足しになるかは分からないが、何も食べずにいるよりかはましだろう。
「お待たせ」
『わ、美味しそう!』
「……」
紅茶のおかわりを注ぐ横でリオンは眉間に皺を寄せ、私が食べ始めてもなかなか手をつけようとしない。けれど、ここは敢えて聞いてみよう。
「甘いもの苦手?」
「…苦手とは言っていないだろう」
そう言いながらやはり紅茶に角砂糖を3つも入れている様子に思わず吹き出してしまった。案の定リオンの眉間には深い皺が寄せられているが、シャルティエは必死に笑いを堪えている。
「やっぱり好きなのね、甘いもの」
「好きだとも言っていないだろう!」
『角砂糖を3つも入れておいて説得力なんかありませんよ、坊ちゃん』
「…シャル、そんなに僕とマスターの契約を終わりにしたいか?」
『どうしてそうなるんですか?!』
2人のやり取りにどうしても笑いを堪えられず、声に出して笑ってしまった。今までリオンは少し気難しいと思っていたけれど、実は甘いもの好きなんていう可愛らしい一面があったなんて。
「別に誰かに言い触らしたりなんかしないから。遠慮しないで食べなさいって」
「……」
「アヤナさんの手作りよ?」
「…僕はおまえに勧められたから食べるんだからな」
『アヤナの手作り、には反応しないんですね…』
そう言いながらフォークを手にしたリオンの食べるスピードは早いもので。あっという間に食べ終わってしまった。食べる姿を見られるのが恥ずかしいのか、美味しいからなのか。どちらかでも両方でも、あるいは別に理由があったとしても平らげてくれたのは何だか嬉しい。
「おかわりいる?」
「……。いらん」
『明日に備えて食べておきましょうよ、坊ちゃん』
「そうそう、糖分補給は大事だよ〜」
「だからいらないと…」
これ見よがしに一口サイズに切ったミルクレープを口に運んで、満面の笑みを浮かべる。「ジャムをかけても美味しいね、きっと」と続けてもう一口頬張ると、リオンの表情が微妙に変わった。
「…どうしてもと言うのなら食べてやらんでもない」
「そうこなくちゃ」
「…僕はこの為に来たんじゃないんだがな」
「まぁまぁ、いいじゃない。すぐに持って来るからちょっと待っててね、リオン」
「……」
にこにことキッチンへと向かい、今度はブルーベリージャムをかけたものをトレーに乗せた。