長編

□焦がれる君と鈍感な僕(完結)
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今日も店には彼がいる。

いつものように、ウサギと戯れながら笑う背中の後ろに、見知った老人の姿を探したが、見当たらない。

今日も駄目か。

ため息混じりに、きびすを返した時だった。

「篠原さん?篠原要さん!?」

歩道に響き渡る程の、大声が降ってきたのは。

     ◇

わずか15坪程の店内は、相変わらず綺麗に整頓されていて、一ヶ月ぶりの馴染んだ店に、思わず笑みが洩れた。

残念ながらそれは、彼の声で吹き飛んでしまうのだけれど。

「いや、よかったですよ、お会いできて。じいちゃんの話だと、雑誌の発売日には、必ず取りに来るって事だったんで、ちょっと心配しちゃいましたよ」

狭い店内に響き渡る声は、若い男特有の張りにあふれているのだが、いかんせん大きすぎる。

篠原は、眼鏡のずれを直しながら、そっと俯いた。

しばらく不精をして、散髪していない前髪が、はらはらと眼鏡のレンズにかかって邪魔だった。

だいたい眼鏡なんてかけなれていないものだから、視界の隅にうつるフレームだって邪魔だ。

些細な事なのに、どこか苛立ってしまうのは、目の前の男のせいかもしれない。

ここに通っている事を、誰にも知られたくない。

だから、伊達眼鏡なんてものまで持ち出しているというのに、目の前の男は、あろうことか歩道でフルネームを叫んだのだから。

もちろん、篠原のそんな気持ちなど知る由もない男は、今時の女子高生達が騒ぎそうな「イケメン」に笑顔をのせたまま、レジの後ろ棚から雑誌を取り出したりしている。

ネームプレートには「水谷」の文字。

店主も水谷なのだから、関係者だろうか?

篠原と同じ年頃の孫がいるとかいう話をした事があった気もする。

そういえば、さっき、じいちゃん、と言っていたような。

なんだか虫の居所が悪いせいでか、聞き逃していた。

「あの」

初めて篠原の方から声をかけると、あからさまに嬉しそうな顔が振り返る。

よく見れば、目元が店主に似ている気もする。

「水谷さ、いえ、店長さんはどうされたんですか?ここの所、見えないようですが」

本当なら、取り置きしてもらっていた雑誌が篠原の手元にくるのは、一週間前の予定だった。

発売日に店の前まで来たのだけれど、窓から見える姿が店主ではなく、この水谷だったから入るのをためらった。

そのまま、ずるずると今日まできてしまったのだ。
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