遊戯

□青天starline
1ページ/1ページ

誰もいない、色の薄い土のグラウンド。
感覚だけで在り処が分かる風は少し湿っていて、(・・・ああ、そうかこれは世界大会の。)
じっとしていても汗ばむくらいの気温の中でも、隅に植えられていた桜は華やかさを失わなかった。
(あの枝の下で、愛らしく囀る小鳥と一緒に皆の背中を見ていたんだった。)
そう思って足を進めた途端、背後に人の気配がした。驚いて振向くと

『32分と11秒の遅刻だ!基礎トレーニングを3セット追加する!』



「っ!すいませ・・・・あ、れ」
絞り出した声は思ったよりも掠れていたし呂律も回らなくて情けない。おまけに不機嫌さを隠そうともしない彼の顔は相変わらず目の前にあるのだけれど、肩越しに見える区切られた狭い薄青は南の島のそれでなく、飽きるほど見上げた自分の部屋の天井だった。
「GutenMorgen.」
「・・・・・・・グーテン、・・・ぅ頭痛・・・・」
「昨日は随分無茶してたな」
そう苦笑いして額を軽くはたかれる。のろのろと身体を起こすと、床には凄惨な宴の跡が散乱していて足の踏み場も無い。
成程。というかこれを片付けなきゃいけないと思うと残るアルコールで働きの鈍った頭が一層重くなった。
「酷い顔してる。シャワー浴びてこいよ」
「はい・・・てかキャプテンいつ起きたんすか・・・」
「今何時だと思ってるんだ。」
あくびと溜息を交互に一つ吐いてベッドから降り、転がっている空き瓶を拾い集めながらバスルームに入る。
ああ、何だか分からないけど体中がベトベトだ。ビールでもかけられたかな。覚えてないけど。
「外は良い天気だぞー」
鳥の声もしない静かな室内で、間延びした彼の声がなぜか酷く遠く感じた。


(傍迷惑な伝統に限って無くならないよな、)
終業を迎える週の金曜日、数少ない門限のなくなるこの日は上級生が下級生の部屋に訪れる。
最後のあいさつや下級生から先輩たちへの労いというのが本来の意味合いらしい。・・・あくまでも表向きは。
お蔭さまで試験勉強の為の禁酒で半死半生になっていた上級生達の鬱憤が暴発し、どの部屋でも目も当てられない乱痴気騒ぎだったようだ。
ついた綽名は『Krieg』全くよく言ったものだ。
俺の部屋も例に漏れず彼らが来た訳で。それどころかどういうわけか同級のめんどくさい奴(例えばマキシムとか)まで便乗して居座る始末。
トルステンが居合わせたのが不運だったか。
国の誉はビールか、ワインか!
どちらかが口火を切れば丸1日口論のし通しだった数年前を思い出す。不毛な言い争いは誰かが間に入るまでは終わらなかった。
それは大抵チームの責任を負うキャプテンのヨナスであり、低レベルな罵り合いに飽きたニクラスであり、何とはなしに巻き込まれる俺だった。
・・・何だ、全然成長してないぞ。
他愛もない連鎖の上に乗っている自分に気付いて苦笑する。
昨日のメンバーは良く知った(知りすぎた)顔ばかりだった。理由や振舞いはどうであれ、彼を送る気持ちには嘘がないのだろう。
やっぱりまだまだ敵わないかな、と思った。彼はそれだけの器なのだろう。
背も伸びて知識も豊富になって、随分と大人に、彼に近付いたものだと思っていたのだけれど、本当はいくらも進んでいないのかも知れない。
あまりにも性質の違う16人が同じ屋根の下で暮らしたのはほんの僅かな間だったが、あの目の眩む様な鮮やかな日々は今でも昨日のことの様に思い出せるし(本当に昨日のことは忘れていても、だ)
根元は同じ所に繋がっているとういう確信がある。


濡れた髪を拭きながら部屋に戻ると、ベッドに腰掛けた彼は起きた?と言って笑った。
いつもと何一つ変わらない彼の表情や仕草が、なぜかとても鮮やかに映る。
「大分マシです。えっと・・・何かすみません」
「気にするな、ペーターは酒に向かない体質なだけだ。昨日は頑張ってくれた方だろ」
隣に座ると肩を抱いてくれた。長くて堅い腕の感触は昔と同じで、大きな手は相変わらず優しく温かだ。
「はい、」
特別扱いされている気分に浸りかけた途端、むき出しの膝の上に突然冷たい物を押し付けられた。
「っ!ちょっ、冷た」
「昨日の御礼。」
慌てて距離をとって見ると、その正体は大きなアイスクリームのカップ。
「お前がアイス好きだったの思い出したから、寝てる間に買って来た」
「ありがとうございます。・・・あ。すいません、皿が」
「スプーンはあるからこのままでいいだろ」

男同士でくっついて、溶けかけたアイスを交互につつく。何ともシュールな昼飯だ。
並んで座っているからお互い目を合すこともあまりなく、自然と会話もお座なりになる。
「いつまでこっちに居るんですか」
「手続きもほとんど終わってるから、来週には出るつもり」
「静かになりますね。」
「寂しいって言ってくれないのか」
苦笑いを含んだ声に何となく顔を上げると、此方を見ている彼と視線が合った。
相変わらず顔面の半分を覆う眼帯のせいで表情は余り判らないけれど、その瞳は思いの他真剣みを帯びていて。
星の輝きに似たひとつ目は、いつも真っ直ぐに見つめるものの奥深くまで照らしてしまう。
(寂しくはないのか?)
俺の中で反響する問いは聞こえない筈の、紛れもない俺の声。
(―Nein.)
今更あがいても待ってはくれないのだから。
「あー・・・キャプテン、」
まだまだ遠い先のことだと思っていたのにな。
キャプテン、
彼をそう呼ばなくなる日が、手を延ばせば触れる程近くに来ている。


「何だ」
「・・・大学でもやっぱり宇宙専攻ですか」
「勿論。そうか、ペーターは文学系選ぶんだ」
「いや・・・俺は大学には行かないつもりです。田舎の方で就職探そうかと」
「ふーん・・・何だか勿体ないじゃないか。」
「詩を書くのは好きですけど、それで生活しようとは思ってないので」
「案外現実的なんだな。世界中旅しながら〜とか言うのかと思ってた。」
「現実的な人間ほど、ロマンチストもんですよ。キャプテンだって」
「俺が?」
「だって火星に行くんでしょう」
月より遠いというぼんやりとした感覚しか持っていなかった自分たちに向かって、大きさ、地球からの距離、天候やその
星にまつわる世界中の逸話。時には難しい数式を交えて写真まで見せながら、熱心に語ってくれたものだった。
まあ俺には半分も理解できなかったけど。
そんな小難しい話をする彼の肩越しに、そらで星図を描けるくらいキラキラ眩しい空からひとつ、ふたつ
音も無くこぼれ落ちて来るのを見ていた。
「バカにしてるだろ。可能な話なんだぞ」
つい小さな思い出し笑いをすると、拗ねたフリをしてベッドに抑えつけられる。
「痛ー!!すいませんごめんなさい!」
とっくに空になったカップが床に落ちて乾いた音を立てた。



窓際に置いた古びたサッカーボールと今はもう履けなくなったシューズが目に入る。写真の中の自分と彼と、他の12人は揃いのユニフォームにそのシューズを履いてきっちり整列している。
全員が真面目腐った表情なのが今となっては逆に可笑しい。まあ他の代表に比べたらベタベタしてなかったかな。
でもちゃんと、ひとりひとりの距離が分かっていたし、結びつきは鉄ほども強かったと思う。
皆で目指した大きな一つの夢は泡のように消えてしまった。
それでもあの頃に聞いた、それぞれのゴールへの道はあの頃から途切れることなく延びていて。
まだまだ長いアプローチが必要だろうけど、願わくば誰一人そのレールから外れてないでいて欲しいと思う。
上がることのない左目の瞼の裏で、星の尾の輝きは今も消えない。

(流れ星って願いを叶えてくれるんだろう?)



重い、とか暑い、とか文句を言いながら寝ころんだまま窓から天を仰ぐ。
「キャプテン、」
「うん?」
「また皆でサッカーしましょう」
「・・・そうだな。」






白く輝かしい中天から太陽が見下ろしている。今日は久し振りに天気が良いから、とりあえず洗濯でもしようか。


(このシーツも洗わないといけないし。)

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ