小唄

□蛇の目
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「はー・・・やられたな。」
ぶつぶつる恨み言をこぼしながら袖を絞れば、滝の様に水が落ちる。
「ああやっぱり・・・来るんじゃなかった」
重くなって身体に張り付く布が鬱陶しくて、盛大な溜息を吐いて上着を脱いだ。
「お前の思い付きは何時も余計なおまけが付く。」
「俺の所為か。成程、俺は水も滴る何とやら、だからな!」
「・・・・・・」
「・・・悪かったって。何、行先は教えてあるから直に迎えが来るだろう」
「岱殿も気の毒に。」
鬱々とした黒い葉蔭から、肩を寄せ合って空を見上げる。ぽつりと一滴、鼻先に撥ねて思わずきつく目を閉じた。
「さっきまではあんなに晴れてたのに」
「この辺りの山は天気が変わり易いと言っただろう」
何所か潮らしい声色ではあるが、ちらりと見た横顔は平素と何ら変化が見られない。
心中では小憎らしい、と何処か安心する、という気持ちが丁度二等分程。
(―安堵のが少しばかり多いか。)
大の男二人には手狭な天然の傘の下でひっついている互いの腕は、伝う第三者の雫に熱を奪われて半端に温い。
季節をはぐらかすひんやりとした風に、彼がくしゃみを一つ。
「眉間に皺が寄ってるぞ」
「・・・雨は好きじゃない」

昔から嫌いだった。
幼い頃は表に出られないのが窮屈でたまらなかったし、年を経ると濡鼠となって働かねばならないのも億劫だ。
泥塗れの戦場も、御免被りたいと今でも思う。
蝉の羽音よりも無遠慮な水が地を叩く音、湿った土の匂い、ぐるぐると不穏に流れる重重しい色の雲。
無数の透明が折重なった帳で遮断された世界は、どこまでも憂鬱な灰色で。
特にこんな蒸し暑い時期には――


一瞬、全てが白く飛んだ。

「お?」
隣人が間の抜けた声を漏らした直後
形容し難い轟音が頭蓋を痺れさせ、腹の底を、地を揺らす。



隣の木に繋いでいた馬の悲痛な嘶きが、随分と遠くからのように聞こえる。
生けける物全ての吐息を掻き消さんばかりに激しさを増した雨音のせいだろうか?
「おい、」
反射的に項垂れていた顔をゆっくり上げると見慣れた灰緑が苦笑して、濡れた額に口付けを落す。
ふいに胸が詰ったような苦しさを覚えて大きく息を吸込む。息を詰めていたらしい。

忌々しい癖程直らないものだ。
「雷が駄目だったとはなー」
子供をあやす様に頭を撫でられて、際立つ感情は悔しさよりもやはり、はっきりとした輪郭を持つ安堵。
酷く情けない顔を晒しているのだろう。
「竜の子の癖に。」
「煩い」
生意気な口を噤んでやろうと上げた右手は、再び訪れた目眩にも似た閃光の中で無意識に彼を縋る。
「っ―、」
「大丈夫、大丈夫」
抱留められて耳を塞がれると、鋭敏になった触覚、嗅覚、感覚の全てが彼で包まれてしまう。
湿った膚越にぴったりと重なる鼓動は、僅かに頬にかかる吐息の熱さはまるで情事の其れに似ていた。
混乱した意識の根底は狂った信号を発し、自分でも不思議な程自然に接吻を交わす。
天からの火柱が突き刺さる度に何度も、何度も。

(―何やってるんだか。)
不意に可笑しくなって小さく哂うと、彼も同じ様に哂っていた。
「雨、弱くなったんじゃないか」
「直に止むさ。竜の気紛れみたいなものだ」
「成程、ならば気の変わらない内に頂戴しておこうか。」

息をつくの間も惜しむように、深い深い口付けを再開する。


願わくば駆け足で天の癇癪が過ぎ去った後に、華やかな色彩の蛇が顔を出しますように。


雨が少しだけ、好きになれそうな気がした。

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