『風に吹かれた者達』

□水無月
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 ザァー……

 朝から降り続いている、梅雨時の強い雨の中。
 彼は、雨宿りをしている。
 そこで、ずっと待っている。
 昨日も一昨日も、去年の夏も。
 その人が通りすがるのを、待っている。



………
 夕方、とある高校の玄関口。

「うわーすげぇ雨だなー」

 オレはなんとなく帰るのを躊躇していた。傘は持っているのだが、風が強く雨は横殴りで、差しても差さなくても大して変わらないような気がするのだ。しかし、このまま帰らないわけにもいかない。ケータイで天気予報を見ても、雨が止む気配はない。

(……しょーがねぇ、行くか)

 観念して、傘を差し歩き出した。


 学校を出て、十分余り。
 いつも曲がる角の一つ前の角で、オレは立ち止まった。本当はここから曲がったほうが家に近いのだ。
 だが、二年前からずっとこの道を通っていない。
 どうしても通りたくないわけじゃない。なんとなく、通りたくないのだ。

(……でも、あれからもう二年だ)

 何より、この雨の中をあまり歩きたくなかった。
 早く家に帰り着きたいオレは、その角を曲がった。


(…………)

 変わりばえのない住宅街、しかし懐かしい道を、速くも遅くもないスピードで進んでいく。
 その途中に、御地蔵様を祀った祠がある。
オレはなんとなく、そこに目を向ける。そして、

「……あ」

 見つけた。
 祠の屋根の下で、長い尻尾を優雅に立たせ、じっとオレを見返してくる、一匹の黒い猫を。
 その猫を見て、胸がじわりと熱くなるのを感じた。

「…………」

 オレは身体を進行方向に向けたまま、顔だけ猫のほうに向ける。猫も、身動きひとつせずにオレを見ている。
 ふと、思った。

(猫って、雨に濡れるの苦手だったっけ?)

 そしてほぼ無意識に、猫に近付きしゃがみ込んだ。

「お前、どっかの家の猫か?」

 オレは話しかける。猫は何の反応も見せない。

(首輪はしてないな……野良猫か)

 そっと猫の頭を撫でる。壁があり屋根もあるが、だいぶ濡れていた。
 もっとマシなところで雨宿りすればいいのに……と思ったが、そこは流した。
 兎にも角にも、こんな雨の中にずっといるのはよくない。
 オレもどうせこれだけ濡れているのだからと、ずぶ濡れの猫を抱えて自宅へ向かった。


 両親は海外に行っておりオレは一人っ子のため、家には今オレしか住んでいない。
 入ってすぐに傘と鞄を置き靴と靴下を脱ぎ、猫を抱えて風呂場へ急いだ。タオルを湯で濡らして絞り、それを冷えた猫の身体に巻いた。気のせいだろうか、猫の顔が和んでいるように見える。

「やっぱ猫ってかわいいよな……」

 オレも、和んだ。


 タオルを絞り直しては猫を包んで、を何度か繰り返しているうちに、身体がだいぶ温まった。
 乾拭きし、一先ず猫を自分の部屋に連れ、オレはシャワーを浴びた。
 部屋に戻ってくると、猫はベッドの上で寛いでいた。

「お前なぁ、一応客なんだからちっとは遠慮しろよなー」

 苦笑し、オレもベッドに座る。すると猫は、オレの膝の上に乗ってきた。

(人懐っこい猫だな……)

 そう思うと同時に、懐かしさを感じていた。



………
「ラック、おいで」
「ミャー」

 オレは以前、猫を飼っていた。色は、黒。英語の「ブラック」からとって、「ラック」と名付けた。
 だが、飼い始めて五年が経ったある日……ラックは死んだ。丁度今の季節と同じ、梅雨時。その日も大雨だった。
 オレはラックが本当に大好きで、まるで弟のように思っていた。それほどに大事な存在がいなくなってしまった後のしばらくのオレは、自分ではよくわからないが、まるで抜け殻のようだったと両親が言っていた。



………
 思えば、この黒猫はラックにそっくりだった。長い尻尾の優雅さも、行動も、まるでラックを見ているかのようだ。
 オレは、もう一度猫を飼ってみたいと思った。
 だが、あんな思いはもうしたくない、とも思った。

(…………)

 どちらにせよ、この雨の中にほっぽり出すわけにもいかないため、一先ず今日はこの猫を家に泊めることにした。


 猫と一緒にご飯を食べ、心ばかりの勉強をして、猫と遊んで。
 いつの間にか、いつもの寝る時間を過ぎていた。

(あ……もう寝ないと)

 オレは猫を抱え、ベッドに座った。

「よーし、猫、一緒に寝るぞ。あ、オレ寝相は悪くないから安心しろ」

 言ってニカッと笑う。

「ミャー」

 猫はそれに応える。
 電気を消し、ベッドの右半分に横になり、左半分に猫を寝かせ、布団を被った。

「じゃ、おやすみ」

 猫の身体を撫で、オレは眠りについていった。



………
 どうして今まで、一度も来てくれなかったの。
 ずっと、待っていたんだよ。
 でも、来てくれたね。
 ありがとう。



………
 早朝。
 オレはいつもより少し早く目が覚めた。

「ふあぁ……あー、まだ雨降ってんのか……」

 もう小雨にはなっているが、未だに止まない。
 そしてふと左側を見る。

「……あれ?」

 そこに、黒猫の姿はなかった。

「おーい、猫ー?」

 オレは立ち上がり、部屋を見渡した。ベッドの下や押入れの中を見るが、どこにもいない。
 別の部屋かと思っていろいろ探すが、

「……?」

 どこにも、猫はいなかった。

(……出て行っちまったのか……?)

 一瞬納得し、すぐに「有り得ない」と思った。
 だって、家中のどの窓も、開いていないのだから。

「……!?」

 困惑し、もう一度家中を探してみる。
 が、それは徒労に終わった。


 結局何の手掛かりも掴めないまま、オレは学校へと向かった。
 その時、もしやと思って昨日の道をもう一度通った。だが、祠にも、どこにも猫の姿はなかった。

(…………)

 雨に混じって、優しい風がオレを一巡りして通り過ぎていった。


 帰りもあちこち見て周り、家の中ももう一度よく探したが、結局猫は見つからなかった。
 しばらくぼんやりと外を眺め、唐突に思った。
 あれは、ラックだったのではないか、と。
 黒猫と出会ったあの道は、ラックとよく散歩をしたコースだった。そしてその度に、何故かあの祠で少しの間遊んでいた。

(……そうだ、あれはラックだ。ラックが、もう一度オレに会いに来てくれたんだ)

 きっとそうだ。
 そうであってほしいと、願った。

 そしてふと、昨日黒猫を見つけた時も、優しい風が吹いたことを思い出した。





【水無月】終

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