Craspedia

□Craspedia -プロローグ-
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 警察官が救急車で運ばれて行くのを見届けた後は、現場に残って一部始終を見ていた通行人や警察官と実況検分に立ち会い、更に現場の清掃などの後処理に追われ、支部に戻ったのは22時近くだった。


 「とんだ災難だったな」


 警察署から報告を受けていた隊長が苦笑いを浮かべながら淹れてくれたコーヒーをすすって深く頷く。


 「連中を止めるより掃除の方が大変でしたよ…。近所のお店が外に出してた空き瓶を全部割ってるんですもん…」


 ため息をついて自分のデスクに戻り、引き出しから報告書の用紙とペンケースを取り出す。


 「まぁ、あの事件とは比べるまでもありませんが」


 「…そうだな」


 それぞれがデスクにある卓上カレンダーに視線を落とす。

 もうすぐ2年か…。

 再び事件の記憶が甦ってしまい、「比べるまでもない」なんて言うんじゃなかった、と後悔する。隊長がそれを察したのか先ほどの騒動に話を戻した。


 「警視庁は薬物の取り締まりも強化してるのは真田も知ってるだろうが、被疑者にも検査を行うらしい」


 「陽性反応が出たらあの騒動の原因の1つとして考えられるかもしれませんね」


 「あぁ。結果が分かり次第こちらにも連絡するそうだ」


 「承知しました」


 「売店に行って来る」と部屋を出て行った隊長をデスクから見送り、その間に報告書の作成に取り掛かった。普段はとうに支部に戻って帰宅できているというのに、先ほどの騒動で戻るのが遅くなり、隊長も私もこの報告書が出来上がらないと退勤できないのだ。


 しばらくして戻って来た隊長からチョコレート菓子を頂いて、それを食べながら現場でとったメモを確認して報告書を書き上げる。当直の同僚たちに引き継いでようやく0時近くに帰宅となった。


 「明日はあいつのところに行くのか?」


 「えぇ。ちょうど月命日ですし」


 「…そうか。俺は今月は行けそうにないから、これは花代の足しにしてくれ」


 「ありがとうございます、隊長」


 「あいつに宜しくな」


 電車で通う隊長とエレベーターで別れ、そのまま地下にある駐車場へと向かう。
 今日は神室町の巡回のみだったから勤務時間は短かったが、来週は通常の任務以外にも警視庁との定期報告会で休みが潰れてしまう。
 台風も近付いているとなれば、明日の休みは墓参りが終わったら買い物やら洗濯やらで忙しくなりそうだとヘルメットを被った。












 ―次の日の午後。

 私は涼しい風を浴びながら、豊かな緑に囲まれた緩やかな道を歩いていた。人とすれ違うことはほとんどなく、ここに多くの人が訪れるのは年に数回ぐらいだろう。普段は鳥の鳴き声と風に揺られる緑の音で穏やかな空気に包まれている。
 途中で買った花束を優しく抱え、石畳でできた道を左に曲がる。そこから少し行ったところで立ち止まった。


 「こんにちは、谷山さん」


 微笑みながら挨拶して、墓石の周りに落ちている葉っぱを払う。


 「今月はコスモスにしてみました」


 「誰かと被ったらすみません」と続けて墓石の前に花束を供えて手を合わせた。
 供えるのは仏花が普通だろうが、納骨の時に谷山さんの家族が「季節の花の方が息子も喜ぶだろうから」とスイセンを供えていた。それを聞いて「ならば自分たちも」となり、冬はスノードロップやサザンカ、春はナデシコやマーガレットなど様々な花を毎月供えている。


 「最近は特に大掛かりな任務は来てませんし、わりと平和です。まぁ、神室町は相変わらず賑やかで、何らかのいざこざはありますけど」


 苦笑いを浮かべてバッグから缶コーヒーを2本取り出し、1本を墓石の前に置いた。


 「昨日なんか喧嘩を止めるはめになりましたよ」


 もう1本を開けて一口飲むと、コーヒー特有の苦味とミルクの風味が口の中に広がる。
 外で缶コーヒーを飲むと、自然と谷山さんや同僚とツーリングに行ったことを思い出す。その土地の名物を食べに行ったり、ダムや紅葉を見に行ったりと色々な所に行ったものだ。途中の休憩では必ずと行って良いほど缶コーヒーで温まり、雑談やバイクの話に花を咲かせていた。

 春になったら、何処かへ桜を見に行こうと話してましたね…。

 谷山さんはいつも自分より周りを優先していたし、面倒事も自ら引き受けたり、人を喜ばせることが好きな優しい人だった。
 仲は良かったが不思議とお互いに恋愛感情はなく、先輩と後輩というより兄と妹のような色が強かった…と私は思っている。塚原が結婚した時に「俺らが50過ぎても独身だったら結婚するか」なんて言われたこともあったけれど、酒の席だったので本気だったかどうかは今はもう分からない。

 それ以外にも様々な思い出に浸り、気が付けば膝を抱いて俯いていた。長めの前髪が風になびいている。


 俺のことは…忘れて、くれ…


 頭が自然と思い出から事件の記憶へと巡っていき、谷山さんの今際の言葉が紡ぎ出される。


 「……」


 忘れることなど出来るはずがない。
 谷山さんはきっと、自分の死を引きずらないように言ったのだと思う。谷山さんの性格を考えるとそう思う反面、残された人間のエゴに過ぎないんじゃないかという思いもある。
 同じような経験をどれだけの人がしているかは分からない。人は様々な苦難にぶつかりながら生きるものだと理解はしていたつもりだけれど、あの辛さは想像以上でもう二度と味わいたくないと強く思ったのは確かだ。
 あの事件で私は守ろうとしていたものを守れなかった。力不足だと思い知らされたし、自分の存在意義が分からなくなってしまった。ただひたすら、守ろうとするものを守れるような力はつけてきたけれど、それは充分なものなのか、療養中に見つけた『答え』は正解なのかは分からない。

 『守る』って、何だろう。

 『戦う』って、何だろう。


 「あ…」


 いつもは普段の出来事を話す程度で止めているというのに、今日はやけに事件の記憶が色濃く甦って深く考えてしまった。昨日の神室町での出来事のせいだろうか。
 「すみません」と謝って墓石を撫でた。


 「…さて、そろそろ行きますね。来週辺りにはもうすぐパパになる塚原も来ますから、相手してやって下さい」


 ゆっくりと立ち上がって一礼し、「また来ます」と微笑んで歩き出した。
 今度は何の花にしようかと考えながら駐車場へと向かっていると、微かに聞こえてくる声に足を止めた。


 “わたしは…”


 「え…?」


 切り取ったようにはっきり聞こえたのに、少し風が吹いただけでかき消されてしまいそうなほどか弱い声だった。
 その声は憂いの色が強く滲み出ていて、声の主は何に対してそう思っているのか、何故そうなってしまったのかが気になった。 
 辺りを見回しても人気がなければ気配もない。墓地という土地柄、亡くなった人の声かと思ってしまったが、私は生まれてこの方霊感と呼ばれるものなどはない。


 「……」


 今度は目を閉じて耳を澄ませたが、声が聞こえることはなかった。
 気にはなったものの、どうすることも出来ずにモヤモヤしながら車へと戻った私は後日、更に不思議な体験をすることになる。
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