story
□hug
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「お前は何も、しなくていい」
跡部はそう言う。
「ただ俺のそばにいれば、それでいい」
そして俺を、抱き締める。
とてもとても強い力で。
「…あとべ、くるしいよ」
そう言っても、彼は絶対に腕を緩めようとはしない。
俺の首筋に唇を押し付けて、俺の髪をくしゃくしゃに乱しながら。
ずっとずっと俺を、ただ、抱き留めていようとする。
「…」
仕方が無いので俺は、ずっとずっと跡部に抱かれたままでいた。
跡部は皆が思っているほど強い人間では、無い。
そんなことにはとうの昔に気づいていたので。
彼の腕を振り払うことなど、絶対に、できなかった。
hug
「…あとべ、」
抱きしめられてから、どれくらいの時間がたったのだろう。
広い広い、彼の部屋の中。
午後九時過ぎを指しているアンティーク調の壁掛け時計。
カーテンの閉まっていない大きな窓。
「外、真っ暗になってるよ」
俺がそう言ったら、跡部はしばらくしてすっと俺の体から離れた。
「…悪い」
小さく呟いて、彼は俺に背をむけ、窓辺に向かった。
そして真っ暗な外をじっと見てから、気づいたように振り向いて、「コーヒーでも飲むか?」と聞いた。
本当は別に何も要らない気分だったのだけれど、俺は「うん」と答えないといけないような気がした、ので、そうした。
「甘いのがいいな」
テーブルの前にくたりと座る。
そして手渡された湯気の立つカップに、俺は慎重に口付けた。
「あちち」
舌を出す俺に、向かいのソファに座った跡部はとてもとても優しいまなざしを向ける。
「熱くなってるって言っただろう」
俺は少しふくれてみせる。
カーテンは閉められた。
夜の静寂にまるごとすっかり包まれた部屋。
広がるコーヒーの匂い。
跡部は静かにコーヒーを啜っている。
そんな彼をちらりと見てから、俺はカップにまた口付けた。
喉を通っていく少量の熱い液体。
「…あのさ、」
ひりひりする舌の先。
「俺、跡部のこと、好きだから、」
コーヒーの表面に映りこむ自分の顔を覗き込む。
「ずっと傍にいるから、」
そしてもう一口飲む。
「…安心、していいんだよ」
カップをテーブルに置く。
ゆっくり、顔をあげて跡部を見る。
じっと俺を見る跡部。
青い目。
吸い込まれそう。
その目が何を訴えてるのかはわからなかったけれど、ただひとつ、わかったことは、跡部が今にも涙を零しそうになっているということだった。
表情など変えないまま。
ただ目に、涙を、いっぱいためていた。
「ないてるの?」
小さい子供の相手をするように、ゆっくり、尋ねた。
「泣いてねぇよ」
跡部がそう言って横を向いた瞬間、すーっと、涙が頬を伝って落ちて。
綺麗な筋が跡部の頬に残った。
しばらくその軌跡に見蕩れた後、
「…あとべ、」
ゆっくりと彼の傍にいき、隣に座った。
そして
「なかないで」
頬に手をのばした。
涙の筋を拭う。
少し濡れる指先。
「…なかないで」
もう一度言って、頬を撫でた。
そっとそっと、撫でた。
「…泣いてねぇから」
跡部はそう言った。
ハァというため息とともに乱暴に目元を袖で拭った。
そして俺の手を掴み、胸元へと引き寄せた。
「あ」
「ちょっと黙ってろ」
そしてまた、俺を抱きしめた。
ぎゅっと。
とてつもなく、優しく、切なく。
ただ、ぎゅっと。
end(2006/05/08)