遊戯

□デイドリーム
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暑い―
縦横に引かれた黒い石の道は照り返しに揺らぎ、じりじり草履越しの感覚は馴れた灼熱の刑場と大差無く。しかし空に満ちるのは鈍色の障気とは真逆の、違った意味で容赦のない白々とした陽。はっきりしない地底の空とも金雲に霞む天国とも違う、鮮烈な青に目が眩みそうだ。
その上で出所の分からない蝉の濁声がひっきりなしに鼓膜を叩いていて、まるで頭の中で砂袋を振られているようにざりざりと余裕が削られていく。

暑い。

ぶうん、と低く唸りながら眼前を灰色に過ぎる2トントラックがようやく起こした生温い風の向こうで、灯りが赤から緑に変わった。


常よりも大きめの歩幅で、ゆったりと坂を上がる。
別段、目的がある訳では無かった。知らぬ街ではなし、ただ気の向く方へと足を進めたら随分と懐かしい影が見えたもので、尖った塔の天辺をひとまずはゴールの矢印に見立ててみたのだ。
序の口で軒を連ねるのはまだ大半が民家だが、観光のド定番である界隈は幾度も肩を違えるお仕着せの浴衣姿すら込みで「なんか京都って感じ」と誰もが異口同音に感嘆するであろう景観に仕上がっている。私という一点の異形が交じった所で何の不測も無い。
(やはりこれで来て正解だった。)
鬼灯紋の黒衣でも「目立たないこと」を前提とした無難な現世の普段着でも無く、今日は木綿の白襦袢、藍縞の長着に水輪柄を織り込んだ黒の帯、大きめの麦藁の中折れを目深にして角隠しとしている。久方振りに袖を通した夏物は誂えた年代からして最早リアルアンティークだが、変に現世に合わせるより違和感は少ない筈。
何せ折角の休みなのだ、徒なさない限りは少々色を付けたって文句は出無い。

だらだらと続く緩い勾配に加え、どうにも遠近感の測りにくい指針は実数よりも遙かに遠く錯覚させられる。
暑い。
相変わらず蝉は四方で虚勢を張っている。

左足の拇が石畳の縁を越えること数十、小路の褄が少し開けた所で歩を止めた。帯に提げていた金魚柄の手拭いで首筋を押さえる。
間近で仰ぐ五重の屋根は記憶より堂々と煤けて、シルエットよりも一層黒く沈んで映った。等しく錆色で囲う木柵の前に立てられた由緒書きには人垣が出来ていて素直な感心、生返事の相槌、親の気を引く子供の喊声、見当違いの講釈ー等が交わされている。私はと言えば建立往時の悶着と張本人を思い浮かべて「あの時は随分必死でしたねぇ」と反芻するに止まる。経験した事実であるし、信心深い方ではないので。

さて、此処からの行き先をどうするか。
視線を巡らせれば向かいの真新しい漆喰塀に妙な物がぶら下がっている。近付いて見ればどうやら陶器の面ーらしいが、その表情は一般的に美と称されるどの種類とも違っていてはて、と首を傾げてしまった。
悲痛に喘いでいるのか愉悦に大口を開いているのか。感情を何倍にも可変乗除し筋肉の限界を無視するかの様に大仰に歪められ、目鼻の数も自由奔放、何らかの獣と無理矢理合成させた物もある。グロテスクの一言に尽きるが、不思議な既視感があった。
(―ああ、呵責中の亡者達がこんな顔だったか)
そう思えば凡そこの世の物には存在しないであろう奇妙奇天烈大行進、立体地獄絵図、白昼の百鬼夜行。人間の嗜好とは実に不可解なもので、芸術家の想像力とは真に無限の可能性を秘めている。
芸術家――次いで出てくる二人組、一人には視察の機会が合えば連れて来てやろうと思い、もう一人については無かったことにした。ないない、アレは芸術家で無く公害作成機である。
暫し渋面のまま立っていると隣の土産物屋の夫人に着物を褒められた。「ようお似合いどす。お若いのに綺麗に着たはりますなぁ」当然だ、こちとら年季が違う。

元来た道の方へくるりと踵を返す。此処はまだ半端な坂の半ばで、見下ろしても見上げていた時ほど眺望が良いとは言え無かった。
ふいに、左の袖に風が入る。ひやりと腕を撫でられる生々しい感覚に首を回せば、鮮やかな丹塗りの門に目が止まる。ランドマークの直ぐ傍のせいか慎ましやかな佇まいは信仰と日常が混在するここらではごく有り溢れた物だが、何故か酷く惹かれた。

呼ばれているのかもしれない。
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