story
□選択と共存
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僕は君にとっての何なの?
ねぇ、言って。君の口から。
君にはちゃんと彼女がいて、彼女の前では僕は君の「友達」ってことになってる。
でも、君は僕も抱く。
前に1度尋ねたことがある。
「男と女、どっちが好きなの?」
君は煙草の煙をフーッと吐いてどこか一点を見つめたまま、しばらく答えてくれなかった。
「ねぇ、どうなの?」
もう一度聞いたら、君は僕のほうを見ないで言ったんだ。
「バイセクシュアル。」とだけ。小さな声で。
僕にはわからないよ。
君が。
僕を抱く、君が。
選択と共存
夜11時。部屋のチャイムがうるさく鳴り響いた。
僕の部屋はマンションの7階にあるし、こんな時間に訪問者なんて少し珍しい。
鳴りつづけるチャイムを無視することが出来ずに僕は、ため息とともに重い腰を上げた。
チャイムの鳴り方から、僕にはこの訪問者が誰なのか心の奥底では薄々見当がついていた。
でも、それに気付かないフリをして玄関へと向かった。
できるならば開けたくない、見かけよりも重くて冷たいドアのノブへとゆっくり手をのばす。
やってくる人の気配を感じたのか、チャイムの音はもう鳴らなくなっていた。
扉を開ける。
2月の夜の冷たい風が一気に入ってきて、暖かい部屋にさっきまでいた僕のほてった頬に妙に気持ち良く感じられた。
そして僕の予想はやっぱり当たっていて、そこには乾の彼女が立っていた。
「―どうしたの?こんな時間に。」
できるだけ、普段と同じように振舞って言った。
彼女とは顔見知りで、僕と乾と彼女の三人で時々食事をすることもあった。
そんなときの彼女はいつも乾の好きな黒でまとめた服を着ていて、そしてとても綺麗だった。
柔らかい笑顔で柔らかい喋り方をする彼女は、心から乾を愛していた。
そしてこれはただ僕が感じたことだけど、やはり彼女も乾がいないとどうしようもなく不安になるらしい。
もちろん彼女は、僕を乾の「友達」だと認識している。
「…貞治がまだ帰ってきてないの。ケータイもつながらないし…不二君の家に来てないかなって買い物ついでに寄ってみたんだけど」
困ったように笑う彼女を見て、素直に可哀相だと思った。
綺麗で長い黒髪も、風のせいで少し乱れている。
でも僕には彼女を部屋に入れることは絶対に出来なかった。
「…あ、そういえば今日飲み会があるって言ってたよ。高校のときの同級生と。」
彼女の前ではつきなれたはずの嘘。でもやっぱりまだ慣れてないみたいだ。
僕の言葉を受け、彼女の顔が少し明るくなったのがわかった。
「そう…。電話くらいしてくれればいいのに。」
「きっともう少ししたら電話くるんじゃないかな。あいつ意外に忘れっぽいから」
そんなわけはなかった。
何事も計画通りにする几帳面な彼が、そんなことを忘れるはずなかった。
しばらく僕と他愛の無い話をしたあと、少し安心したのか彼女はありがとうと小さくお辞儀をして小走りで帰っていった。
彼女がエレヴェーターに乗りこむのを見届けてから、僕はドアをゆっくりと、そして確実に閉めた。
とたんに自分の体をひどく重く感じ、ひんやり冷たいドアに寄りかかって額をつけると
「ごめんね」
と小さくつぶやいた。
のろのろとリビングへ戻る。
暖かすぎる空気は重く、体にまとわりついて離れない。
リビングでは、僕が玄関に出て行く前と同じビジョンが広がっていた。
薄暗い部屋は暖かすぎるほどで、
テレビからはさっきまで僕が見ていた洋画のエンディングが流れ、
そして僕のお気に入りの青いソファには
乾が座っていて。
長い足を組んで雑誌に目を落としている彼に、僕は立ったまま聞いた。
「ねぇ。今の、聞こえてたでしょ?」
あぁ、とだけ、彼は返事をした。
「彼女に何も言わないで来たの?」
彼は答えない。黙って雑誌を読んでいるだけで。
「ねぇ、何とか言ってよ!」
僕は少し声を荒げた。
それに驚いたのか乾はちらっとこっちを見て、あぁそうだよ、と言った。
「あぁそうだよって…可哀相だと思わないの?」
『僕と、彼女が。』って付け足そうかと思ったけどやめた。なんだか惨めになりそうで。それに“可哀相”という意味を、どちらで取るのか彼をためしたかったのかもしれない。
「…彼女とは昨日寝たから、今日くらい一緒じゃなくてもいいだろう。」
乾はそう答えた。
彼は“可哀相”という形容を彼女のほうにとった。
「…そういう問題じゃないでしょ?」
理性に反して感情が高ぶってしまった。でも僕は喋るのをやめなかった。
「君に振りまわされて心配させられて、彼女がどれだけ傷ついてるかわかってる?ねぇ、わかってるの?!」
だんだんと視界が雲ってきてしまってよく見えなかったけど、ヒステリックになってる僕を見て乾は同情とも困惑ともとれない顔をしていた。
そんな顔しないでよ…
僕は下を向いて手で顔を覆った。
乾の前では惨めな自分は出さないでおこうって決めてたのに。
(僕は本当に意思が弱い)
そこから動けないでいる僕は、ぼんやりと、そう思った。
不意に、乾がソファから立ちあがる音と雑誌が床に落ちる音がした。
そして後頭部と腰に大きな手が添えられて、
僕は何かに強く押し付けられた。
抱きしめられていた。
乾の、匂いがした。
しばらくの間お互い何も喋らないでそうしていた。
熱帯魚の泳ぐ水槽の、こぽこぽという水の音が部屋に響く。
僕は抵抗できなかった。できるはずもなかった。
真っ白になっている自分と冷静に現状を観察している自分とがいて、そのどちらもが“抵抗”という選択肢を丸っきり無視していた。
「すまない」
彼は僕の耳元でそう言った。
低く、小さな声で。
そして僕をもっと強く抱いて、もう一度 すまない、と言った。
「僕に…謝られても困る」
僕が話してたのは彼女のことなんだよ、
君が可哀相だと思ってるのは彼女のほうなんでしょ、
そういう子供みたいに拗ねた気持ちを存分に込めて、言った。
でも乾は僕を抱いたまま、こう言った。
「両方とも不幸にしているのは、俺だ。」
乾は、僕のことも“可哀相”だと認識していた。
嬉しかった。
少し乱れた彼の心臓の音が、僕を安心させようとしている。
「僕も彼女も、本気だよ?」
僕は言った。
少し落ちついた声で。
「わかってる。…すまない、周介。」
彼は久しぶりに僕の名前を呼び、そして初めて僕にだけ、謝った。
僕が長い間待ち続けていた答えが、ようやく返ってきたような気がした。
うん、と小さく僕が答えるのを聞いたとたん、彼はさっきまで座っていた青いソファに無理やり僕を押し倒した。
そして彼らしくない、荒々しくて激しいキスをした。
乾の舌が、入る。
僕も乾の首に手を回す。
涙が出た。
乾は唇を離すと、僕の服を脱がし始めた。そして僕の体中にキスをした。
「…君が居ないと、ダメなんだ」
涙が溢れている目を腕で覆い、僕は声を絞り出すようにそう言った。
「知ってる…知ってるから。」
乾はその涙をも舐めとると、僕の腹部へと舌をすすめた。
僕はその夜 初めて触れた気がした。
僕と、彼女のどちらも選べない彼の苦悩に。
それでも僕は彼と“共存”していこうと思った。一種の“依存”かもしれない。
彼がどちらか一方を選べないとしても、彼がいないと僕がやっていけないのは、紛れもない事実だった。
end