一周年記念

□BROTHER
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□BROTHER□





みえ





長年放置された屋敷の雨戸は、ひどく建て付けが悪くなっていた。
閉めようと、ぐっと力を込めたとたん左の手首に痛みが走り腕を押さえた。

「怪我してるの?」

「ああ、情けねえな。午前中ちょっとひねった」

「久しぶりの任務だから仕方ないよ。見せてごらん」

カカシはそう言ってオレの腕を取ると、ゆるく回したり持ち上げたりして様子を見る。

「湿布をしとこう。居間で座ってなさい」

「これを閉めてから」

「いいよ、オレがやっとく」

「このぐらい出来るぜ」

さっきはうっかり力を入れてしまっただけで、雨戸を閉めるぐらいなんて事はない。
けれどカカシはオレの背中をそっと押した。
言われたとおり居間で待っていると、雨戸を閉め終えたカカシが薬箱を手にやって来た。
箱の中から取り出した湿布を適当な大きさに切ってくれたので手に取ろうとすると、それより先に腕を掴まれる。

「片手で貼れるけど」

「いいから」

そう言って湿布を手首に貼ってくれる。それを見てオレはフッと笑いを浮かべた。

「何がおかしいの?」

「優しいなあと思って」

「怪我の手当をするぐその言葉の意味を尋ねるでもなく、カカシは穏やかに笑った。

確かにカカシは昔から優しかった。

七班の上司として共に任務をした時も、二人きりの崖の上で千鳥を授けてくれた時も、苛立ち紛れに激しい言葉を吐いて歯向かった時も。
そして、抱き寄せられ思いがけないキスをされ言葉を失った時も、震えながら初めて体を重ねたあの夜も……
いつもカカシは優しかった。
どんな時も踏み込みすぎない距離を取って、うまい具合に全てに置いてリードしてくれた。
欲しい言葉がもらえずに放って置かれているのだと恨んでも実は見ていて、最後にはちゃんと手を差し伸べてくれる。
決して深く立ち入ろうとしないカカシに、物足りなさを感じる事もあったが、実はその距離こそがオレが求めていた物だった。
それがよく分かったのが、里を去ったあの夜だ。
カカシが近づきすぎないでいてくれたからこそ、オレは全てを振り捨てあんな一方的な別れが出来たのだと思う。

――けれど今は違う。

「オレはずっと優しいでしょ」

湿布の上から包帯を巻き付けながらカカシは言う。

「そうだけど……前はどこかオレに遠慮してただろ」

「そうかな」 本当は分かっているだろうに、カカシはそんな返事をした。
そのままとぼけ通すのかと思ったら、独り言のようにつぶやいた。

「まあ……約束もあるしね」

「約束?」

その問いかけには答えず、包帯の端を巻き上げた隙間に押し込んで、カカシはオレの手を離した。
風も無く虫の声も聞こえない静かな夜だった。穏やかに流れる平和な空気に心が癒される。
暁の襲撃で壊滅した木ノ葉の里だったが、里の片隅に追いやられた集落の場所が幸いしてこのオレの生家はほぼ当時のまま残っていた。
この家にいると平和だったあの時から時間が動いていないような錯覚を覚え安心した。
懐かしい気配にあふれているこの場所が、今のオレにとってどこよりも落ち着ける一番好きな場所だ。

「オレがここに住みたいと思ってるって何で分かった」

「お前をオレのアパートに連れて帰った時にね、唖然としてたじゃない。昔とは違うんだって顔で。
窓辺の植木をじっと見てるのもさ、その中にウッキー君がいないかを探してたんでしょ」

「ウッキー君……」

ふざけた名前を久しぶりに聞いてオレは苦笑した。
やはりカカシはオレをよく見ているのだ。
カカシの留守中に通って水をやっていたあの観葉植物。
あの部屋とは違う真っ白な壁紙の窓際には、カカシが名前までつけてかわいがっていたあの木が無いのを知った時に、改めて時の経過を思い知った。

「あの時のお前を見て、昔が懐かしいんだろうなあと思ってね」

うちはの集落にオレが住むのはおそらく数々の問題があったと思う。
しかしオレの知らない所でカカシがそれらを全て解決してくれていた。
ある日突然引っ越すと荷物をまとめ始めた時は驚いた。
それもオレだけでなくカカシも一緒だと言う。
以前のカカシだったらこんな事は言わなかったはずだ。
一人でオレを住まわせて、時々様子を見に来るというのが以前の二人の距離だった。
同時にそれが当時のオレが望んでいた適度な距離だった。
今目の前にいるカカシを見て、オレ達は近くなったなと思う。
そしてこの近さが今の二人の適度な距離なのだと思う。



そのぐらい出来ると言うのに、結局布団もカカシが敷いて床についた。
丁寧に上掛けまでかけてくれたのには、思わず笑ってしまったが。
寝ていると隣の布団から伸びてきた手がオレの手を掴んだ。
しばらく黙って握られていたが、身を起こしカカシの布団にもぐりこんだ。
胸の上に乗りあがって上から口付けるとカカシが少し驚いた顔をした。
普段オレから仕掛ける事がまずないからだろう。キスの次は迷わず首筋に顔をうずめる。

「なあ……」

耳元に唇を押し付けながら思わせぶりに体を擦り寄せると、背中に回ったカカシの腕にぎゅっと力がこもった。
この先に起こる事を予感してジンと腰がしびれたけれど、カカシの口からは予想とは裏腹の言葉が返る。

「今日はこのまま寝よう」

優しい声でそう言って、なだめるようにまぶたにキスを落とされた。
不満はあったが背中を抱く手が温かいのに納得して、カカシの胸の中でオレは目を閉じた。
暗闇の中、カカシの心臓の音だけが聞こえる。
部屋に流れる懐かしくも優しい気配に包まれて、オレは眠りに落ちていった。








「いるんだろ」

サスケの背を抱きながら、オレは暗い空間に語りかける。
起こしてしまわないように気遣いながらサスケから体を離し、布団の上に身を起こした。
オレが見つめる先、ふいに北西の部屋の隅がぼんやりと薄暗く光り出した。
その光はやがてうずくまった人型に変わり、ゆっくりと立ち上がった。
歩くでもなくふわふわと揺れて近づくのは、それがこの世に生をなしていない者だからだ。
淡い光はすぐ側まで来ると、オレに見向きもせずふわりとサスケの枕元に座った。
そうして両の手のひらを畳について、じっと寝顔を覗き込んだ。
長髪を後ろで一つに結んだその人は、オレの知るようなコートを着ておらず普段着に身を包んでいる。
その影の外見は成人なのだから、この家で過ごしていた時代の姿と交錯しているのだろう。
亡霊めいたイタチの姿を初めてこの家で見た時に、オレはさほど驚きはしなかった。
昔この家で同じような姿のサスケの亡き母を幾度か目にした経験があるからだ。
こんな風に時折現れるイタチの影は直接サスケと会うのをためらうかのように、彼が眠った時にしか姿を見せない。
オレの姿に反応する事もない。文字通り影のように現れて、サスケの寝顔をしばらく眺めてすぅっと消えてしまう。
まるでそれ以外何の興味もないように。
この世に未練があるとも思えないイタチの事だ。
こうして現れるのは本人の思いとは別の、生前の意思のあれこれが断片的に混ざり合ってしまって離れている間ずっと心の中にあったに違いないサスケに会いたいという願望が、亡くなった場所から遠く離れたこの家で影になって現れる。
なのにサスケに姿を見せようとしないのは本心を隠し欺き続けていた頃の名残で、サスケの寝顔を優しく見つめるのは、赤ん坊のサスケを見守る幼少の頃の記憶。
オレはそんな風に考えている。

「無意識にもお前の気配を感じているんだね――」

聞こえるはずもない、仮に聞こえていてもオレの話など聞く気もないだろうと知りならがもイタチに語りかける。

「サスケはここに来てから一段と穏やかな顔で眠るようになったよ」

オレはいつからかこんな風に影に向かってサスケの様子を報告するようになっていた。
その日サスケに起こった事、何を言いどんな事をしてどんな事を思ったのか。そんな事を出来るだけ話してやった。
先に亡くなった母の影が今はもう現れないのを考えると、いつしかこのイタチも消えるに違いない。
せめてそれまでに多くの事を伝えてやりたかった。
たとえこの影が本人の意思とは関係のない存在だったとしても、オレの声が聞こえていなくても、聞く気が無かったとしても。

「今日は久しぶりの任務で手を怪我したけど、たいした事はないよ。明日には治って、これからどんどん仕事も増えると思う。
サスケの力を里も頼りにしている事だし」

イタチを取り巻く光が嬉しげにふわふわと揺らいでいる。
光が揺れるたびやわらかな空気が部屋に振り撒かれるようで、オレの口にも自然と笑みが浮かんで来る。
そんなイタチの様子をながめ、しばらくしてオレは口を開いた。

「前に約束したよね――」

イタチはサスケの顔だけを見つめている。まとう光が少し薄らいだので、今夜はそろそろ消えてしまうのだろう。

「オレは今度こそしっかりと側にいて、サスケを間違った道に走らせたりしないって……
でもそれは何もお前との約束だったからじゃないと、今は分かる。
オレ自身サスケの側に付いていてやりたいって、心からそう思うから今ここに一緒にいるんだ」

影が一段と薄くなっていく。もう一瞬後にも消えるだろう。オレは最後に語りかけた。

「だからイタチ、安心していいよ」

今にも消えそうな影がふいに顔を上げオレを見た。
三日に一度は現れるイタチの、これが初めてのオレへの反応だった。
実体では無いというのに絡み合った目は生前と同様に強いのに驚く。
生きている時と同じ輝きを持ったその目がオレを見据えている。
その時、消える寸前と思った光が一気に明るさを増した。
同時にイタチの強い視線がふいに和らぎ光の中でオレに微笑んだ。そうして一つうなずくと、すぅっと闇に消えてしまった。
しんとした部屋にはサスケの寝息だけが聞こえ、その中に一人、オレは取り残されたように座っていた。



その夜を最後に、二度と彼が現れる事はなかった。






おわり

 

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