長編
□焦がれる君と鈍感な僕(完結)
2ページ/53ページ
1
今日も店には彼がいる。
いつものように、ウサギと戯れながら笑う背中の後ろに、見知った老人の姿を探したが、見当たらない。
今日も駄目か。
ため息混じりに、きびすを返した時だった。
「篠原さん?篠原要さん!?」
歩道に響き渡る程の、大声が降ってきたのは。
◇
わずか15坪程の店内は、相変わらず綺麗に整頓されていて、一ヶ月ぶりの馴染んだ店に、思わず笑みが洩れた。
残念ながらそれは、彼の声で吹き飛んでしまうのだけれど。
「いや、よかったですよ、お会いできて。じいちゃんの話だと、雑誌の発売日には、必ず取りに来るって事だったんで、ちょっと心配しちゃいましたよ」
狭い店内に響き渡る声は、若い男特有の張りにあふれているのだが、いかんせん大きすぎる。
篠原は、眼鏡のずれを直しながら、そっと俯いた。
しばらく不精をして、散髪していない前髪が、はらはらと眼鏡のレンズにかかって邪魔だった。
だいたい眼鏡なんてかけなれていないものだから、視界の隅にうつるフレームだって邪魔だ。
些細な事なのに、どこか苛立ってしまうのは、目の前の男のせいかもしれない。
ここに通っている事を、誰にも知られたくない。
だから、伊達眼鏡なんてものまで持ち出しているというのに、目の前の男は、あろうことか歩道でフルネームを叫んだのだから。
もちろん、篠原のそんな気持ちなど知る由もない男は、今時の女子高生達が騒ぎそうな「イケメン」に笑顔をのせたまま、レジの後ろ棚から雑誌を取り出したりしている。
ネームプレートには「水谷」の文字。
店主も水谷なのだから、関係者だろうか?
篠原と同じ年頃の孫がいるとかいう話をした事があった気もする。
そういえば、さっき、じいちゃん、と言っていたような。
なんだか虫の居所が悪いせいでか、聞き逃していた。
「あの」
初めて篠原の方から声をかけると、あからさまに嬉しそうな顔が振り返る。
よく見れば、目元が店主に似ている気もする。
「水谷さ、いえ、店長さんはどうされたんですか?ここの所、見えないようですが」
本当なら、取り置きしてもらっていた雑誌が篠原の手元にくるのは、一週間前の予定だった。
発売日に店の前まで来たのだけれど、窓から見える姿が店主ではなく、この水谷だったから入るのをためらった。
そのまま、ずるずると今日まできてしまったのだ。