Craspedia

□Craspedia 第2章 -Beginning-
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 ―ある日の午後。男は数日振りに戻った屋敷で、書斎のレザーチェアに深く腰掛けていた。


 「……」


 眼鏡を外し、瞼の上から眼球を押さえる。その仕草からして疲労が溜まっているようにも見えるが、口元は上がっていた。


 「そんなに心配か」


 目元を隠したままくつくつと笑う。その声が静かに響いた。


 「安心しろ。悪いようにはしないつもりだ。…今はな」


 隠していた手が目元を離れ、表情が露わになる。上げられた口元、鋭い眼光。他に誰もいないはずの部屋で誰かを鼻で笑って立ち上がった。


 「貴様がどう足掻こうと、私の思うがままに世界が動く。誰にも止めることなど出来ぬのだ」


 窓枠で切り取られた外は晴れ渡り、緑はそよ風で揺れている。小鳥がさえずりながら羽ばたく光景は平和そのもの。それを眺め、男はもう一度くつくつと笑った。

 …この光景が拝める日は残り僅かだ。せいぜい目に焼き付けておくがいい。


 「私が創り上げる世界の方が全てにおいて遥かに優れている。こんな汚らわしい世界が消え去る瞬間を、こんなにも素晴らしい席で見届けられるのだ。私に感謝することだな」


 男にしか知ることのない誰かの反応をあざ笑い、眼鏡を掛ける。
 そこに、ドアがノックされる音が小さく響いた。


 「入れ」


 「失礼致します」


 一礼してから書斎に入って来たのは初老の男だった。白髪と同色の長い眉毛で目元は見えないものの、男に対する忠実さだけは誰もが分かるほどにありありとしている。


 「ご所望の資料でございます」


 「レンブラント、仕事の速さは流石だな」


 「私めには勿体ないお言葉でございます、ヒューゴ様」


 レンブラントが書斎を出て行くのを確かめてから受け取った資料に目を通すヒューゴ。それには、現代に甦らせた技術で写されたアヤナの姿があった。


 「アヤナ・サナダ、異世界の人間か…」


 読み終えた資料を目から離したと同時に男の背後に別の男の姿が浮かび上がり、2人の声が重なる。


 「駒となるか、ゴミとなるか。いずれにせよ、暫くは私を楽しませてくれる傀儡にはなるだろう」


 ニヤリと笑った男の眼光が、獣のように鋭く光った。








 「爪竜連牙斬!」


 「ぐあぁっ!!」


 「それまで!」


 ルウェインとの稽古で体得した術技に兵士が大きく吹き飛ばされ、ブルーム・イスアードがすかさず終了の合図を出した。その横にいるルウェインが満足そうに頷いている。
 傭兵になって2週間が過ぎた頃、私はセインガルド軍の訓練に参加していた。何でもこの日は月に1回行われる合同訓練で、今回は七将軍の1人、ブルーム・イスアードの隊と共に行われている。どの将軍の隊と行うかは毎回異なるようだが、合同訓練の際は大抵このような対戦で部下達の実力を測っているらしい。


 「いてててて…」


 「すみません、大丈夫ですか?!」


 対戦相手だった兵士に慌てて駆け寄ると、その男はすぐに起き上がり、自身の肩を撫でた。


 「あぁ…。医務室行きになったロワークよりかは平気だ…。やるな、あんた」


 訓練場の出入口を見やった男に乾いた笑いを漏らす。
 何を隠そう、イスアードの部下であるロワークを医務室行きにさせたのはこの私だ。ルウェインの稽古で体得した術技以外にも谷山さんから教わった技を出してみたら物の見事に決まり、うっかり気絶させてしまったというわけだ。


 「医務室に行きましょう」


 「いや…、大丈夫だ。これぐらい怪我のうちに入らないから気にするな」


 「ですが、冷やさないと…」


 そうさせてしまった申し訳なさに目を伏せる。相手は大丈夫だと言ってはいるが、せめてアイシングぐらいはしなければ。痛みを引きずらせて任務などに支障が出たら、「申し訳ない」では済まなくなるかもしれないのだ。
 それを伝えようと口を開いたのとほぼ同時に、横からルウェインが現れた。


 「怪我のうちに入らないのなら大丈夫ですね?」


 有無を言わせない、どこか重圧感のある声色に男が口元を引きつらせて何度も小さく頷く。「心配掛けてすまなかったな」とだけ言い残してさっさと同僚たちのところへ行ってしまった。


 「今の試合で合同訓練は終了です。お疲れ様でした」


 「お…、お疲れ様でした…」


 イスアードの号令でこの場で解散となり、兵士達が談笑しながら続々と訓練場を後にしていく。その様子を見ながら立ち上がると、「良いものを見せてもらった」と嬉しそうにしているイスアードがこちらにやって来た。


 「大の男を2人も倒すとは。流石ルウェイン殿の秘蔵っ子と噂されているだけあるじゃないか」


 「あ…、ありがとうございます」


 「あのような技を使われるのには驚きましたが、人目につかないように稽古をしていた甲斐がありましたね」


 「ルウェイン殿、最初からそのおつもりだったのですか」


 「娘のようなアヤナさんを、おいそれと大勢の兵士達の前には出しませんよ」


 つい先ほどよりも色濃い、新たなルウェインの意外な一面にぎょっとした。「娘のよう」と言ってくれたのは嬉しいが、下心を抱いた兵士が私に声を掛けるのを見掛けようものなら恐ろしい展開になりそうな気がしてならない。


 「ル、ルウェイン様…」


 「冗談ですよ」


 「冗談を仰っているようには見えませんでしたが」と言おうとしてハッとする。

 ルウェイン様、もしかして…。

 今まで訓練に参加させなかったのは、私の為なのではないかと思った。今までの任務を共に遂行した兵士達は人当りが良く、私に偏見を抱くようなことをしない人ばかりだった。稽古をつけてくれているのも、私が実戦の感覚を鈍らせない為だったり、この世界に通用する実力をつける為だけではないのかもしれない。


 「私達は城に向かわなければなりませんが、アヤナさんは先に屋敷に戻ってゆっくりしていて下さい」


 「あ…、はい」


 「私も日が暮れる前には戻れると思いますので」


 「アヤナ、今度は是非私の隊の訓練にも参加してくれ」


 「その際は私もお邪魔しますよ」などと会話しながら訓練場を後にした2人を見送った後、医務室に寄ってから外に出た。







 屋敷へと戻る途中、城を通り過ぎた辺りでふと立ち止まった。仰いだ空は白い雲がゆっくりと流れ、太陽が見え隠れしている。

 ルウェイン様はきっと、私を守ってくれているのかもしれない…。

 ルウェインは、私が素性を知らされていないながらに国王に身を保障され、更に自分に保護されていると知れば、私を良く思わない人間が少なかれ出てくると考えたのではないかと思う。私の素性を打ち消してしまえるほどの、ルウェインが納得するほどの強さを身に付けたと判断したからこそ、こうして今回の訓練に参加するよう言ってくれたのではないだろうか。


 “娘のようなアヤナさんを、おいそれと大勢の兵士たちの前には出しませんよ”


 確証は持てない。けれど、そう言ってくれたのを聞いてそんな気がしたのだ。

 …いつかは『恩返し』じゃなくて、『親孝行』をしてもいいのかな。

 空を仰いだままそんなことを考えていると、足音にハッとした。


 「こんなところで会えるとはな」


 声のした方を振り返ると、そこには長身の男が立っていた。
 丈の長いスーツに、黒い長髪。全く隙のない佇まいに胸がざわつく。考え事をしていたとはいえ、気配には敏感であるはずの私がこの距離まで男に気付かなかったとは。


 「君の噂は聞いているよ。アヤナ・サナダ、といったね」


 「あ…、あなたは…」


 「私はオベロン社総帥、ヒューゴ・ジルクリストだ」


 その名を聞いて大きく目を見開く。ヒューゴも口にしていたが、まさかこのような場所で会うとは。


 「っ!大変失礼致しました…!」


 「今まで顔を合わせていなかったのだ、仕方あるまい」


 佇まいが少し和らいだように見えるが、大企業の社長としてのものとは何かが違う。私の心の中に靄のようなものが掛かり、どこか重くなる。


 「つい先ほど、陛下と君の話をしていたところだったのだよ」


 「私の…、ですか?」


 「君には折り入って話したいことがあるものでね。是非会ってみたい、と」


 折り入って話したいこととは何なのだろうか。向こうの世界のことかと思ったがそうではないようだ。


 「今、君に時間があるのならば私の屋敷で話をしたいのだが、どうかね?」


 「私には問題はありませんが、屋敷にいるイリアさんとメイランさんにお伝えしなければ…」


 「君が私の屋敷にいることは兵士から伝えさせよう。それならば問題はあるまい」


 戸惑いながらもそれに頷くと、ヒューゴが近くを巡回していた兵士に声を掛け、ルウェインの屋敷に行くよう使いを命じた。


 「よし、では行こう」


 こうして大きなヒューゴの背中をついて行き、話とは一体何なのかと不安を抱きながら屋敷へと向かった。






 「どうぞ」


 「ありがとうございます」


 美しい黒髪を持つメイドの淑やかな笑みと共に出された紅茶の礼を述べて、目だけを動かして応接間を見渡した。

 さすが、セインガルドの国家予算に相当する利益を出してるだけあるな…。

 ミルクを入れてかき混ぜ、一口啜ると上品な香りが口いっぱいに広がる。
 この紅茶や応接間に通されるまでに見てきた装飾物も、流石オベロン社総帥の屋敷、としか言いようがない。メイドの人数だってそうだ。

 それにしても、話って何だろう…。


 「待たせてしまってすまないな」


 私室に寄っていたヒューゴが応接室にやって来る。マリアンと呼ばれたメイドがヒューゴの分の紅茶を用意すると、一礼して部屋を出て行った。2人きりの雰囲気に緊張感が背中に走り、再び胸がざわめき始め、心も重くなる。これは何なのだろうか。


 「この世界には慣れたかね」


 その言葉にティーカップをソーサーに置く手がピクリと動き、私の心情を表すかのように紅茶が揺れた。参謀として国家レベルの発言力を持ち、国王との接触する機会の多いヒューゴならば私の話をそこまで聞いていても何らおかしくはないが、一方的に私を知る相手にそれを触れられると不意を突かれたような感覚になってしまう。


 「…はい、何とか」


 国王やルウェインの配慮で不自由なく過ごせているというのに、そう述べることしか出来ない。妙に口の中が乾き、置いたばかりのティーカップを口元に運ぶ。そうなるのは相手が大企業の社長だからなのか、話が何なのか全く読めないからなのか。私の緊張を解せるような話題を振ってくれてはいるが、どこか落ち着かなかった。そんな私を察したヒューゴが一息置いて口を開く。


 「傭兵として留める事情を陛下から聞いてはいるが…。君は本当にそれで良いのかね?」


 「と、申しますと…?」


 遠回しではあるものの、本題に移ったと思われる口振りに密かに眉を寄せた。


 「君を街で見掛けた時にある確信をしたものでね。君は上級兵士…いや、それ以上の立場に昇格できると評価しているのだよ」


 眼鏡の奥の眼光は経営者としてのものにしては鋭く、唾を飲み込んだ喉がゴクリと鳴った。紅茶で口を潤すにはタイミングが悪い。


 「…私には勿体ないお言葉です。ですが、何故そのようなことを…?」


 話の趣旨が全く読めなかった。暗に客員剣士になれると言っているようにも聞こえるが、ヒューゴは私の実力を人づてに聞いたに過ぎない。それだけでそんなことを言うとは思えないし、第一ヒューゴがこの状況で言い出すことではないだろう。何より私が今の立場で充分だと思っていることは国王からの話で理解しているはず。それなのに「本当にそれで良いのか」などと私の気持ちを確かめるように問うのは何のつもりなのか。
 そう色々と考える私にヒューゴが口にしたのは、全く想像していなかったものだった。
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