遊戯

□灰色のイコン
3ページ/3ページ

「口上はこれぐらいに―」
「カスター少佐、一つ御願いがあります」
「聞こう。何かね」
これが本当に最後ならば。
「・・・私にキスをして下さいませんか」

先程よりも明ら様に愕いた顔をして、まじまじと見つめられる。それはそうだろう、今までの話の流れとは斜め上の提案だ。
でもこれが俺の導き出した、彼に対する問題の最終的で最善の策。だろう、と思う。
たっぷりひと呼吸置いて、大人しげな「Ja.」という囁きを聞いた。

眼鏡を投げ捨てると強く胸倉を引かれて、彼の形の良い唇が自分のそれに重なる。
しばらく重ねておいて感触を確かめてから1度離し、もう一度ゆっくりとくっつけ合う。
3度目に彼が舌を差し出して、4度目に俺が同じように返し、5度目はどちらからともなく背に腕を廻して深く絡め合った。
思い描いたよりもそれははるかに柔らかくふにゃりと潰れ、夢中になって強く吸うとくぐもっ声が彼の鼻から抜ける。頬に当たる呼気が擽ったい。
猥らな音を立てる湿った口内は生娘の蜜壷のように熱く蕩け、隙間から細い顎へ伝い落ちる銀糸の感覚すらも恐るべき愉悦へと変わり、背筋を粟立たせる。
口付だけで彼を犯しているという確かな錯覚。
随分長い間(正しい時間感覚ではほんの僅かかもしれない)、そうしてじゃれ合っていたが、やがて息が続かなくなった彼が唇を離し、
名残り惜しげに軽く舐めると、どんと胸を突き放された。


最初で最後の彼との接吻は痺れる程甘かったが、後味は涙が出そうな程苦い。
これは紛れもなく毒の味。



呼吸が落ち着くのを待って、少しだけ背の高い俺を見上げる彼は紛れもなく情事の後の表情で。凄艶、と言ってもいいだろう。
血が上った薔薇色の頬が歪み、先程まで繋がっていた唇の端を引き上げて嫣然と笑う。
「・・・、残念だ。もう少し早く君を知っていたら私の気も変わっていただろうに―」
しっとりと柔らかな温かさを左頬に感じた。既に眼球を失い欠けた視界には入らなかったが、彼の上等な手袋の感触であると知れる。
ざりざりと傷跡を辿る細い指は優しく、そこを見つめる眼は翳さす物が無くなったせいか深く澄み渡っていたが、悲しみを溶いて混ぜたような
微妙な輝きを湛えて揺れていた。
(ああこれだ!俺がずっと欲しかったのは!)
かつて彼が夢を馳せた空より、また彼が夢に描く海より余程透明で美しいであろうこの青色を、ずっと、独り占めしたいと願っていた。


ふと思い出したように左胸のポケットをまさぐる。重々しい勲章が慌ただしく肩をぶつけ、鈴のような音を立てた。
何かを取出し、俺の左手にしっかりと握らせた。拳を開かずともそれが何であるかは分かる。
彼が片時も離さず持ち歩き、事ある毎に眺めていた、鈍く灰色に光る錫の十字。
「ペーター、次に会う時までこれを預けておく。失くすなよ」
念押しのように上から硬く握る。しっかり頷くと彼も満足そうに目を細めて、とんと肩を叩いてくれた。
「向こうでヨナスに会えるように祈っててくれ」
その手は小さく震えていた。





「ニムケ中尉!!最後の任務を伝える!」

腰に手を当てて背筋をぴんと張り、いつものように声高に命令を下す。
俺は瞬時に身体を硬直させ右手を水平に上げて敬意を表す。
「これから三つ数える間に私は旅に出る!カウントは君が取れ!」
「了解しました!!」








「Drei!!」
くるりと背を向けて地の切れ目、垂直に切り立った崖の方へ。
















「Zwei!!」
少しずつ小さくなっていく。その背中はやっぱりいつも見ていたように真っ直ぐで。



















「Eins!!!」
演習時の彼のカウントはもっと大きかっただろうか。声を張り上げながら何と無くそんなことを考える。
遠くの空と海の境界線は相変わらず灰色に蟠っているが、丁度沈みかけた隙間から下がって切れ目から顔を見せ、
彼の姿と重なる。
鋭い逆光に目を閉じた。




















目蓋の裏には彼の長い影と伸ばした自分の右腕の残像。綺麗に交差して灰色の十字になる。
次いで、数分前の彼の一番美しい笑みを思い浮かべて、


























「Null!!!」







――――銃声。
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ