遊戯

□デイドリーム
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敷居を跨いだ中は門に相応しくこぢんまりとして、ほぼ正方形の境内には灯籠、極小さな手水場、某を奉った堂、それなりに年の重みを感じさせる拝殿が一つづつ。堂の周りは年若い娘さん達が数組囲みを作っていて、小さな社に漲る気の基は奥の本殿では無く此方に集中している。かく言う私も一寸気を引かれたが兎に角先に挨拶を、と巾着に手を突っ込みながら賽銭箱に向かい―
前に立ちはだかる黒い頭に一瞬にして全身の血が遡上し、自然痛い程寄る眉間に勝手に舌打ちが洩れた。
それに釣られて振り返った瞬間、50円玉を握り締めた右拳を確実に鳩尾に叩き込む。50と少しの大和文字では表現出来そうにない掠れた断末魔を上げて相手が地へ膝を着くまでの数秒はスローモーションの如く全てが完璧に明確だった。
「うぇ、げっほ・・・お、まえなあ」
「ご機嫌よう。此処は妖怪が棲むという話でしたが本当なんですね」
「僕の縄張りじゃないよ!」
見知りすぎた白い顔は暴発する感情に先の奇怪芸術宜しく歪むが、ふうと一息吐けば諦めたように小さく笑った。これにとっては殴られた苦痛など一瞬で消えてしまうので何の残らない、挨拶と同じだ。
「またフラフラとこんな所で油売って…どうせビザ無しでしょう、通報しますよ」
「長期でなきゃ観光はフリーだもーん僕。お前こそ何やってんだよ」
「もん、て。億越え爺が何甘えてんだ。今日は休みです」
「それでその格好?薬飲んでないんだ」
三本の視線が口元に凝る。
「個人的な用向きでしたので。金に困っちゃいませんが経費で落とせないのは勿体無い」
「相変わらず徹底してんね。仕事仕事ってさ」
「遊びにも手を抜きませんよ、私。機会が余り無いのが残念ですが」
よいしょ、と立ち上がって土を払う腕は相変わらず細い。全体に理細かくよく伸びる白磁の膚、固く尖った肘はつるりとして桃色、何を扱うにも繊細な指先の丁寧に薄桜まで無言で辿っていると「何?」と目を上げられる。
「その服は」
「嗚呼、さすがに白衣じゃ目立つかなと思って。こっちの夏は暑いって言うしさ」
目尻の神紋と耳飾はそのままだが、袖無しの白い中華服に、薄いベージュのズボン。裾を捲って臑を出すのは変わらないこれの癖であるが、恐ろしく低原価のゴムサンダルのせいで肌色面積が大きくなっている。諸々の壊滅的なセンスを考慮すればまずまず及第点であるが、これは何というかとても。非常に。
「…胡散臭い。」
「んなっ、何だとー!?」
「白衣着てると似非か藪の冠は付きますが一応医神の有り難みは在りましたがね、無くなると単に個人として非常に怪しい外国人ですよ。めっちゃボッタクられそう」
「押し売りなんかするか!端から端まで失礼だな!お前こそどう見たってその筋の玄人だぞ!!」
「喧しい白豚、丸焼きにされたくなかったらそこを退け。私は此方さんに挨拶もまだなんです」
「お前からふっかけといて何なんだ!本当!きぃぃ腹立つ!!」
地団太を踏んで憤懣遣る方無い態を隠しもしないまま私から硬貨をもぎ取って箱へ投げ入れ、ぱんぱんと適当に柏手を打つ。子供か。いや、天の落とし胤のこれは実際いつまでたっても世界で一番愛されている大きな子供なのかも知れない。
「私がやらなきゃ意味無いでしょうが」
「こんなんでも充分だよ。どうせ丸聞こえだろうしね」
気が済んだのかひらひらと手を振りながら平然と曰い、さっさと背を向ける。とんだ八つ当たりで済みません、と礼をしてもう1枚硬貨を落としておいた。


「きれいだね。」
門のすぐ前の小堂は柱も壁も隙間無くびっしりと飾りで覆われていた。華やかな丸いものは一様に同じ形をしていて、意図を以って集合していると知れる。
「成る程、庚申信仰ですか」
『くくり申』―丸い頭を包むよう四肢を反り返らせた綿人形は、悪さをして吊し上げられた猿を模している。道教思想の三尸が元になっており、人には自身の悪行を記録し、庚申の日に天帝へ告げる猿のような妖が棲んでいるとされる。その妖が抜け出して報告に行かないように、つまり改めるべき自身の悪行をひとつ暴いてくくり付けると同時に、除きたい憂いや叶えたい願いをひとつ書き付けて祈願するもの。他力本願に重心を置いた乾いた現代の形代とは異なる、「自戒を促す」という信仰の源流部分がまだ残っているやや特殊な縁起物だ。
「私これ好きです。具現化したネガティブキャンペーンといった感じで」
「相変わらず穿ってんな…でも、僕も良いと思う」
手近な一つを薄い掌が優しく包む。褪せた桃色は甘美な蜜を滴らせる天上の神餞を連想させた。滲む黒が記した内容はロクでも無かったが。
「例えばこれとこれ…阿〜こっちも似たような内容だけど、実は同じじゃない。色が違う、文字が違う、重さが違う。ほんの少しの偶然の差だけどさ、願い事もきちんと人の数だけ別になってるんだ。声と一緒、同じ物なんて世界に一つも無いんだよ。願い事ってのは気の固形。僕等は気を必要とする者。気がたくさん集まる場所を好む。気に満ちた大地や水や人そのものを好ましいと思える」
御覧、此処にはこんなにたくさんのひとが居るよ。
「それは初めての解釈ですね。人側ではきっと思いも拠らない」
くふふ、と彼は得意気に笑う。
思い付く限りの色彩を敷き詰めた一面は噎せる程に鮮烈で、そこへ刻まれた心は深淵の陰を含む。光らない鏡は見る者によって受け取り方はそれぞれかも知れない。
美しいと思うか。
不気味だと思うか。
今は並んで世界を裁く私達の様に、世界の秤は真逆に振れるだろう。
「ね、きれいだろ。」
さらりと透明な神獣の横顔を、私は暫く黙って見つめていた。

「…序でなんで貴方も一つ掛けたらどうです」
「ええ〜ヤダ。別に僕お願いなんて無いし、顔見知りに改まって恥晒してどうすんだ」
「やはり知り合いなんですか、青面金剛」
「まあね。なんでこんな形になっちゃったのかは良く分からないみたいだけど」
「魔改造はお家芸ですので」
「お前から聞くと洒落になんない。僕としてはあっちこっちにあって便利だから降り口に使わせてもらってるんだ。此処は特に良いね!本人が常駐してるし、女の子がいっぱいいる!!」
「やっぱそっち目的か。貴方一回真面目に奈落で罰受けるべきですよ。何時でもどうぞ、熱烈歓迎です。何なら直通の道用意しましょうか?」
「お前前科あるだろ!真顔やめろこの常闇鬼神め!」
「はい、どうぞ」
「??なに」
「だから書きなさいって。」
「いやだから書かないって。」
「いいから書け。『金輪際女性を誑かしません』ときっちり宣言してそのだらしない下半身シメて貰え」
「ふざけんな!!人に言うならお前も書け!」
「嫌ですよ。私だってお願いも反省なんぞも有りません」
「酒煙草を控えるとか」
「子虎に言われる筋合いは無い。鬼の肝臓では貴方みたいに溺れたくても出来ないんですよ。いっそ羨ましい」
「とばっちりの逆恨みもやめろ!!」

結局、私の文字で『一切不犯女人 白澤』と書かれた緑青と彼の文字で『仕事が少しでも減りますように 鬼灯』と書かれた深紅の申が仲良く吊される事と相成った。
あの世の調子そのままに喚き散らし、色に寄せられる蝶のようなお嬢さんの多い境内にで浮いた大の男二人を「やかましなぁ」と一言で斬り伏せた寺務所の老婦の不躾で豪胆な目は、千年先も忘れないだろう。
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