小唄

□しろくろ
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隙間の開いたブリキの板壁は容赦無い太陽光線を遮るどころか貪欲に貯め込み、ちょっと触っただけでも火傷しそうだった。
夏は酷く暑くて冬には酷く寒い、わざととしか思えない位雑な作りの欠陥校舎。
年に1度のバカンス(という程高級な物ではないが)後、休み呆けを増長させるだけの生温い風が黄ばんでる上に虫食いのようにぽつぽつと穴の開いたカーテンを膨らませている。
二日目からみっちり授業詰めで、ただでさえ動きの鈍い脳みそはもう死んだも同然だ。
最終関門の六限目は古典。仏様そっくりの専任が、教科書の上でミミズが這った跡みたいに引き攣れている文字を濃緑に白墨で写していく。
丁度反転したような色合いは面白いけど、どうして黒板は黒くないんだろうなあなんて下らないことを一生懸命考えてみたりする。
右から左に抜けていく抑揚のほとんどない解説はこれまた経文そっくりで、これで起きていられる方が不思議だ。
(はい、もー限界・・・)
まっさらのノートの上に堂々と突っ伏して、残り二十分は夢の国に旅立つことにした。



間延びした鐘の音で目を開ける。途端に方々から小波立つような雑雑しい話し声が上がる。
本日の苦行はここまで。
うんと伸びをしてから形だけ拡げていた勉強道具をまとめて鞄に突っ込んで、一番後の彼の席の前へ。
「・・・嫌です」
「まだ何も言ってないだろ。」
此方が口を開くより先に飛んで来る素気ない返事に苦笑いが出るが、ちらりと見せる上目遣いには責める色こそ浮かんでいるものの、怒ってはいなかった。
「いつもながら感心しますけど、一番前でよくあんな堂々と寝れますね」
「あそこは死角なんだぜ。後の方が先生見てるって、知ってた?」
知ってるから真面目にやってるんでしょうが、と大きな欠伸を噛み殺しながらもごもごと不満を漏らす。取澄ました顔で優等生サービスしてるこいつだって、三時半を過ぎれば魔法も解ける。
「それはご苦労様〜って、あら」
目線が外れてるうちに、とこっそり手を伸ばしていたのに、指が触れる前にさっと取り上げられてしまった。惜しい。無理な体勢のままもっと延ばすが、元から上背のある彼に立ち上がられては元も子も無い。
「人に物を借りる時は何て言うんですか?」
見下ろす、いや見下してくる微笑は爽やかこの上ない綺麗なものだが、弱い所を突いてくる口調はもはや極道。とんだ女王様だ。
「・・・オネガイシマス姜維様」
「はい、良くできました」
ノートを寄越しながら、片手で頭を撫でられる。犬か子供かって扱いだけど、不思議とこいつ相手では嫌な気はしない。薄らとも日焼けしていない白い手は、線の細い身体には不釣合いな程大きくて優しい。


「楽しそうだなあ・・・お邪魔かな?」
ふっと差した人影に目線を上げると、参加していないのに見ているだけでも充分に愉しい、というような福福しい顔があった。
「劉公嗣!」
自ら輪に加わることのあまりない大人しい級友(校長の一人息子だそうだ)から話掛けてくれたことで、真面目な学級委員長の顔がぱっと明るくなった。(気付いたのは俺だけだといい。)
俺はちょっと苦手だけど、こいつはこういう御坊ちゃんの相手は平気らしい。
どうぞ、と口調と違わぬのんびりした動作で紙箱を差し出してくる。
「温泉に行ったので、皆にお土産だ。」
「へー、可愛いですねえ」
先に取り上げた姜維が歓声を上げた。賜り物は安っぽい上底に整列した所謂定番のまんじゅう、けれど見た目は良くあるつるりとした饅頭型ではない。控え目な起伏の上で色分けされた二種類の生地から、かの有名な動物を模していることが推測される。・・・一応。
大分歪んではいるけれど。
―温泉で何故パンダ?
何やら話が弾んでいる二人を横目に、ばっさり真っ二つにしたまんじゅうと納得いかない組合せへの疑問を呑みこむ。甘過ぎる機械製の餡子は正直美味しくはない。けれどありふれた味はどこか懐かしく、何よりそろそろ声を上げる腹の虫への労いには丁度良かった。
ふと、視線を感じて目線を移すと、坊ちゃんとばっちり目が合う。
「結構美味かったよ。ありがとな」
礼を言ってもちょっと首を傾けて思案顔だ。いつもの浮世離れしたほわほわと柔和な表情が少し翳んでいる。えーっと俺、何か変なこと言いました?
読めない表情のまますいっと手を延ばし、俺の頭を撫ぜる。唐突な出来事に瞬きが増えた俺をそのままに、もう片方の手で同じ様に姜維を撫ぜた。
「「はい・・・?」」
混乱と少しの照れ臭さから呆然と見上げる間抜けな二人に、今度はいつもよりはっきりした笑顔を向ける。
タイミングよく迎えに来た美人の彼女さんに答えてから、じゃあまた明日。と言って箱を持直すと悠々と去って行った。
「・・・何だったんだ」
「さあ?」
二人とも苦笑いするしかない。
やっぱり、あの人は何考えてるか分からなくて苦手だ。



「どこの温泉だって?」
「海の傍の所だそうです。湯に海水が混じるからしょっぱくて、身体も浮いたりするそうですよ」
「へー。海かあ」
「ふふ、夏侯覇には向いてないですね。」
「ちぇ。・・・家族でってことは、あの彼女さんも行ったわけだ」
「・・・何考えてんです?」
「予想では白のビキn「夏侯覇のえっちー!!!」
わあびっくりした。わざとらしい高声に大仰に驚いた真似をする。いやいや普通に見えてたし。驚かせないと気が済まないのか、この人はいつも妙なタイミングで現れるのでいい加減慣れた。
ただ、突然背後から抱き着かれてがっちり耳を塞がれた向いのターゲットは瞠目して固まっている。
ただでさえ落着かない放課後の空気の中、温度が更に上がった気がした。
「もうっこの子にそんな生々しい話したら駄目じゃなーい」
「年頃なんだからそれぐらい考えるっしょー。大事なことだって!そいつだっておっぱいは大きい方が良いって」
「いやー嘘嘘っっ若じゃないんだからそんな事言わないよ!」
「こっちよりも馬岱さん、そろそろ本命絞った方がいいんじゃないの。毎日違う子連れてるみたいだけど」
「ええー皆好きなのよ?俺は博愛主義だからさ」
学び舎に相応しくない話題の応酬の合間、もぞもぞと身を捩ってやっとのことで拘束から逃れ、振り返った姜維は大きく肩を落とした。
一から十まで予想通りだな。
「なんだ岱殿か・・・また何の用です。」
「ひどっ!なんだ、は無いんじゃない?」
いかにも素気ないあしらいに傷付いて見せるのも毎度のことで、この遣り取りと誰にも平等な言動が彼なりのコミュニケーションだ。
(身体距離が異様に近い、という欠点はあるのだけれど。)
放って置くと座敷童子並みに受動的な優等生は、こうして正面きって踏み込まれることが意外に嫌いでは無いらしい。何だかんだ文句を漏らすものの、その表情や声色に棘は見えない。
「これ、貰い物なんだけどさ、姜維にあげようと思って」
「私に?」
こういうの好きでしょ?と圧し掛かったまま腕を伸ばして、百戦錬磨の武士にも引けを取らない傷だらけの机に小さな箱を置いた。
指輪なんかが仕舞ってありそうな別珍張りのケースに似せた、丁寧な作りの蓋をそっと開く。
「おー、凄い」
「良く出来てますねえ」
二人揃って感嘆の声を上げさせたものは、絞まりのない姿勢や豊かな毛並みまで精巧に像られた小さな動物。
モノトーンでも十分に愛らしいパンダ(二頭目)。
鼻先を擽る濃厚な香りから飾り物の類ではなく食品、チョコレート製だと知れる。その辺で手に入る適当な物とは別次元の高級品に違いない。
でもこの時期にチョコって、地味に困るだろ。
「溶ける前に食べちゃいなよー」
「すいません、でもちょっと勿体無くて・・・」
脚を摘まんで回しながら裏側までじっくり眺める顔は嬉しそうで、ただでさえ小奇麗で中性的な顔がますます女の子みたいだと思う。
ひっつきそうな距離にある、陰翳のはっきりした造形で歳の割りには玄人染みた男性顔とは年齢の差等ではなく、もっと決定的に違う、別の生き物に見える。
(だから近いって。。)
触れ合ったのも束の間、指先に滲む生温かい粘物に気付くと慌てて指を離そうとしたが箱に戻すのも躊躇われたようで、真剣な面持で逡巡した後ようやくああそうだ、と携帯に最期の姿を納めた。
「いただきます。」
脚から、尻からなんて遠慮なしに胴体半分まで噛り付く。ん、と小さく声を漏らして手に残る断面を見遣る。
一個の塊ではなく腹にはクリームが詰まっていたらしい。とろりとした乳白色の雫が半融けになった哀れな下半身と共に
細い指をゆっくりと伝っていく。
正直目の毒だ。何て淫靡なんだろう。
ほんの一瞬の出来事だったけれども、流れる白濁を舐める紅の舌が白い指に巻付く所まで湧いた頭の片隅に焼付いて要らぬ昂りを揺り起しそうになった。ゴメンナサイ姜維様。
「おいしい?」
眼を細めて睦言のように囁く先輩の一言に、残りを詰め込んで頬が膨らんでしまった為口が開かず、首を縦に振って答える。
嚥下し終わってから改めて御馳走様です、ありがとうございます、ときちんと礼を返す。こういう態度だと渡した方も喜ぶだろうという
模範解答そのままだ。
「どういたしましてー。喜んでもらえて何よりだよ。・・・あ、」
「んむっ?」
少々暑苦しい不精髭が更に距離を詰め、いやいや近いにも程がある、と突っ込みを入れそうになった所でちゅっと何かを吸った
音が聞こえた。気がした。
・・・いやいやいやいや、何やってんの?
「ついてたよ。ほんと、甘くて美味しい」
口より手が早いとは思ってたけどここまでとは。呆気に取られて固まった二人(本日二回目。)を見て少しも悪びれず笑っている。奪われた方は我に返ると急いで手の甲で唇を拭い、腹に思い切り肘鉄をお返ししていた。
「ぐはっ!!〜〜っちょ、今の本気だったでしょ・・・」
「チョコレートの御礼ですよ、岱殿。」
だからその爽やかで綺麗な笑顔は恐いんだってば。
まあ馬岱さんも懲りない人だから仕方ない、とも思う。こういう反撃に遇う事が分った上で過剰なスキンシップに及ぶのだからとんだ好き者だ。
「もうっ可愛い顔してほんと酷い。お兄さんもう帰っちゃうよっ」
「はいはい。さっさと帰って馬超殿に膝枕でもして貰って下さい」
わざとらしい泣き真似をしながら尚も縋り付こうとする腕を暑い、と下敷きで叩き落し、ひらひらと手を振ってすげなく扉へ追い返す。
寂し気に丸められた遠ざかる背中に、思い出したように問いかけた。
「そういえばこれ貰い物って・・・誰からです?」
「それ?夏休み最後の思い出作りーって一晩ご一緒した知らないお姉さんからだよ」
「「うわあ最低。」」
二重の意味にも三重の意味にも。
   
  
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